18 オスカーの言葉は世界一の魔法
オスカーと手を繋いで、彼に連れられて別荘を出る。
「ここを離れてもいいだろうか」
「はい、もちろん」
オスカーが少し迷うようにしながら、そっと手の甲に口づけてくれる。
(ひゃああっっ)
彼からの愛情表現が嬉しすぎる。
「……ジュリアのホウキに乗りたい」
続いた言葉に驚いて、パッと顔が熱くなる。
「私のホウキ……、ですか……?」
「イヤだろうか」
「いえ、イヤではないのですが……、恥ずかしいなと……」
言って、顔から湯気が出そうになりながらホウキを出す。普段の横座りではなく、彼を後ろに乗せるために跨いで座る。
「えっと……、どうぞ……?」
「ん……」
オスカーが嬉しいような恥ずかしいような雰囲気で後ろに座り、腕を回してくる。抱きしめられてしっかりと密着する形だ。短くついた息が耳にかかる。
(きゃあああっっっ)
この体勢はすごく恥ずかしい。同時に、全身で彼を感じられてとても幸せだ。
「……あの、……どこに……?」
「二人でいられればどこでもいいのだが……」
(ひゃあああっ……)
ささやく声が熱を帯びて聞こえる。
「ジュリアはどこがいい……?」
「……そう、ですね……」
聞かれて、考える。せっかくだからこのままでいたいけれど、人に見られるのは恥ずかしい。
「少し……、海の上で空中散歩をしましょうか。明日には帰るし、せっかくなので」
「ん」
「一応無詠唱魔法をかけておきますね」
万が一落ちても安全なようにしておく。溺れるのには懲りた。
「……出発します」
「ああ」
ふわりと丁寧にホウキを飛ばす。いつも乗っているのに、今は違う乗り物のようだ。心臓が早鐘のように打って、息が短くなりそうなのを必死に飲みこむ。
海の前の別荘だ。すぐに海上になり、そのまま沖へと向かう。
「……夜にバーバラさんから、どこまでしているのかを聞かれて」
「ん」
「ホウキの二人乗りまでと言ったら、ぜんぜんピンときてない感じで……。
けど、これ、やっぱりすごく……。……お互いに完全に身を預けている感じが、ただ抱きしめられているのよりずっとドキドキします……」
「……そうだな」
腹部に回された彼の腕に少し力が入る。ハァと熱を帯びた吐息が落ちた。
「この数日ずっと一緒にいたのに、なぜかジュリアが足りなくて。すぐに帰るのだからと抑えていたのだが……。……帰ってからも忙しくなりそうだと思ったら、こういう時間がほしくなった」
ゆっくりとささやく声が耳をくすぐって、体の熱さをいっそう引き上げる。
「……嬉しい、です」
「ん……」
オスカーが少し腕を緩めて、片手を持ちあげる。指先がそっと髪に触れ、前に流されて、首筋に口づけが落ちる。
(ひゃああああっっっっ)
ホウキのコントロールを失わないようにするので精一杯だ。
「ぁ……っ」
そのままペロリと軽く舐められて、自分でも驚くような甘い音が口をついて出る。
(ダメ……、これ、飛んでられない……っ)
「……ぁ、あの」
「ん?」
「降りませんか……?」
「……降りる?」
イヤなのではなく、どこにというニュアンスに聞こえる。
「ミスリル・プリズン」
長い円柱をイメージして、海にミスリルの檻を沈める。
今は無詠唱でもできるけれど、なんの魔法を使っているのかをオスカーにわかりやすくするためにあえて唱えた。
強度は十分なはずだ。空中にも長めに出しておけば浸水の心配はない。海の底から水上までの空間が、直径数メートルの円柱状に切り取られたような見た目になる。
「……降りますね」
「ああ……」
(ちょっと驚いてる声)
また普通じゃないことをしたような気もするけれど、他に思いつかなかった。
円柱の底もミスリルでできているため、降りたっても汚れることはない。一旦ホウキは消しておく。密着感はなくなったけれど、隣に立って手をつないでくれるのも嬉しい。
「……キレイだな」
「ですね」
日の光がまだ届く、ほどよい深さだ。差しこむ光が筋状にゆらめいて幻想的に見える。透明度が高い水の中でいろいろな魚が遊んでいる。
「戦闘用の魔法だと思っていたが。この使い方はいいな」
「ふふ。いい思いつきでした」
笑って彼を見上げる。視線が重なると、海と同じ色の瞳にとらわれた気がした。海と違って、熱を帯びて見える。
そうしていいかを尋ねるようにゆっくりと、彼の手が頬に触れてくる。彼が頭の位置を下げてくるのに合わせて背伸びをして、自分からも寄せていく。彼の首に腕を回したのと同時に、彼の手が背に回されて、軽く支えられた。
ふわっと、やわらかく唇が触れあった。それだけなのにカチッとスイッチが切り替わったかのようで、一瞬離れた口元をすぐにお互いに押しつけて、求めあうようにキスを繰りかえす。
「んっ……」
(オスカーすき……、だいすき……)
思いを絡ませて、熱を溶けあわせていく。深い満足感があるのに、いつまでも足りなくてもっとと求める。今はもうオスカーしか見えない。
重なる吐息が熱い。キスだけで溶けてしまいそうだ。このままずっと触れあっていたいし、もっと深くつながりたい。心も体も魂も、もっとと彼を欲している。
それが自分だけではないことが伝わってくる。そう感じたのと同時に、オスカーの方からそっと離された。
「……少し、落ちつけたらと」
名残惜しい気持ちが強いけれど、小さく頷いた。先に進んではいけない制約がある今は、離れるのもまた愛情だと感じる。
「手はつないでいてもいいですか?」
「ん……」
他の人がいるところでは見せない優しい笑みで、指をからめて手をつないでくれる。大好きを伝えるように、少しきゅっと力をこめた。
横に並んで、オスカーの存在を感じながら海を眺める。こうしてそばにいられるだけで幸せだ。
「明日戻ったら、ペルペトゥスさんとダンジョンを作りに行きましょうか」
「ダンジョン……?」
「はい。私たちの秘密基地みたいな。すぐに世界の摂理に会えたりはしないと思うので、生活してもらう必要がありますよね」
「ああ……、スピラは宿屋暮らしだったか」
「前はそうでしたが。ペルペトゥスさんが宿屋で寝ぼけたら大変なので、ダンジョンを作ってもらって、師匠は好きな方で過ごせばいいかなって」
「なるほどな」
「街中じゃない方がいいと思うので……、前に師匠を入れる地下室を作ったあたりが良いでしょうか」
「そうだな。あのあたりなら問題ないだろう」
「……前に進める可能性への期待と、どうにもならなかったらどうしようっていう不安があります。
ずっと期待の方が大きかったのですが……、今はちょっと、不安の方が大きいかもしれません。師匠も、契約の取り消しはムリだろうって言ってましたし」
「できるとしても書き換え、だったか」
「納得させられる書き換え案が浮かびません……」
「人類が魔法を手に入れたのと同等、あるいは子孫の一人の最大の幸福と同等の何か……、確かに難しいな」
「そのあたりはルーカスさんの知恵も借りたいですね」
「ああ。参謀にも作戦会議に参加してもらう必要がありそうだ」
そこまで話して、また少し一緒に魚を眺める。
(もしダメだったら……)
こうしてつないでいる手を失ってしまうのかと思うと、とても怖い。
今の自分たちの関係も、その先に進めるのかどうかも、世界の摂理の契約をなんとかできることが前提だ。どうにもならないと確定したらきっと、離れないといけない。それならいっそこのままの方がいいのかもしれない。
ずっとというわけにはいかないし、ずるい考えなのもわかっているけれど。
「……ジュリア」
「はい」
「これは自分のワガママなのだが……」
「なんですか?」
「……もしどうにもならなかったとしても、そばにいてほしい」
「え……」
オスカーを見上げて目をまたたく。
もし解決しなくてもそばにいる。それは想像したことがない。
「……でも。……あなたを危険に巻きこみたくはありません」
それが自分のスタート地点だ。二度とオスカーを自分の業に巻きこんで死なせないこと。そのためなら心を殺して離れるのは、どんなにイヤでも仕方ないと思っている。それは今も変わらない。
「今こうしていても何も問題はないだろう?」
「……それは……、そう、ですね」
「ここから進まなければ安全にそばに居られるのなら、ずっとこうしてそばにいたい」
怖さで冷えて震えていた心の奥が、ふいに温かくなった気がした。
「でも……、……一生、結婚できなくても……?」
「ああ」
「子どもが持てなくても……?」
「当然」
「……あなたにはなんの得もないのに?」
つないだ手を引かれて、彼の胸に抱きしめられる。
「こうしていられる以上に何が必要だ?」
「……おすかぁ……」
思わずぎゅっと彼に抱きついた。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が熱い。
「すきぃ……」
「……ん。……愛してる」
ささやかれた愛しい音が怖さを跡形もなく溶かしてくれる。オスカーは世界一の魔法使いだ。
「私も……、愛してます。大好き……」
「ん」
額に、耳に、頬にとキスが落とされる。
「ぁっ、ふぁっ……」
「……かわいい」
「ひゃっ……」
首筋に彼の唇がふれて、また少しだけ舐められた。
「……どこまで大丈夫なのかを試してみたくなるな」
(きゃあああっっっ)
なんだかすごいことを言われた気がする。けれど、それは自分も望んでいることだ。顔が熱い。
「ううっ……、あなたが危なくないように、少しずつ、ですよ……?」
「ああ……。……今まで以上に忍耐が試されそうだ」
幸せそうな笑顔で口をふさがれた。何度もキスを重ねて、大好きを伝えあう。
大きな手が頭をなでてくれて、そのまま背筋を辿っていく。愛しさをくれる彼の手が、とても愛しい。




