33 [オスカー] 守るためにできること
「クルス嬢?! ……ジュリアっ!!!!!」
突然倒れた彼女をしっかり受けとめる。
血の気が引いた。
慌てて呼吸と心音を確かめる。弱いながらも、どちらもちゃんとあった。
少しだけホッとして、そっとベッドに横たえる。
「……ヒール」
しばらく魔法を使うなと言われたけれど、試さずにはいられない。
呪文を唱えても魔力が動く感覚がない。けれど、しぼり出せなくはない感じがある。
(魔力切れでも魔法が使えなくはないはずだ。集中しろ……)
魔力切れになると、普通は発動に失敗する。それでも意識的にムリに使おうとすると、普段は無意識にかかっているリミッターが外れて、使えなくもない状態になると聞いている。生命力を削って魔力に変えて。
それを更に限界まで使えば命の保障はない。だから魔力切れになったら、すぐに戦線を離脱するよう言われている。
魔力を回復させる薬はある。が、光と温度変化に弱く、保管が難しい。魔法協会の保管庫にあり、普段から持ち歩けるものではない。
保管庫から出して効果が続くのは数時間程度だと言われている。クルス家といえど、普段は無人の別荘に置いてはいないだろう。
「ヒール」
二度目のそれは、魔法として発動した。同時に、普段魔法を使う時には感じない、全身から力を搾られるような感覚があった。膝をつきそうになるのを踏みとどまる。
(……これが限界突破状態、か)
深く息を吸って、長く吐きだす。
回復魔法では、彼女の顔色はあまり変わらない。治癒するようなケガが原因ではなさそうだ。
(どうすればいい?)
何が彼女にとっての最善なのか。
体のことだけを考えれば、ここで医師に診てもらうという選択肢もある。
けれど。
今のこの状況を、彼女は魔法が使えないという前提で、後からクルス氏や魔法協会に説明できるとは思えない。
孤児院で自分に忘れてほしいと言ったのは、魔法が使えることを両親に知られたくなかったからだろう。
彼女は魔力開花術式を受けていない。魔法が使えるのは、おそらく時を戻ってきたことと関係しているのだろう。だとすると、魔法を使える理由を説明することは彼女が言いたくない部分まで話さないといけないということと同義になる。
(……話してもらえたのは、自分だけは踏みこむことを許されたと思ってもいいのだろうか)
そうだとしたら、それは本人以外が言ってはいけないことだ。
彼女自身が話そうとしていない時に、彼女の秘密が明るみに出るようなことはしたくない。
それに、彼女の魔法使いとしての能力は、術式を受けていたとしても異常だ。あの一撃を受けた自分を助けたのなら、この歳で使える範囲をはるかに超えているし、クルス氏をも超えているかもしれない。それを家族以外に知られることは、身の安全に関わる可能性すらある。
いずれにしろ、彼女が魔法を使えるということを知られないようにするのは必須条件だ。
(……八十年近く最愛の夫を救う方法を探して……、ただの伝説だと言われていた、時を遡る魔法を使った、か)
彼女の告白を思いだすと湯気が出そうだ。その相手が他の誰かだとは、もう少しも思えない。
確かに荒唐無稽な話だけれど、彼女から感じ続けていた矛盾する思いや、彼女の言動には全て説明がついてしまう。
「そんなあなたに……、自分が惹かれないはずがなかったのだな」
初めて出会った時からずっと、いや、その前からずっと愛されていたのなら、あの愛しさをはらんだ美しい瞳から離れられなくて当然だ。
それに、彼女の話の通りなら、前の時には手を取り合って人生を歩いている。彼女という人が、どうあっても自分は好きなのだろう。
オスカー・ウォードはジュリア・クルスを愛している。
言葉にしようとすると恥ずかしくて悶え死にそうだけれど、それが揺らぐことはない気がした。
「……必ず、あなたを守る」
意識のない愛しい人に誓う。
(「気がついたら知らない場所に二人でいた。彼女の意識はなかった。戻らないとと思って急いで連れだした。他は何もわからない」……ここから離れて、そういうことにするのが無難か)
ウソは、重ねれば重ねるほどにボロが出る。最小限にした方がいい。
そうして彼女を家に帰すのがベストだと思う。彼女と事前に意思疎通ができないのは心配だけれど、彼女なら、彼女自身を守るためにも迂闊なことは言わないだろう。
(あとは、方法……)
考えながら一旦部屋を出る。
すぐに急変しそうな状態ではないだろうと判断したのと、この別荘にいた形跡をなるべく消した方がいいと思ったから。
魔法協会のメンバーを泊められるくらいの広さがある別荘だけれど、迷うような作りではなかった。自分が寝かされていた部屋以外は、台所くらいしか使った形跡がない。
鍋に残っているスープは、まだかすかに暖かかった。それを処分する気にはなれなくて、大切に体に流しこむ。
他はひととおり片づいていたから、鍋を洗って拭いて、それらしいところに戻しておく。
(またいつか、自分のために料理を作ってくれるだろうか)
とても大切にされていると感じる味だった。ピタリと好みに合っていたのは彼女の背景があってのことだろうか。
多くを望んではいけないのはわかっている。それが彼女を苦しめることも、その理由もよくわかった。
でも、だからこそ、もし許されるならそばにいたいという欲が出る。我ながらどうしようもない。
深くため息をついた。
(どのあたりにいたのかというのは聞かれるだろう。そこに自分たちを連れだした者がいることになるのだから。それもごまかすとなると、なるべくホワイトヒルの近くまでは、人に移動を気づかれない必要があるな)
なかなかに難易度が高い話だ。
馬車などの一般的な移動手段は使えない。空間転移の魔法が使えれば話は早いのだろうけれど、そんな特殊な魔法を使える魔法使いはひと握りだと聞く。もし使えたとしても、今の自分の状態では魔力消費に耐えられないだろう。
自分の命に代えても、彼女のためならーーとは、もう思わない。
「私は……、それでも、あなたに生きていてほしい……」
彼女が最後に言ったそれは、何より切実な願いに聞こえた。
彼女のためにも生きないといけない。
何があっても、自分は生き延びないといけない。
二人で生きる。
それが最優先事項だ。
(まずはここがどこなのかを確認して……、おそらくは北の方だろうが)
ホワイトヒルより気温が低い場所なのだろうとは予想がつく。体感でもそうだし、夏の別荘だと言っていた。国内にいくつかある避暑地周辺なのは間違いないだろう。
(……ホウキで飛ぶ以外には、手はないか)
ホウキに乗って空を飛ぶ。それは魔法使いになってすぐに教えられる、一番基本的な魔法だ。初級魔法で、魔力消費も少ない。
問題は、今の自分の状態と、どのくらい距離があるのかがわからないことだ。
(安全のためにも目撃されにくくするためにも、なるべく低く飛んだ方がいいのだろうが。そうなると位置の把握が難しくなるのと、魔物に遭遇する可能性が上がるのが問題か)
彼女を抱えて今の自分が戦うのはムリだ。エンカウント率を下げないといけない。
魔物から気配を消す魔道具や魔物を探知できる魔道具があればずいぶん楽になるだろう。けれど、それは望めない。このあたりにいたことを知られないためには買いにも行けない。
(細心の注意を払って行く以外にはないだろうな……)
もしホワイトヒルまで戻るのが難しければ、連絡魔法が届く範囲に入れれば連絡、それも難しそうなら安全確保をして救難信号を出し、近くの魔法協会の支部に保護してもらうのが妥当か。
救難信号を出すにしても、なるべくこの場所からは離れておく。
それがきっと、今自分にできる最善だ。
(……やれるか? いや、やるしかない)
なるべく早く、彼女を安全な場所で診てもらわないといけない。
力が入らない彼女の体を大切に抱きあげ、屋敷の外に出る。
寄りかかれるところに軽くもたれ、彼女を片腕で支える形に直して、利き手を前にして呪文を唱える。
「フライオンア・ブルーム……っ」
やはり、魔法を使うと搾りとられるような負担感がある。けれど、耐えられないほどではない。
手で柄を持つ形に、自分のホウキが形作られる。人によってホウキの見た目にいくらかの違いがあるのは、持っているイメージの差だろう。
一番魔力を必要とするのがこの時で、あとは飛んでいる間にわずかに減っていくだけだからなんとかなるはずだ。
ホウキに乗り、彼女をしっかりと抱いて前を向く。
まずは、南へ。
ホイットマン男爵領の中心地、ホワイトヒルを目指す。




