34 [ルーカス] やらかした後のブルーマンデー
ブルーマンデー。そんな言葉とは無縁だと思っていたのに、無意識にため息が出ていた。
オスカーはその場では許してくれたけれど、時間が経って、改めてどんな顔をして会えばいいのかがわからない。
(まぁ、今まで通り普通の顔をしている以外にはないんだけど)
あんなにウキウキしていた出社が少し憂鬱だ。
ギリギリに行ってあまりオスカーと話さないという選択肢もある。けれど、そうした場合はこの感じを引きずる気がするから、あえていつも通りに早めの時間に向かう。
うまくいっていない時ほどまず前進、それでダメなら下がれがブレア家の家訓だ。
魔法協会に着くと、いつも通りデスクにオスカーゴミが落ちている。
(……ぁ、大丈夫かも)
オスカーの中はジュリアでいっぱいで、金曜の夜の自分のやらかしは端の端に追いやられている気がする。
「はよ」
それほど演技をしなくても、いつもの調子で声をかけられた。
「……ああ」
「今度はどうした?」
「ジュリアがえろい……」
「ぁー……」
この男が涼しい顔をして実は、いつも煩悩に振り回されているのは知っている。何があったかを聞く前にオスカーが顔を上げた。
「……いや、忘れてくれ」
気を遣われた気がする。無意識に髪をかきあげた。
「なに? 酔ったら部屋でお世話してくれるとでも言われた?」
「……やはり読心の魔法でもあるんじゃないか?」
「あはは。ないない」
自分は特殊能力持ちではない。ただの観察と推測とカンだ。
「金曜はぼくもブラッドさんもだいぶ飲んでたからね。飲み過ぎた人を見たらそういう発想になるかなって思っただけ」
「なるほど……? まあ、その更にナナメ上をいくのがジュリアなのだが」
「ナナメ上?」
「そこは言いたくない」
「そ?」
気を遣ったのではなく本気で言いたくないだけなようだ。どことなく嬉し恥ずかしいといった感じか。なんかえろかったのだろうというのだけはわかる。
(元人妻だから、ああ見えてジュリアちゃんの方が経験豊富なんだよね)
興味がない相手には興味がないというスタンスであまり女性と関わってこなかったのだろうオスカーが手玉に取られるのは仕方ない気がする。
そこまで思って、オスカーが言っていたことを思いだした。
「そういえば、幼なじみちゃん? のこと、よかったら教えてよ」
(あれ?)
オスカーが思いっきり眉をしかめた。想定していた反応とは違う。恋愛感情がない以前に、人としてもあまり好きではなさそうだ。
「ずっと嫌われていると思ってきた相手から急に好きだと言われて、ものすごく戸惑ったな」
「あー、そういう」
好きな相手に嫌いだと言うことを反動形成と言うらしい。自分は理解できるけれど、オスカーの中にはなさそうな概念だ。好きなら好きな態度をとるものだと思っている気がする。
オスカーは言葉だけで判断する人でもない。その子の場合は、態度からも好意は感じられなかったのだろう。
(ジュリアちゃんは最初からオスカー大好きがダダ漏れだったもんなぁ)
言葉では距離を取ろうとしていたようだが、自分が見た範囲では大好きオーラがまったく隠せていなかった。
肝心のオスカーはどっちを受け止めていいのかわからなくて混乱していたけれど、気になった女の子にあんな顔をされて追いかけない男はいないだろう。
「何より許せないのは……、道場の見学に連れて行ったジュリアへの態度が酷かったことだ」
「ジュリアちゃんはなんて?」
「気にしていなかったな。それでも自分はイヤだ」
「きみたちは自分に何かされるより相手に何かされる方が嫌いだもんね」
「それもあるだろうし……、メンツを潰された感じもしたんだと思う」
「まあ、オスカーのメンツもあるし、道場のメンツもあるだろうね。その子、よく追い出されなかったね」
「師匠、アンドレア・ハントの娘だからな。師匠も困っていたと」
「あー、家族だと逆にね」
「ずっとケンカを売られ続けてきたからな。心地よく一緒にいられるイメージは皆無だ」
「うん。オスカーとは相性が悪そうだね。オスカーは言い合いを楽しむタイプじゃないもんね」
「楽しいやつがいるのか?」
「まあ、たぶんぼくはオスカーほどイヤじゃないかな。つっかかってくる子って手玉にとって遊んだら楽しそうだし」
「……お前ならできそうな気もするな」
「でしょ?」
(うん、今まで通り)
何も問題はなさそうだ。ホッと胸を撫でおろす。
出勤者が増えはじめて、それぞれ始業準備に入る。そう経たずにジュリアも出てきた。
「おはようございます、オスカー、ルーカスさん」
「ああ、おはよう」
「はよ」
「ルーカスさん、あの後大丈夫でしたか? ブラッドさんはちょっとよろけていたので」
「そうなんだ? ぼくは大丈夫だったよ。オスカーが送ってくれたしね」
「よかったです」
彼女の方も通常運転なようだ。オスカーがうまくごまかしてくれたのだろう。安心したのと同時に、ほんの少しだけチクリとする。
(そんなものはいらないんだけど)
自分から意識と話題を逸らしておく。
「ブラッドさんの方も問題なかった?」
「一度よろけたのを支えた後は特には。翌朝も普通にしていたので、空間転移で帰った後も大丈夫だったのではないかと」
「……待ってくれ。誰が、だ?」
オスカーが驚いたように話に入ってくる。知らない情報があったようだ。
ジュリアは何を聞かれたのかわからない様子で首を傾けた。
「誰、ですか?」
「誰がブラッドを支えたんだ?」
「私が一番近かったので、私ですよ?」
「え、ジュリアちゃん、それって……、ブラッドさんがこう、よろけたとして」
「はい。こうやってがしっと」
(??!)
ジュリアが抵抗なく再現してくれる。完全に抱きつかれた形だ。
(うわぁ……)
これはアウトだろうという考えを、彼女のやわらかさといい香りが塗りつぶす。
(ヤバい)
大事な友だちの彼女で、彼女自身も大事な友だちだ。その立ち位置に何度も引き戻しているのに、体が彼女を異性として認識してしまう。
オスカーに鬼の形相で引き離された。
「……ジュリア」
「はい」
「とっさに人を助けるのはジュリアのいいところだと思う。が、できるだけ接触は避けてほしい」
「えっと……」
「……うん。オスカーの言うとおり。ジュリアちゃんはもっと、自分がかわいい女の子だっていう自覚を持って。ほんと」
「気をつけますが……、あの場で他に方法があったかは思いつかないです」
「倒れそうな男を見た時にどうすればいいかってこと? うーん……、魔法で浮かせちゃえば? 唱えるのは一瞬だし、絶対に倒れられなくなるし」
「あ、なるほど。わかりました。次からはそうしますね」
オスカーが盛大にため息をつく。ものすごく気持ちはわかる。
チラチラとうらやましそうな視線を感じる。流れとはいえ、ジュリアに抱きつかれていたからだろう。
(代われるものなら代わって……、いや、それは絶対イヤだな)
困りはしたけれど、それ自体がイヤなわけではない。むしろ嬉しいし、記憶の中に永久に留めたい。問題があるのは関係性の方だ。
(ジュリアちゃんがいっぱいいたらいいのに)
一人に一ジュリア。想像したら笑いそうになった。
(いっぱいいてもオスカーはひとりじめしそうだし、ジュリアちゃんはオスカーのことしか考えてなさそうだけど)
イメージを訂正して、こらえられなくてつい吹きだす。
「どうした?」
「ううん、なんでもな……プフッ」
「ものすごく気になるのだが」
「んー、ジュリアちゃんがいっぱいいたらなって思って、いたらいたでオスカーの一人ハーレムだなって」
「え、私がいっぱいいても誰得じゃないですか?」
「……嬉しいが、身が持たない気はする」
「え、それどういう意味ですか?!」
「あはは。一度に何人ものジュリアちゃんといちゃつけないもんね」
「いちゃっ……?!」
オスカーが想像しただろうこととジュリアがイメージしたのだろうことの差を埋めてみたら、ジュリアが真っ赤になった。かわいい。
オスカーも気恥ずかしそうだ。やはりこの二人を眺めているのは楽しい。
「ウォッホン!」
クルス氏のわざとらしい咳払いが聞こえた。
「さて、仕事しようかな」
ひとつ伸びをして切り替える。
気持ちは行きつ戻りつしているけれど、もうそれでいいような気がした。




