32 友人の話の形を借りて
オスカーがスープを口にして驚いた顔になった。それから、すぐにやわらかな笑みがこぼれる。
「……すごくうまい」
(本当に気に入ってくれた時の顔……)
もう二度と見られないと思っていた彼のその表情が嬉しくて、胸がいっぱいになった。
全部飲んでもらえて嬉しいし、安心もした。
ずっと心臓がうるさい。
何もかも忘れて、またオスカーの腕に飛びこみたい。あの大きくて優しい手に、また撫でられたい。甘えられたらどんなにいいか。好きだと、大好きだと、本心を伝えられたらどんなに幸せか。
顔を見るたびに愛しさが募るのだ。
今、彼がそこにいること。それだけで、鼓動が収まりそうにない。
そうだとは知られないように、必死に平静を装うのでいっぱいいっぱいだ。
今回は助かったけれど、自分の業に巻きこんだら決して助からない。
あの時とは違って古代魔法が使えても、魔法自体が使えなければ意味がない。どんなに魔法を極めたところで、結果が先にあって事象が追っているような超常に抗う術はない。
それが身に染みているからこそ、彼に本心は見せられない。
見せられないけれど離れがたくて、彼が食事を終えても、すぐには部屋を出られない。
出会い直した日を思いだす。
彼と二人で屯所の一部屋に入れられた。あの日もこうして、見つめすぎないようにと思いつつも彼から目を離せなかった。
あの時と違って今はいつでも部屋を出ていけるはずなのに、足が床に貼りついてしまっているかのようだ。
あの日から再び時を重ね始めて、必死に距離をとろうと拒絶してきたのに、会えば会うほど思いがふくらんでいる。
(オスカー……。……大好き)
前の時の彼もずっと大好きだし、今の彼も大好きだ。彼という人が、どうあっても自分は好きなのだろう。
ジュリア・クルスはオスカー・ウォードを愛している。
たとえこの先の未来がどんな形になったとしても、それが揺らぐことはないだろう。
「……友人の話なのだが」
長い沈黙の後、オスカーが言葉を選ぶように言った。少し下がっていた視線が、しっかりと自分に向けられる。
「心惹かれている人がいて。……笑顔にしたいのに泣かせてばかりで。力になりたいのに、逆に迷惑をかけてしまう、と。
どうすれば、友人は彼の思い人の力になれるのだろうか」
ドクン……。
より一層、心臓が跳ねる。
友人の話という形を借りた彼の話なのだと、気づかない方がおかしい。
直球だと避けられるか拒絶されると思ってのことだろう。そんな気のつかわせ方をしているのが申し訳ないけれど、その予想は正しい。
ドクン……、ドクン……。
その問いになら答えてもいいのではないかという思いが大きくなる。本当はずっと話したかったのだ。自分のこととしてでなければ、後からどうとでもごまかせるだろうか。
「……私も、友人の話、なのですが」
同じように前置いて、言葉を探していく。
「その人は遠い昔に、大切な人を自分の業に巻きこんで殺してしまったんです。
最愛の夫を、娘を、両親を、娘の夫を、その家族を、友人を、上司を、後輩を……、関係が近い、全ての人を」
オスカーは黙って聞いてくれるが、その瞳が驚きを語っている。
重くならないように意図して明るく話を続ける。
「二十年、夫とは過ごしました。その先八十年近く、最愛の夫を救う方法を探しました。しわくちゃで力尽きる寸前のおばあちゃんになるまで。
ただの伝説だと言われていた、時を遡る魔法を使って、その人は若いころに戻りました。最愛の人の命を守るために、今度は出会わない決心をして。それなのに……、意図せず彼と再会してしまいました。
……その人が人生で最高に幸せな時に、その幸せを形作っている周りの全てを失う。それが、その人に刻まれている呪いです。決して、二度と、引き起こしてはいけない業なんです」
いつしかまっすぐに彼を見つめていた。
好き。
大好き。
ずっとずっと、愛してる。
そんな本心はしまいこんで、冗談めかして笑う。
「……なんて。ファンタジーにしても度がすぎているでしょう?」
オスカーが口元に手を当てて考えこむ。心の中にあるものを表現する術を探しているかのようだ。
そんな時の彼も、とても愛しい。
「……自分は、その友人も友人の夫も知らないから、予想に過ぎないが」
ぽつり、ぽつりと、反応を見ながら言葉を探すようにして音が重ねられる。
「彼女の夫は、彼女との二十年を過ごせて幸せだったのではないかと思う」
ぶわっと涙があふれた。
もしそうだったらどんなにいいか。他の誰でもないオスカーがそう言ってくれたことで、何かが浄化された気がする。
ゆっくりと、彼の思いが続く。
「……もし、二十年後に死ぬのだと言われても。あなたのいない五十年を過ごすより、そばで一緒に二十年を生きたい」
息が止まった。
(……ばか)
最初にそう思った。
(友人の話の体裁はどこに行ったの……)
なんて優しい言葉なのだろう。
なんて幸せな言葉なのだろう。
彼の前で泣いてはいけないと思うのに、涙があふれて止まらない。
(嬉しい。愛しい。大好き。愛してる。……苦しい)
例えそうだとしても。
例え、オスカーがそれでいいと言っても。
自分は嫌なのだ。
もう二度と、血に塗れた彼を見たくない。倒れる彼を見たくない。その心臓が止まるところにいたくない。
一面の赤が脳裏に浮かぶ。雷を受けて倒れた彼が重なる。
(怖い。怖い怖い怖い……)
とても怖い。
彼をこの世界から失うことだけが、何よりも怖い。
いつしか愛しさより恐怖が勝って、体が小刻みに震えていた。
「……クルス嬢」
心配そうな声がした。大丈夫だと言わないといけないのはわかっているのに、言葉を作れない。
壊れやすい大切な宝物を守ろうとするかのように、オスカーの腕が回される。
今、彼はここにいるのだという安心感と温もりが、彼の心音が、恐怖を押しかえしていく。
何度か口を動かして、それからやっと、声をしぼりだせた。
「私は……、それでも、あなたに生きていてほしい……」
(あなたを愛してる、から……)
隠し続けてきた思いは言葉にならないまま、全身から力が抜けていくのを感じた。
「クルス嬢……?」
かすかにオスカーの声が耳に入るけれど、答えられない。
そこで意識が途切れた。
「クルス嬢?! ……ジュリアっ!!!!!」




