38 オスカーの部屋でのお泊まり
オスカーの腕の中でめいっぱい甘える。彼の温度と香りに包まれて彼の心音を聞いていると、少しずつ安心できてくる。
(……大丈夫。オスカーは生きてる。大丈夫)
自分に言い聞かせる。彼が雷を受けた瞬間、ショックで倒れるかと思った。無傷なのはすぐにわかったけれど、心が理解してくれなかった。
今日の父はあまりにひどい。自分たちを疑ったり、彼を試したり。親であってもしていいことといけないことがあるはずだ。
「……いっそ子どもを作っちゃいたいです。世界の摂理の呪いさえなければ」
彼と触れあうのをガマンしているのがバカらしくなった。自分は彼がほしいし、彼も求めてくれているのはわかっている。
その先に進まないのは世界の摂理の問題が大きいとはいえ、ちゃんとしてちゃんと認められたいという思いもあったのに、あんまりだ。
こうして彼と一緒にいられているのに、父への苛立ちにとらわれているのもイヤでしかたない。
ぎゅっと彼を抱きしめてから、そっと顔を上げて彼を見る。
「……オスカー」
「ん?」
「すみません、無理をさせて」
「いや。クルス氏の意図も理解したから、自分は問題ない。それより……、ジュリアはよかったのか? 空間転移が使えることを知られてしまったが」
「あー……、そうですね。まあ、言い訳のためにも短距離にしておいたので。ブラッドさんに習ってみたら使えたってごまかします」
「そうか」
「父とは話しませんが」
「仕事でも、か?」
「……仕事に支障が出ない範囲で?」
「ん」
褒めるようにオスカーが撫でてくれる。嬉しい。彼の手に頭を寄せておく。
「仲直りしろとか許せとは言わないんですね?」
「クルス氏がジュリアの地雷を踏み抜いたのはわかったからな。ジュリアの気持ちの整理がつくまでは無理をしなくていいと思う」
「……ありがとうございます」
彼の言葉は魔法だ。ささくれ立っていた気持ちがすっと収まった気がする。
「大好き」
ささやいて、彼の顔がよく見えるところまで体の位置を上げる。
「ん……」
そっと唇をすくわれて、同じように触れるだけのキスを返す。もっと彼に触れたいけれど、ハドメがきかなくなるわけにはいかないからガマンだ。
「……今夜はどうしたい?」
「帰りたくないです」
「……なら、シェリーさんには連絡を入れても?」
「そうですね……。明日、出勤はすると伝えてもらえればと。
朝空間転移で部屋に戻って着替えて行きます。空間転移が使えるのを知られたのは、ある意味では便利になったかもしれません」
「わかった」
オスカーが母宛に連絡魔法を送ってくれる。
「インフォーム・ウィスパー。シェリーさん、オスカー・ウォードだ。
ジュリアは落ちついてきたが、今夜は帰りたくないとのこと。自分が責任を持って預からせてもらえたらと思う。明日は出勤すると言っている」
そう待たずに母から返事が来る。
『ごめんなさいね、ウォードくん。手間をかけてしまうけれど、ジュリアをお願いするわ』
「……シェリーさんには頭が上がらないな」
「ふふ。そうですね。……ありがとうございます、オスカー」
「ん」
そっと撫でてもらって、安心して甘える。ちゃんと息ができるようになってきたと思う。
(……ちょっと待って)
帰らないということは、このままオスカーの部屋に泊まるということになるのではないか。それに気づいた途端に、元々うるさかった鼓動が更に加速した。
世界の摂理の件があるから手を出されることがないのはわかっている。だから期待してはいけないのはわかっている。それでも、一晩彼と過ごすということには変わりない。
(きゃああああっっっ)
なんて大胆なことを言ってしまったのか。気づいたら急に恥ずかしくなって、彼の胸元に隠れ直す。
一人で悶々としていると、優しい声がした。
「……ジュリアが落ちついたなら、自分はルーカスの部屋に行こうと思うのだが」
「え」
「このまま……、手を出さずに寝れる気がしないから……、この部屋はジュリアに使ってもらえたらと」
「それは……、さみしいです」
彼が配慮してくれているのはわかる。けれど、この部屋にいて彼がいないのはどうにもさみしく思ってしまう。
「……とりあえず落ちついてくる」
オスカーがベッドから出る。それだけで空気がひやりとして感じられた。どこか申し訳なさそうに撫でてくれて、それから部屋を出ていく。
(とりあえずっていうことは、戻ってくるつもりよね……?)
少しさみしいけれど、それならガマンして待てると思う。ひとまず起き上がって彼のベッドに座り直す。
さっきまでそこで抱きあっていたのだと思うと、それだけで顔が熱くなる。
(ひゃあああ……)
すごく大事にされていると思う。順調で何も問題がなかった前の時よりも、問題だらけでも一緒にいてくれている今の方がより強くそれを感じる。
(オスカー……、大好き)
彼の代わりに彼の枕を抱きしめて、軽くキスをした。
体感としては長く感じたけれど、実際はニ、三十分くらいだろうか。涙が完全に乾いて、顔も戻ってきた頃にオスカーが戻ってくる。
「おかえりなさい」
「……ああ」
「あれ、ルーカスさん?」
「こんばんは、ジュリアちゃん」
オスカーの後ろからルーカスが入ってくる。いつもの軽い感じだが、枕と毛布を抱えている。
「色々考えて……、相談して。自分が変な気を起こさないように監視に入ってもらうことにした」
「まあそう重く捉えないで。どうせ二人とも寝つけないでしょ? なら眠くなるまでみんなで遊ぼ? で、眠くなったら寝ちゃえばいいんじゃないかなって。ぼくは床でいいから」
「えっと……、それは悪いので、魔法でベッドを作りますね」
「え」
「ウォーター・クラフト」
魔法で出した水をベッドの形に変えて、今あるベッドから少し離して設置する。スペースの関係で小さめだけど、自分やルーカスには十分だろう。
「凄いね、水のベッド?」
「いろいろ試したのですが、魔法で出せるものの中だとこれが一番快適で。私は普段のベッド以上だと思ってます」
「部屋もベッドも出せるなら、どこに行っても野宿にはならないな」
「歳をとると完全な野宿はきつくて」
開発背景を伝えたらルーカスが吹きだした。オスカーも笑いをこらえているようだ。そんなにおかしなことを言っただろうか。
「あはは。ありがたく使わせてもらうよ」
ルーカスが椅子代わりに腰を下ろして、軽く目をまたたく。
「え、ほんと、これ、いいかも。オスカーも座ってみる?」
「ああ」
オスカーがルーカスの横に腰かけ、声を弾ませる。
「おもしろいな。やわらかいのに必要以上に沈まないし、思っていたよりも安定している」
「ね。冷たいかと思ったらそんなこともなくて、すごく快適でびっくり」
「ふふ。そのあたりはかなり試行錯誤しましたから。ウォーター・クラフト自体は簡単な魔法なので、今度教えましょうか?」
「今度なの?」
「失敗すると水びたしになるので、濡れてもいい場所で試すのがいいと思います」
「あはは。確かにそれはここだとまずいね」
話して、オスカーがルーカスを連れてきてくれたのは大正解だと思った。
オスカーと二人でいるとどうしても甘い空気になってしまう。そこにルーカスが加わるだけで日常に戻ることができる。さみしくないように一緒にいられて、間違いを犯す気にならないという完璧な答えだ。
「で、二人は婚約を認められたって?」
「……あ。そう、ですね。そうでした」
オスカーが雷撃を受けたショックが大きすぎて、その後のことは耳に届いただけでちゃんと認識できていなかった。改めて言われて、そういうことだったと理解する。
「オスカーががんばってくれたんです。ほんと、冠位魔法使いと決闘なんて、むちゃぶりにも程がありますよ」
思いだすだけで腹が立つ。けれど、それ以上に、オスカーはカッコよかった。
「凄かったんですよ? オスカー。父を相手に、むしろ押してて。私の魔法が禁じられた状態で私の方にサンダーボルトが飛ばなかったら、普通に倒していたんじゃないかなって思います」
「いくらか手加減はされていたかと思うが」
「どうだろうね? 小規模な対人戦だと、本当にオスカーの方が強いかもよ? 家の庭だとクルス氏が得意な大規模魔法は使えないだろうし。お互いに身体強化をかけても元が違うから、その辺りは圧倒的でしょ?」
「ああ。身体強化を主軸に戦ったのだが、そこでのイニシアチブはあったと思う」
「父の攻撃を強力な防御魔法で弾いて、回避を最低限にして飛びこむっていうのも凄いなと思いました。普通、思っても怖くてできないので」
「そのあたりは完全にジュリアのおかげだな。ジュリアがブラッド戦で使っていた戦法だし、魔力の増やし方と上位の防御魔法を習っていなかったらもっとずっと苦戦していた」
「あなたの努力の成果ですよ? この短期間でそのどちらも身につけたのも、アンドレアさんのところで鍛錬を重ねたのも、体作りを続けてきたのも。ふふ。本当に凄いと思います」
「……ありがとう。ジュリアに認められているのは、すごく嬉しい」
「で、晴れて婚約者になったんだね」
「……はい」
少し恥ずかしく思いつつ、左手の薬指の指輪を見せる。
「元々は虫除けにと思ったのだが。想定外の収穫だった」
「あはは。虫除けって。オスカーらしすぎて」
ルーカスがお腹を抱えて笑う。
「そうか?」
「家出のことを隠しても、その指輪だけで明日は騒ぎになると思うよ。そこは覚悟しておいた方がいいかもね」
「そうですかね……?」
前の時は職場に婚約指輪をしていっても、軽くおめでとうと言われたくらいだった。あとは女性の先輩たちからランチに誘われて、どんなふうにプロポーズされたのかを聞かれたくらいか。
「何人かはショックで顔が曇るだろうね。で、それぞれに昼はつかまって、質問攻めにあうんじゃないかな。家出を知られたくないなら、どう答えるかは打ち合わせておいた方がいいよ」
「それは確かに……」
そこまで考えていなかった。さすがルーカスだと思う。
それから必要なことを話して、その後一度部屋に戻ってユエル一家を連れてきた。思っていた以上にルーカスがジェットとの再会を喜んでいた。
いろいろなことを楽しく話して、しっかり夜が更けたところで安心して眠れた。




