33 [スピラ/アストラム] エルフとダークエルフ
▼ [スピラ] ▼
母の記憶はない。父も顔は思いだせない。
父親と旅をしていたことだけは覚えている。
父といる時にヒトの街に入ったことはなかった。あそこは危ないから行ってはいけないと言われていて、遠くから眺めるだけの場所だった。
自然の中で生きていた。時々強い魔物に出会って父が戦うこともあったけれど、生活に不自由はなかった。
最後に父はなんと言っていたのか。それもうろ覚えだ。エルフの里に行く、かえさないといけない、話がついたら迎えに来る、もし戻れなかったら一人で生きろ。そんなようなことだったと思う。
父は戻ってこなかった。
エルフの里。そう言い置いた父が向かった方に行ってみた。森で出会ったエルフに声をかけたら攻撃されて、命からがら逃げのびた。
「子どもか。ダークエルフは滅ぼせとのお達しだ。悪く思うな」
その時のエルフはそんなことを言っていた。父はダークエルフだからエルフに殺されたのだと、幼心に理解した。
ジュリアが手にした本を差しだしてきたから、反射的に受けとった。
「スピラさんの親御さんがスピラさんに宛てたものなんですね」
なぜそれがこんなところに残されているのかがわからない。わからないけれど、ここにあったから長い時を経ても残っていたのだろう。
「一度下に戻って休みましょうか」
「……いいの?」
「はい。急いでここを出ないといけない理由はないですし」
「うん。賛成」
ルーカスが真っ先に賛同して、他の面々もうなずいてくれる。ありがたい。
登ってきた階段をもう一度降りて、ほんのりと光る地面に座った。
手にした本をそっと撫でる。ちゃんと読む勇気は持てなくて、ペラペラとめくってみる。
「……これ、前半と後半の字が違うみたい」
表紙と同じ字が前半をつづっていて、それよりも角ばった字が後半をつづっている。
「前半が……、母さんで。後半が父さんかな……」
ただ事実を口にしているだけなのに、声が震える。
母は、ルーナ。パッと見た感じでは苗字の記述はない。父は、アストラム。アストラム・イニティウム。両親の名を初めて知った。
古代と呼ばれる遠い昔の記録だ。
途中で終わったと思ったら、空白をいくらか挟んで、最後のページに後半の字の殴り書きでこう書かれていた。
『いつの日かエルフと和解して、お前がこれを手にできる日が来るのを願う』
▼ [アストラム] ▼
各地の森の手入れをしながら、世界を流れて生活していた。
一ヶ所にとどまると、偶然出会ったヒトから魔物と認定され、腕に覚えがある者から追われるからだ。
エルフはヒトと同等かそれ以上の存在として崇められているが、ダークエルフは他の多くの魔物と同じように狩るべき魔物とされている。
ヒトは魔法を使えないから、どれだけ鍛えられた相手であっても闘って勝てないことはない。他の魔物に襲われる方がよっぽど危険だ。
けれど、同じように言葉を持ち、同じような姿をしていて、ただ小動物のように怯えて噛みついてくるだけの相手と戦う気にはならなかった。
その光景に出会ったのは偶然だった。森の中に金属音が響いていたため様子を見に行ったら、ヒトとヒトが戦っていた。
服から推察するに、盗賊と討伐隊だろうか。そう珍しいことではない。珍しかったのは、完全な相打ちで双方に生き残りがいなかったことだ。
「同族で何をしているんだか……」
アホらしい。そう思うけれど、死体を野晒しにしておくのは寝覚めが悪い。
探しに来た者にわかるように剣などを立てるかたちで墓でも作ってやろうかと思っていたところで、荷車に積まれていた麻袋が動き、ドサっと地に落ちた。
ヒトが、珍しくて弱い魔物を取引することがあるのは知っている。生きているのなら逃してやろうと思って袋を開け、驚きに固まった。
「は? エルフの子ども……?」
白い肌、尖った耳、透き通ってサラリとした美しい髪に、透明感のある瞳。何もかもが自分とは正反対だ。
(最悪だな……)
子どもの年齢はよくわからないが、五、六歳くらいだろうか。
怯えたような顔をしていたその子が、自分を見上げてパッと表情を明るくした。
「みみ! おなじ!」
「……あ? ああ……、そうだな……?」
まるで違うと思っていたけれど、確かに耳が尖っているのは同じだ。
「みみまるいのはニンゲンなんだよ。わたしわるいこだからニンゲンにうられたんだよ」
「は……?」
言っている意味がわからない。白いエルフに会ったことはなかったが、話に聞く限りでは同族の結束は強かったはずだ。
「でもニンゲンしんじゃったね?」
「そうだな……。帰り道はわかるか?」
「わかんない」
心の底からため息が出る。
「オレも大体の位置しかわからないが。行けばなんとかなるだろ」
「ダメ!」
「は?」
「おこられる……」
「何をしたんだ?」
「もりからでちゃいけないっていわれてたのに、あそんでてでちゃったんだよ」
「で、人間に会ったのか?」
「うん」
「同じことを言ったのか?」
「うん。そんなわるいこだからうられるんだって」
ため息しか出ない。
「お前、それ完全に騙されてるぞ。心配してるだろうからさっさと帰れ。行きたくはないが、近くまで連れて行ってやるから」
「おうちにはいっしょにきてくれないの?」
「オレはダークエルフだからな」
「ダークエルフはエルフじゃないの?」
「ああ。エルフはエルフ、ダークエルフはダークエルフだ。これでも、ヒト以上にエルフには関わるなってきつく言われて育ったからな。お前と話してる時点で、オレも悪い子なんだぞ?」
「ふふ。おそろいだね」
「そこ喜ぶところなのか……」
どうにも調子が狂う子どもだった。
ルーナと名乗ったその子は行きたくないとごねてエルフの森に帰るのを拒み、近くに連れて行こうとすると自分の手を引いて全力で逃げた。
(そのうち気が変わって家が恋しくなるだろ)
時間が解決するものとあきらめて日常生活に戻る。することは変わらないのに、にぎやかというか、なんともやかましい日々になった。
当初の読みが甘かったというのはすぐにわかった。
「ルーナ、いいかげん里に帰れ……」
「イヤ! アストラムが一緒に行ってくれないなら帰らない!」
「だからオレは行けないんだって何度言えば……」
「だからわたしは一緒じゃないとイヤって何度言えば……」
マネをして言われると笑ってしまう。
何年経っても平行線で、仕方なく、耳を隠してヒトの街でエルフとダークエルフの関係を調べることにした。
一人の時よりもルーナと一緒の方がヒトが友好的で、疑われないように感じた。




