12 [オスカー] 人魚のジュリアとセクハラダークエルフと
頭を冷やすために海に潜った。
(なんだあれはなんだあれはなんだあれは……)
人魚姿のジュリアがかわいすぎる。
水しぶきが光を反射するからか、いつも以上に笑顔がまぶしい。肌にはりついた服が体のラインを強調している。
(……とりあえず、他の男に見せるようなものではないな)
飛びそうな理性をかき集めると、真っ先にそれが浮かんだ。
「……ジュリア」
「ジュリアちゃーんっ!」
海上に顔を出して声をかけたが、スピラの大声にかき消された。
「見て見て! ミルクラム」
片手でキャスケット帽をおさえて、もう片方の手に人の顔くらいの長さがある細長い二枚貝を手にして、スピラがジュリアに寄っていく。間に入るのは間に合わなさそうだ。
「ミルクラム?」
「ジュリアちゃん、知らない? 一応魔物なんだけど……」
そう言ったところで、ミルクラムがビュッと何かを吹きだした。どろりとした乳白色の液体がジュリアの顔にかかる。
「きゃっ」
(うわああああっっっ)
心配すべきところなのに、絵面がきわどすぎて感情の処理が追いつかない。
(待ってくれ……)
「それそれ、ミルクラムミルク。危険を感じると出すんだけど、珍味でさ。私のオススメ」
「……えっと、珍味でオススメっていうことは食べ物なのでしょうか」
ジュリアが顔にかかった濃い液体を指先ですくって口に入れる。
(わああああああっっっ)
違う状況に見えてしまうのは自分がおかしいのだろうか。
(落ちつけ、落ちつくんだ……)
「あ、ほんと。おいしい……? 塩気があるミルクというかクリームというか。不思議な感じなのですが、ちょっとクセになりそうです」
「でしょ? 群生してたから、一緒に獲りに行こう」
とりあえず海に顔をつける。ジュリアが行くならついていくの一択だが、今の状態のままでマトモに会話ができる気がしない。
息が続く限り潜ってから顔を上げて大きく呼吸した。
「……オスカー、大丈夫?」
ルーカスがそろっと寄ってきて聞いてくる。
「どう見える?」
「ダメそう」
「だろうな」
衝撃が抜けなくて、まだ顔まで熱い。心臓がバクバクしたまま収まりそうにない。
「まあ、うん、アレはちょっと……、夜とか絶対思いだしちゃうよね……」
同胞がいたことに安心したのと同時に、それはそれで嫌だと思う。
「……ルーカス。魔法で記憶を消すのと物理的に記憶を消すのと忘れるまで海に沈んでいるのとどれがいい?」
「待って。記憶を消す魔法なんて知らないし、ぼくが目撃したのも事故だからね? それにぼくよりバートとスピラさんじゃない?」
言われて、意識を他に向けて目に入ったのはバートだ。海上に顔を出したまま固まっているように見える。
「多分あれ、感動に打ち震えてる気がするよ」
「……物理的に記憶を消すなら鈍器で殴ればいいのか……? アイアン・ハン……」
ルーカスに手で口を塞がれる。
「落ちついてオスカー。それ死ぬやつだから。とりあえずジュリアちゃんたちを追いかけようか。少し落ちついた?」
「……熱が引いたかどうかという意味では落ちついたが、スピラをどうにかしそうだという意味では落ちついてない」
「まあアレ多分確信犯だしね。ちょっとくらいなら協力するよ?」
「……確信犯?」
「うん。スピラさん、全然動揺してなかったし、ニヤニヤするのを抑えてる感じだったから。
想像しなかったんじゃなくて、わかっててやってたと思う。気づいてないのはジュリアちゃんだけだね」
「あっの、セクハラダークエルフ……っ!!!!!」
「ジュリアちゃんに気づかせないまま、どうやってスピラさんに思い知らせるかが問題だね」
ルーカスの言葉を後ろに聞いて、海に潜って二人を探す。浮上してくるところを見つけて近くまで泳いでいく。海面に出たところで、ちょうど話しやすい距離になった。
顔を見せるとジュリアがパァッと笑顔になる。
(天使だ……! かわいすぎる……)
「オスカー、さっきの話、聞こえてました? これ、スピラさんが教えてくれたんですけど」
ジュリアが両手でミルクラムを一本握って見せてくる。
(これは見る角度によっては形状もアウトじゃないか……?)
「あっ」
向きが反対だったようで、今度はジュリアの胸元に白い液体が広がった。
(うわああああっっっ)
今の格好と相まって、つい息を飲んでしまう。
「……ジュリア」
「はい」
「……それは魔物なのだろう?」
「はい、そうですね」
「危険性があるかもしれないから……、自分たちが持っていけたらと思うのだが」
「あ……、そう、ですね。ありがとうございます」
精一杯言葉を選んで、ジュリアからミルクラムを受け取った。
と同時に、再びビュルっと液体が吹きだし、彼女の口元にかかる。
(わあああああっっっっっ)
「っ、すまない」
「いえ。食用みたいなので、全然大丈夫です」
かわいい舌先がペロリと舐めとり、残りを細い指先がぬぐう。
「あなたも味見してみますか?」
そのまま笑顔で手を差しだされる。
(待て。舐めろということか? これを? ジュリアの指を??)
「いらないなら俺が」
いつの間に寄ってきたのかバートの声がして、取られまいと思って反射的に彼女の指を咥えこんだ。
(確かに美味くなくはないが……)
それどころではない。大火事だ。
(指先……、やわらか……)
「ふふ。そんなに舐められたらくすぐったいです」
(うわあああっっっ)
少し頬を染めて言われ、慌てて解放する。
今すぐ持ち帰りたい。いろいろなことを全部放りだして彼女に染まりたい。
(落ちつけ……、落ちつくんだ……)
「……ジュリア。まだついてる」
彼女の口の近くに残っているものを人差し指ですくって口元に差し出すと、パクッと咥えてペロリと舐められた。
(ああああああっっっっ)
とっくに正常な思考ができていない自覚はある。自覚はあるけれど、ムリだ。どうしようもない。
「いいな、オスカーくん。ジュリアちゃん、私にもくれるのと、あげるの、どっちがいい?」
「どっちもダメだ」
「オスカーくんには聞いてないし、これは私のお手柄じゃない?」
「お手柄じゃない」
「お手柄ですよ師匠。さすが師匠です」
ジュリアにしか丁寧語を使っていなかったバートがいつの間にかスピラにも丁寧になっている。
(二人まとめて海に沈めたい……)
「さっきも言ったけど、私はあなたの師匠になった覚えはないからね?」
「そう言わず師匠になってください」
「え、ヤダよ。私にはメリットないもん」
「なら、俺が勝手にそう呼んで勝手にいろいろ教わりますね」
「いろいろっていうのは?」
「もちろん、どうジュリアさんにアプローチ、もがっ」
ジュリアから預かっていたミルクラムをバートの口に突っこんでおく。
「……ジュリア。少し二人で話したいのだが」
「えっと……、はい。喜んで……」
(かわいいかわいいかわいいかわいい)
少し恥じらいながら見上げてくるかわいさに耐えられない。思わず唇を触れ合わせ、なんとかそれだけでガマンして、指を絡めて手をつなぐ。
「あの島の裏へ」
少し離れた遠浅になっているあたりにある島を示してから(ん?)と思った。
見覚えがある。記憶に新しい。
「いや、あれは……」
「……アスピドケロンっぽいですね」
「沖から戻ってきたのか……?」
浮かされていた感覚が一気に抜けて、どう彼女の安全を確保するかに意識が向いた。
「この距離なら、このまま浜に戻れば害はないだろうか」
「……待ってください。あれ、上に人がいませんか……?」
ジュリアに言われてよく見てみると、背の上に人が座っているようなシルエットがある。
「エンハンスド・アイズ」
視力強化をかけて確かめてみると、間違いなかった。
「クルス氏より上の年代の、男性のようだ」
「振り落とされて食べられる前に助けに行かないと」
ジュリアがホウキを出して、人魚の尾ひれのまま横座りした。一人で行かせるわけにはいかないから、同じようにホウキに座る。初めて横座りをするのもあり、不思議な感覚だ。
その間にスピラも視力強化をかけて確認したようだ。
「あー、あれは大丈夫だよ」
「大丈夫?」
「うん。オスカーくん、よく見てみて。アスピドケロンの殻だけで、中身がないでしょ?」
「……そういうふうに見えなくもない、か?」
海に沈んで見えにくいが、頭があるべき場所に頭がないようにも見える。カメの仲間なら引っ込めているだけかもしれないという感じだ。
スピラもホウキを出して座った。
「まあ、みんなで行くのは賛成かな。魔法は解除するね」
「え」
スピラの言葉に慌てたのはバートとルーカスだ。ルーカスがすぐにホウキの魔法を唱えて浮かびあがる。変身魔法が解除されてから、自分とルーカスは座り方を直した。
「ジュリアさん、俺をホウキに乗せてください」
ミルクラムを手にしたバートが泳ぎにくそうに言ってきた。
「沈め」
「あはは。ホウキの二人乗りの意味を知った上で言ってるだろうから、それにはぼくも賛成だけど。
とりあえずぼくのホウキに乗る? それとも、わ・た・し?」
「裏声はやめろ! 顔とのギャップの処理が追いつかない」
バートが文句を言いつつも、ルーカスのホウキの後ろに乗せてもらう。乗せてもらう側なのに残念そうなことにイラッとする。
「全員洗って乾かしちゃいますね」
ジュリアが魔法を唱えてくれる。
「これがジュリアさんの感覚……!」
「ルーカス、落としていいぞ」
「うん。気持ちとしては賛成」
苦笑しつつもルーカスは乗せたままだ。
全員でスピラの後について飛んでいく。ホウキで飛べばすぐの距離だ。
スピラが空から、甲羅の上の人物に声をかけた。
「食事には満足した? ペルペトゥス」




