34 [アストラム/スピラ] 遠い昔の母と父と息子
▼ [アストラム] ▼
採取や魔物を狩って得た資金で各地をめぐり、閲覧できる資料を見て回った。国によって石碑だったり木簡だったり、羊皮紙に書かれていたりと媒体は様々だ。
ルーナはエルフとダークエルフの関係には興味がなさそうで、字を覚えてからは好きなものを眺めていた。
そんな生活を百年以上続けても、めぼしい内容には出会えなかった。そもそも言及しているものが少なく、触れていても関係が悪いという内容のみで、その理由はなかった。
「めぼしい場所は大体あたったか? オレたちより短命のヒトの資料じゃどうにもならなそうだな」
「もうあきらめたらどうかしら? 私は何も困っていないもの」
「オレが困っている」
「……私がいるのは迷惑?」
「本当は一刻も早く帰すべきだという罪悪感を持ち続けているからな」
「帰すべきかどうかじゃなくて、私がいることが迷惑かを聞いているのだけど?」
座っていたところに抱きつかれて押し倒される。勘弁してほしい。いい香りがしてクラクラする。
「……困ってはいる」
「私が嫌いだから?」
「いや……」
「私がエルフだから?」
「……そうだな」
「ねえ、アストラム。エルフとダークエルフが一緒にいちゃいけないって、誰が決めたの?」
「遠い昔に何かあったんだろ……」
「でも今、私たちの間には何も問題はないわ。あなたがずっと、エルフとダークエルフだっていうことにこだわっている以外は」
「……それはそうなんだろうが」
「もし私がダークエルフだったら、アストラムは私にそばにいてほしい?」
「無意味な仮定だとは思うが。ルーナが同族だったらすぐに家に帰せたし、友人になれたと思う」
「友人止まり?」
「……オレに何を言わせたいんだ?」
ルーナがさみしげに笑う。そんな表情も愛しいと思ってしまうのだから、もう手遅れなのにはとっくに気づいている。
彼女からの言葉の代わりにキスが落ちた。理性が逃げだしそうだ。
「私は……、あなた以外はいらない」
「後悔するぞ?」
「ふふ。絶対に後悔しない自信があるから、させてみて?」
挑発的な瞳に射抜かれて、彼女の手に落ちた。
エルフとダークエルフの因縁に仮説が立ったのは子どもが産まれた時だ。
「……完全にダークエルフだな」
「ニンゲンの記述に、優性遺伝と劣性遺伝について書いたものがあったわ。お互いが混ざらずに優性なものだけが表に現れる、だったかしら」
「一人だけでは確実ではないが。ダークエルフがエルフに対して優性だとすれば……、遠い昔に危機感を覚えたエルフが種を存続させるために排斥した可能性はあるな」
「不思議ね? あなたに似てこんなにかわいいのに」
「オレに似てかわいいがまったくわからん……」
「ふふ。検証してみましょうか」
「検証?」
「十人くらい産んでみたら分かるんじゃないかしら」
「……全員ダークエルフになったら?」
「あなたが増えたみたいでステキね」
「まったくわからん……」
それがステキだとは思わないが、彼女が全面的に受け入れてくれていることは嬉しい。
ルーナは子どもをスピラと名づけた。アストラムと同じ「星」という意味を持ち、「螺旋」の意味も持つ言葉だ。
「くるくる回って少しずつ上がっていくの。ステキでしょ?」
「ルーナが気に入っているならいいと思う」
いつか彼女をちゃんと里に帰さないととは思いつつも、にぎやかになっていく生活に甘んじていくのだろうと思っていた。
ヒトのふりをして街に行くことに慣れすぎて、ダークエルフは忌み嫌われていることを忘れていた。
離乳食に移っていくスピラに美味いものをと思って出かけた先で、スピラが耳を隠していた帽子を落とし、ダークエルフだと気づかれて騒ぎになった。
その国が古代の呪物を収集していたのは運が悪かったとしか言えない。魔法で防ぐのが間に合わず、スピラを庇ったルーナが呪いを受け、とっさに自分もその一部を引き受けた。
怒りに任せて一帯を焼土にしたが、一度受けた呪いが解けるわけではない。
「エルフなら解呪ができるかもしれない。オレはムリだろうが、ルーナは解いてもらえるはずだ」
「……スピラが無事で本当によかったわ」
やっとルーナから帰郷の承諾を得られた。急いでエルフの森へと向かう。
魔力を動かすことも阻害する呪いで、自分はいくらかの魔法を使えたが、ルーナは魔法も使えなくなっていた。
ルーナと子どもを乗せて、ヒトや魔物に見つからないようにホウキで移動するとスピードを出せない。移動しては泊まってを繰り返し、時間をかけるしかなかった。
後から思えば、主として受けたルーナは自分が長くないことに気づいていたのだろう。
元々日記のようなものを書いていたが、新しいものを用意してつづっていた。
間に合わなかった。
エルフの里に着けたとしても解呪ができたかはわからないが、ムリにでも昔に帰しておけばという後悔がつのる。
ルーナは火葬して、遺灰を箱に入れて連れていくことにした。彼女がいないのなら自分とスピラだけでエルフの里に行く理由はない。
自分の残りの時間が少しでも長いことを願いながらスピラと時を過ごす。
ヒトの街には近づかないように教え、森での生き方を少しずつ教えていく。出会った頃のルーナと数歳しか違わないはずなのにその数歳の差が大きくて、どれだけわかっているのかがわからないのがもどかしい。
ルーナがつづっていたのは自分とスピラへの思いだった。いつかスピラが読めることを願って、自分の思いも足していく。
(……あまり時間がないな)
せめてあと数年。呪いの進行を感じてそう思った時、まだスピラは当時のルーナよりも少し幼かった。
残された時間でずっとできなかったことをしたいと改めて思った。ルーナを家に帰さないといけない。
もしスピラがルーナの息子として受け入れられるのなら、エルフの里に預けるのもアリだろう。けれどそれは賭けだから、話を通してから迎えに来ることにする。
自分に残された時間では戻れない可能性も考えて、言い含めて出発した。
ルーナと自分が息子に宛てた手記をルーナとスピラの存在証明としてエルフの里を訪ねる。
攻撃を受けたが、話したいと伝えて防御以上のことはしなかった。捕まる形で里に入り、事情を話す。ルーナの遺灰を受け取り、手記を読んだ長老会はこう言い渡した。
「ダークエルフ、アストラムとその息子を有罪とする」
(は……?)
一体どんな文脈でそうなるのかがまったくわからない。わかるのは、ここにスピラを連れて来なくてよかったということだけだ。
最後の力を振り絞ってルーナの手記を取り戻す。里の外に出せる余力はない。
(古代樹……!)
祭壇とそこに通じる道は時が止まっているという。いつになるかはわからないが、いつか息子に届く日を願って、その中に放りこむ。
エルフの里では祭壇への道を開く言葉が伝わっていないようだった。特に重要視もされていないようで安心する。
(スピラ……。生きろ……!)
もう一目、その顔を見られないのが最後の心残りだった。
▼ [スピラ] ▼
ちゃんと読み始めてすぐから涙が止まらなかった。事情はなんとなくしかわからない。そこを主としては書かれていなかったからだ。
わかったのは、死期を悟った両親が必死に思いを残そうとしたこと。エルフだった母がどれだけダークエルフだった父を大事にしていたか。父もどれだけ母を大事にしていたか。そして、自分がどれだけ愛されていたのか。
「私……、独りじゃなかったみたい」
「はい。ご両親とつながれてよかったですね」
ジュリアの柔らかい声が沁みこんでくる。平気な顔をして格好つけたいのに、なかなか涙が止まらない。




