10 交換魔法と夜食と朝食
「……あの、オスカー?」
「ん?」
「人前でこの体勢は恥ずかしいのですが……」
オスカーとルーカスが泊まっている部屋のベッドにオスカーが座って、その上に乗せられて後ろから抱きしめられる形になっている。
彼を感じられるのは幸せだけど、スピラとルーカスがいる前だと、ものすごく恥ずかしい。
「安全対策だ。気にしなくていい」
「あはは。ぼくも気にしなくていいと思うよ」
「私はものすごくうらやましい。私もそれしたい」
「え、オスカーの膝の上は師匠でもダメですよ?」
「そっちじゃないよ?!」
向かいのベッドにルーカスと並んで座っている師匠から、全力で違うと言われた。隣のルーカスが笑う。
逆の可能性を考えてみるけれど、自分を乗せたところで重いだけだと思う。
「それで、師匠」
「スピラ。しばらく会わないうちに呼び方が戻ってるよ? ジュリアちゃんの師匠は私であって、正確には私じゃないからね」
言われて思いだす。自分の師匠は前の時のスピラだ。自分にとっては師匠だけど、今のスピラにとって自分は弟子ではない。
「スピラさん。ペルペトゥスさんは……」
「あーあ、ペルペトゥスペルペトゥスって、私もジュリアちゃんにそんなふうに求められたいよ。
ほんと大変だったんだよ? 久しぶりに行ったらダンジョンは更にグレードアップしてるわ、じいさんハッスルしちゃって本気でじゃれついてくるわ、さすがの私もヘトヘト」
「それは……、お察しします……」
前の時は自分がその洗礼を受けたのだ。大変さはよくわかる。この短期間で戻ってこられたのはスピラだからだろう。
「で、本人は、久しぶりに動いたのと外に出たのとで腹が減ったから食事をしてくるって。この家の場所は教えたから、そのうち来ると思うよ」
「そうなんですね。スピラさんは一緒に食事に行かなくてよかったんですか?」
「ペルペトゥスと? 嗜好が違いすぎてムリかな。私はむしろジュリアちゃんを食べた……、じゃなくて、ジュリアちゃんと食べたいよ」
一瞬オスカーから冷気を感じた気がする。
「夕食は?」
「ひとまずジュリアちゃんと話そうと思って来たから、食べてないよ」
スピラが空腹を示すように軽く腹部に触れる。
「なら、少し何か作りましょうか。他のメンバーには言えないけど、スピラさんが分けてくれた髪も助かったんです。お礼をしないといけないことはいろいろあるのに、あまりできることがないので」
「ほんと? やったあ! 髪、もっといる? あと爪とか……、ジュリアちゃんなら唾液でも精液でも血でもなんでも分けてあげる」
「ジュリア、ダークエルフの生爪をはいでもいいか?」
「落ちついてください、オスカー。多分、他意も悪気もないと思います……」
「私、何か変なこと言ったかな?」
「気持ちはありがたく受けとりますね。何かあったら相談させてください」
「うん。なんでも言って」
「甘やかさない方がいいと思うが……」
「私たちの問題を手伝ってもらっているので、むしろ甘えてる感じでしょうか。私はスピラさんに感謝してますよ」
「ジュリアちゃん大好き!」
スピラが跳ねて飛びついてこようとしたのを、オスカーが片手で止める。
「半径十メートル以内に近づくな」
「条件がすごく戻った?!」
苦笑しつつ流して、台所に向かう。
「バーベキューの時に残った食材と……、足りないぶんは取り寄せちゃいましょうか」
「取り寄せる……?」
オスカーが不思議そうにする。そういえばこの魔法は、彼のために密かに使ったことはあったけど、見せたことはなかった。
「はい。交換する物の価値より少し高いお金と、お店の商品を入れ替えられる古代魔法があって」
「クイド・プロ・クオ?」
「はい」
前の時に師匠から習った魔法のひとつだ。スピラが知っているのは当然だろう。
「便利だよね。何かの拍子にお金が手に入った時はよく使ってたよ」
「お店は得するけど無断で変えるのはどうかというのもあって、私は普段は使わないようにしているのですが。夜なのでもうどこも閉まっているでしょうから」
硬貨を手にして、ほしい食材をイメージしながら古代魔法を唱える。
「クイド・プロ・クオ」
手元に大量のパンが現れた。
「あれ、思っていたよりだいぶ多いですね」
「多分、今日の売れ残りで廃棄予定だったんじゃない? 商品価値としてはタダ同然だから、持っていた硬貨分でその量なんじゃないかな。
食べ物に限れば、夜の方が少ないお金でたくさん手に入るから、私はいつも夜中に変えてたよ」
「そんな仕様があったんですね」
初耳だ。価値が変わるなんて考えたことがなかった。
様子を見ていたルーカスが目を瞬く。
「スピラさん、ジュリアちゃん、パン屋の金貨っていう童話知ってる?」
「童話?」
「聞いたことないですね」
「すごく有名なわけじゃないけど、かなり古くからある物語で、いろいろな国に亜種みたいな話があるらしくて。
ざっくり言うと、勤勉で正直者のパン屋が、外から来た新しいパン屋からイヤガラセをされて、パンが売れなくなるの。一生懸命焼いたパンを毎日泣く泣く捨ててて。
だんだん粉を仕入れるお金もなくなって、すごく困って。
そんなある夜、捨てる予定だったパンがぜんぶなくなってて、一枚の金貨に変わっていて。
そのお金でパン屋は新しい町で新しい店を開いて大成功、めでたしめでたしっていうお話」
「なるほど……」
「この状況のままだな」
「金貨しか手元になくて、お店に残ってるだけの全部のパンと変えたことがあったかも。かなり昔に」
「うん。そんな気がしたよ」
「え、お話の元がスピラさんってことですか?」
「多分そうなんじゃないかな? 旅をしながら時々使ってたから、いろいろな国に同じような話があってもおかしくないと思うよ」
(やっぱりできるだけ使うのやめよう……)
倫理的にというのもあるし、現代に伝説をよみがえらせたいわけではない。女神とか精霊とかも早く忘れられたいのに、これ以上黒歴史を増やしたくない。
話しながら肉と野菜を軽く温め、味を整えてパンに挟んでいく。
取り寄せたパンは、明日売るのは難しいかもしれないけど、今日明日で食べるには十分いい状態だ。
「明日の朝ごはんも作りましょうか。それでもいくらか残りますかね」
「なら自分も少し夜食をもらえるだろうか」
「いいね。ぼくもお願いできる?」
「わかりました」
軽めの三人分を用意する。
(なんでかしら。急に息子が増えた気分……)
翌朝、朝食の席で改めてスピラを紹介して、商会メンバーの自己紹介をしてもらった。
「あと、今回は不参加ですが、前にスピラさんが会っているブラッド・ドイルさんもメンバーです」
「へー、私がいない間におもしろいことになってるんだね」
「入りたいとは言わないのか?」
「私? ムリかな。戸籍がないから、組織には所属できないんだよね。影から力を貸すとかならしてもいいけど。ジュリアちゃん限定で」
「スピラさんはハッキリしてていいな。俺も師匠って呼びたい」
「バートさん?!」
一体なんの師匠なのか。混ぜるな危険な臭いしかしない。
「ところで、このやたらおいしい朝食はもしかしてジュリアさんの手作りですか?」
「簡単なものですが、お口に合ったならよかったです」
「おいしいよね、ジュリアちゃんのごはん」
ルーカスが笑顔で受けて、スピラが乗る。
「昨日の夜も作ってもらったんだけど、生き返るって感じで。私もうジュリアちゃんなしじゃ生きられなさそう」
「大げさですよ」
「昨日の夜?」
「はい。スピラさんへのお礼を兼ねて、オスカーとルーカスさんの分も、軽い夜食を出しました」
「それは俺も呼んでほしかったです」
フィンがバーバラに話を振る。
「バーバラは料理は?」
「も、もちろんできますわ! 明日の朝ごはんはわたしが作るから楽しみにしていてくださいませ!」
「それは楽しみです」
バーバラの手料理が食べたいのかと思うとほほえましい。
(あれ、バーバラさんが助けを求める目でこっちを見てる……?)




