39 幸せな朝と父からの呼び出し
懐かしい幸福感の中で目を覚ます。
(……ぁ)
オスカーに抱きしめられて眠っていた。
そういえば昨夜はワガママを言って泊めてもらったのだった。
思考がハッキリしてくると、オスカーにもルーカスにもものすごく迷惑をかけてしまったと思う。申し訳なさでいっぱいだけれど、それ以上に、二人の優しさがありがたい。
(……寝顔かわいい)
ついオスカーの寝顔に見入ってしまう。もうあどけなさは抜けているけれど、若いなと思う。いつまでもこうして眺めていたい。
「……あれ、ちゅーしないの?」
「ひゃっ……」
突然の声にビクッとする。少し離れたところのウォーターベッドでルーカスが起きあがり、ぐぐっと伸びるのと同時にあくびをした。
「するなら邪魔しないように黙ってようと思ってたんだけど、ジュリアちゃん動かないんだもん」
「……しませんよ。そんな寝込みを襲うようなこと」
「ん……」
小さくオスカーの声がしたと思ったら、もう一度腕の中に抱きしめられ、少し体重を感じる位置になる。
直後、唇が重なった。
(ひゃああっっ)
彼が壁になってルーカスからは見えないはずだけど、ものすごく恥ずかしい。それ以上に嬉しいけれど。
「……ジュリア。おはよう」
「お、おはよう、ございます……」
「……本物、だな」
「オスカー、寝ぼけてます……?」
「……幸せを噛みしめてる」
(ひゃあああっっ……)
嬉しい言葉と共にもう一度キスが落ちる。抱きついてもっとと求めたくなりそうだ。
「……ぼくは部屋に戻るから、気が済んだら出勤準備しなね」
ルーカスがもう一度あくびをして、持ちこんだ私物を持って部屋を出る。おかげでだいぶ冷静になった気がする。
「えっと……、泊めてくれてありがとうございました。一回帰って着替えてきます」
「ああ。……待ってる」
唇を触れ合わせるキスの後にそう言われると、戻ってくるしかないように思えてくる。
(でも寮の男性エリアから出勤っていうわけにはいかないわよね……?)
空間転移で直接来たから見咎められなかったけれど、本来女性は立ち入り禁止だ。
オスカーが少し考えるようにしながら訂正した。
「いや……、朝食をとれる店で待ち合わせるのはどうだろうか」
「あ、いいですね」
それなら堂々と一緒に出勤しても問題ないはずだ。嬉しくなって彼にキスを返す。
前にランチで行ったことがある職場近くの店で朝食もやっているらしいことを共有して、彼からルーカスも誘ってもらうことにした。これだけ巻きこんだのだから、ちゃんとお礼が言いたい。
名残惜しく思いながら、もう一度唇を触れ合わせてから、ユエルたちを連れて空間転移で直接自室に飛んだ。
父に待ち伏せられているということはなかった。
洗浄魔法も使って身だしなみを整える。あまり時間がない時には本当に重宝するし、今は帰宅を知られないためにも自室だけで完結できるのがいい。
空間転移で魔法協会の寮の裏に飛ぶ。店のあたりよりもひと気がなくて安全な場所をよく知っているから、その方が安全な気がした。そこからならホウキですぐだし、徒歩でも遠くない。
(まだ時間があるし、歩くのもいいかしら)
「ジュリア?」
歩きだしたところで、オスカーの声がした。寮から出てきたところのようだ。
「あ、オスカー。と、ルーカスさん」
「戻ってくるのはこの辺りの方が便利だった?」
「はい。まあ、もう父に知られているので、前ほどがんばって隠す必要はないのですが」
「どうだろうね? なるべく隠しておいた方がいいと思うよ。ここを離れたくなければね」
「……確かに、トールさんの身代わりにされたらたまらないですものね」
魔法卿専属として引き抜かれるのは避けたい。
三人で食事をとって、二人に知られないように会計を済ませておく。昨夜のお礼には足りないだろうし、オスカーへのお礼には全然足りないだろうけれど、ほんの気持ちだ。
それを知ったルーカスが苦笑する。
「年下の女の子におごられるのが落ちつかないのは、ステレオタイプに縛られてるのかなぁ……」
「自分も落ちつかないのだが……」
「このくらいはさせてもらえないと、むしろ私が落ちつかないので。二人とも、本当にありがとうございました。助かりました」
「……ああ。ジュリアが笑えるならそれでいい」
「うん。困ったらいつでも頼って。今日職場でクルス氏と顔を合わせるのも正念場だろうし」
「そうですね……。ありがとうございます」
出勤したのはもうにぎやかになっている時間帯だった。女性の先輩で直属の上司でもあるアマリア・ブルガムが最初に指輪に気づき、婚約の話になった。
聞きに来る人もいれば、聞き耳を立てている感じの人もいたが、すぐに父がものすごく不機嫌そうに出勤してきて、途端にパッと静まった。触らぬなんとかに祟りなしという感じだ。
「オスカー・ウォード、ジュリア・クルス」
勤務開始直後に父から呼び出しを受ける。
(ちょっと待って。職権濫用じゃない??!)
ものすごく腹が立つ。
オスカーがぽんぽんと頭を撫でてくれて、ルーカスがニッと笑った。
「クルス氏。その話、ぼくも聞いていいかな?」
「ルーカス・ブレア。お前には関係ない」
「まあ、そう言わないで」
軽い足取りでルーカスが父の元に行き、何か耳打ちする。父が眉をしかめ、ため息をついた。
「許可する。知られて困ることでもないからな」
ルーカスがひょいっと戻ってくる。
「第三者もいた方が多少はやわらぐでしょ?」
「ありがとうございます。……なんて言ったんですか?」
「んー? 今はまだ内緒」
そう言って軽く笑って流されるとむしろ気になる。
三人で父に連れられ、普段はあまり使われていない支部長室に入った。
(昨日の夜の話よね……?)
他に父からの用件が思いつかない。
父が盛大にため息をつく。空気が凍っている気がする。
「オスカー・ウォード、ジュリア・クルス」
(婚約許可は取り消すとか、そんなことにはならないわよね……?)
その可能性に思い至って冷や汗が出る。そうなったら本格的に家出して全面抗争しかないだろうか。
「お前たちにウッズハイムの魔法協会と冒険者協会から連名で指名依頼が来ている」
「……はい?」
完全に想定外の話だった。
職場で仕事の話をされたのだから、こちらの方が正しいのだろうが。
「ウッズハイムの管轄にある浄化案件だ。ウッズハイムの魔法協会には中級以上の浄化魔法が使える魔法使いがいないらしくてな。
この辺りだと対処できるのは私だけだと思うが、直接依頼がないのによその管轄にしゃしゃり出ることはできないし、そこまで暇でもない。
その場所にさえ行かなければ害がないタイプなため、放置してきたというのもある」
どこかで聞いたような話だ。
「場所は?」
「キャンポース山のウッズハイム側だ」
(家の浄化とは違う案件だけど、似たような内容っていうことね)
自分たちに指名依頼が来たのは当然といえば当然だろう。
ウッズハイムの魔法協会への引き抜きの話があった。それが実現していたら、ウッズハイムの魔法協会の魔法使いとして対処することになっていたはずだ。延期になったから、依頼として来たのだろう。
(日曜日に冒険者協会で話があるって言われたのもこの件かしら?)
その話ができなくて、次に行くのもいつとは話していなかったから、所属魔法協会に指名依頼が来た可能性はある。
仕事として話す父が淡々と続ける。
「なるほどな。お前たちが浄化案件の指名依頼に驚いていないということは、どちらかが中級以上の浄化魔法を使えるようになっていて、それが向こうに知られているということか」
「自分が」
オスカーが名乗り出てくれる。庇われている気がした。
「オスカー・ウォードか。ここ最近で使えるようになっているのは、魔法封じと上級防御魔法、それと中級浄化魔法。以上か?」
「解毒と、上級魔法を覚えた時に上級回復も。ただ、まだ試したことはない」
「驚異的な早さだな……。全てを報告する必要はないが、采配のために上司として把握しておく必要があることではある。
通常は半年に一度の確認でそう大きく変わらないのだが。これほど大きく変わった時には、以降は主体的に申告するように」
「了解した」
「……ジュリアは、シェリーも知らないのは空間転移だけか?」
「はい」
名を呼ばれた瞬間ビクッとしたが、質問にはちゃんと答えた。それ以上を知られたくはないからだ。
「どのくらい動ける?」
「……ホワイトヒルとウッズハイム間くらいです」
隣町までしか移動できないなら、上層部に目をつけられることはないはずだ。そう踏んで、父にもそう報告しておく。
「わかった。空間転移は特殊な魔法だ。誰でも使えるようになるものではない。できるだけ他の魔法使いの前では使わないように」
「わかりました」
その指示は自分がそうしようと思っていたことと同じだ。特に不服はない。
父がわずかに視線をさまよわせてから言葉を続けた。
「これは魔法使いとしての秘匿事項であれば答えなくて構わないのだが。誰から教わった?」
「私の空間転移はブラッド・ドイルさんです」
「怪盗ブラックか……。あまりこういうことは言いたくないが、ジュリア、友人は選んだ方がいい」
カチンとした。
「ブラッドさんはちゃんとした方ですよ。今はフィン様のところで働いていますし、元貧民窟を立派な村にしていますし」
「……オスカー・ウォード。ちゃんと手綱を握っていてくれ」
「善処する」
オスカーとしてはそう答えるしかないのはわかるけれど、頬をふくらませたくはなる。
「で、オスカー・ウォードは?」
「自分は秘匿とさせてもらいたい」
(私だとは言えないものね)
心臓がバクバクだ。
魔法使いの師弟関係は秘匿されることも珍しくない。父が答えなくて構わないと言ったのもその前提なのだろう。父は気にすることなく頷いた。
「なるほどな。この短期間、その年齢で、そこまで伸ばしたのには驚くばかりだ。正直、若い頃の私以上だろう。いい師匠についたな」
「それは間違いなく」
オスカーが全肯定してくれるのが嬉しくて、表情が崩れそうになるのを必死にこらえた。




