36 意趣返しをしたら想定外の制度になっていた
サギッタリウスにキスをした。
(ううっ、気持ち悪い……)
全身が拒否しているけれど、これは必要なことなのだ。
(どのくらい時間がかかるかしら……)
不快感に耐えながら、離されないようにしっかりと押さえこむ。軽く唇を動かしたのは時間稼ぎのカモフラージュだ。
数十秒ほどで、勝利に酔いしれたようなサギッタリウスの表情が変わり、勢いよく突き放された。
「っ、ジュリア! 貴様、何をした?!」
(ミスリルプリズン・ノンマジック)
内心で唱える。ルーカスからアドバイスされた通りに、宴が始まる前に自分に無詠唱の古代魔法をかけてある。
ちょうど入る大きさのミスリルの檻がサギッタリウスを閉じこめた。
「すみません。穏便に済ませたかったのですが……。サギッタリウス様、惚れ薬はいけません。薬で人の心を操るのは外道です」
「なっ……、お前、気づいて……、飲み干したのか?」
「優秀な参謀が事前にその可能性を教えてくれていたので。効果を少し確認して、無詠唱で解毒しました」
ルーカスは心配しすぎだと思っていたが、やはりルーカスが正しかった。
「この檻といい、無詠唱魔法だと……? ……世の魔力を奪ったのも魔法か」
「はい。最悪な気分ですが。口づけるのが一番、魔力の移動効率がいいので。万が一にも抵抗する力を奪わせてもらいました」
「無詠唱魔法に魔力吸引……? そんなものが百歳やそこらの者に軽々使えるわけがない! 貴様何者だ?!」
「ただの普通の女の子なのですが……。ちょっと師匠がよかったのかもしれません」
スピラに笑みを向けると、嬉しそうなドヤ顔が返ってきた。
「世を謀ったか……」
「もし惚れ薬を使われるようなことがあれば、好きにしていいと言われていたので。意趣返しです。
……すみません、オスカー。ルーカスさん、リンセ、ユエル、スピラさん、ペルペトゥスさん。私と一緒に戦って、逃げてもらってもいいですか?」
サギッタリウスは完全に無力化したけれど、他のエルフたちが黙ってはいないはずだ。逃げるだけでも全力を出す必要があるだろう。
ペルペトゥスを偽名ではなく本名で呼んだのは、もうその正体を知られても構わないという意味を伝えるためだ。
「もちろんだ。エンハンスド・ホールボディ」
オスカーが嬉々として得意の身体強化をかける。
「任せて、ジュリアちゃん! プリームス・プロテゴ」
スピラがみんなにかけてくれたのは、現代魔法でのゴッデス・プロテクション、最上位の防御魔法だろう。ありがたい。
「エルフと遊べるとは愉快よのう」
ペルペトゥスが好戦的な笑みを浮かべる。心底楽しそうだ。
「あはは。みんな血の気が多いなあ。でも残念ながら、その必要はなさそうだよ?」
ルーカスが笑って、その場にいる他のエルフたちの方を示す。
あっけにとられていたようなキグナスがハッとして、一歩前に出たと思うと、片膝をついて頭を下げた。
「ジュリア様! 我らが新たな里長に敬服を」
「……はい?」
唐突に何を言いだすのか。キグナスと同じように他のエルフたちも礼を示してくる。まったく意味がわからない。
「あの、キグナスさん? エルフって最年長者が長老として里長になるんですよね? 私、最年少ですよ??」
そもそもエルフですらないのだが、それは伏せておく。
「今日の午後まではそうなっていたのだが、この宴の通達と共に前里長のサギッタリウスから合わせて通達されたのである。
これより長老制を廃止し、最も実力がある者を長老とすると。ジュリア様のご尊父やご母堂を誰かが担ぎだそうとするのを抑止するためであったのであろう」
「えっと……、つまり、サギッタリウス様は自分より年上のエルフが自分の座を奪うのを防ぐために制度を変えて。
で、新しい制度に従うと、サギッタリウス様を倒した私が里長になる、ということでしょうか……?」
「その通りである」
(ちょっと待って。どうしてこうなったの……)
全力で頭を抱えたい。
「ジュリア様には改めて、里長として伴侶を選んでいただきたい」
「……里長云々は置いておいて。今は私の好きにしていいということなら……」
口に残る不快感をなんとかする方が先だと思う。
「……オスカー」
「なんだ?」
「あの……、すみません。目的のためとはいえ、あなた以外とキスをしたの、すごく気持ち悪くて。……イヤかもしれないのですが、上書きしてほしい、です……」
「……喜んで」
彼の返事を聞いたのと同時にぴょんと飛びついて、めいっぱい甘えながら唇を触れあわせる。
あの瞬間は彼もイヤだっただろう。それは申し訳ないと思っている。かかったふりをするために通信に答えるのも控えていたから、かなり驚いたと思う。
他の誰かに触れたことで拒否される可能性も考えていたけれど、受け入れてもらえたのが嬉しい。
オスカーが食べるような動きをして、それから唇を舐められた。
「ちゃんと消毒をしておかないとな」
「ん……」
行為としては同じはずなのに、感覚がまるで違うのが不思議だ。何度も触れ合わせて、しっかりオスカーを刻んでいく。
「……ありがとうございます。落ちつきました」
「ん」
オスカーが目を細めてから、フッと笑ってエルフたちに向き直った。
「そういうことだ。残念だったな」
エルフの青年たちがざわつく。
「ヒトだと?!」
「ありえん」
「ジュリア様は小児性愛なのか?!」
「ちょっ、なんですかそれは」
「ふふ。エルフ視点からするとそうなるね。オスカーくん、私たちからしたらまだ歩きだしたばかりの赤ん坊だから」
スピラが笑い転げている。
「ううっ、とんだ風評です……」
「まあいいんじゃない? そう思ってもらっておけば、もう手出しされないだろうから」
参謀ルーカスも笑っている。
「私がよくないけどその方がいいなら諦めます……」
「そうだな。そういうことにしておけば堂々とジュリアに触れられるのがいい」
オスカーに肩を抱きよせられ、頭に軽くキスが落ちた。嬉しい。確かにそこはいいかもしれない。
(でもオスカーは赤ちゃんじゃないし世界一カッコイイのに……)
「それにしても、ルーカスはよく惚れ薬なんてものの可能性を想定したな」
「ん? だって、エルフも普通はぼくらと同じで、年齢が上がるほど魔力量が増えたり魔法に長けたりするものでしょ?
サギッタリウスさんが年長者を排除したみたいなことを言っていたから、薬とかそっち系の絡め手を使う人なのかなって。
奥さんたちも死んだような顔をしてたしね。例えば、惚れ薬で手に入れて、既成事実を作ってから薬が切れたら? あんな感じになるんじゃないかなって」
「なるほど……。言われると確かにってなるのですが、全然思い至らなかったです」
「うん。君たちはそれでいいんじゃない? こういうのはぼくの役目だから、とられても困るしね」
ルーカスがおどけたように言う。
「で、そんな参謀から提案なんだけど。里長は里の制度を変えられるなら、一度里長を引き受けて、ジュリアちゃんの好きに制度を変えちゃえば?」
「あ、なるほど……!」
目から鱗だ。エルフの里長にされても困るとしか思っていなかったけれど、サギッタリウスが制度を変えたことで自分が里長になってしまったのだから、自分が制度を変えれば他の誰かを里長にできるということだ。
「わかりました。では、今日はもう遅いので、明日いろいろ決めましょう。それまでサギッタリウス様はこのままで」
「貴様、世に檻の中で座ったまま野宿をせよと?」
「はい。反省してくださいね?」
「ここに放置するだけとかむしろぬるくない? ジュリアちゃんに惚れ薬なんて盛った上にちゅーまでしたんだから、私は切り捨ててもいいと思うんだけど?」
「異議なしだ」
「それはさすがにやりすぎかと……」
エルフの里に来てからスピラとオスカーの気が合いすぎる。こんなところで合わなくていいと思う。




