29 [ブラッド] ナイナイナイナイ
1話前とセットのお話です。
合わせてお楽しみいただけると嬉しいです。
(待ってくれ……。なんだったんだ、あの夢は……)
一人きりの部屋で目を覚まして頭を抱えた。金曜夜の商会打ち合わせ飲み会の翌朝だ。
元貧民窟、今はビレッジマダムユリアの端の方に家を構えている。みんなの家を建て直した時に一緒に作ったものだ。ほぼワンルームの小屋だけど、自分一人で生活するのには十分な広さだと思う。
わけがわからない夢だった。
見たことがない深い森で迷っていた。空間転移を唱えても何も起きないし、魔法でホウキを出すこともできなかった。
魔物のうなり声が聞こえて、なんとかここから抜け出さないとと必死に足を動かしたら、少し森が開けた場所に出た。
透き通ったキレイな泉があった。
(ありがたい)
にわかに喉がかわいている感じがして泉に駆けよる。
ここまではまだいい。問題はその先だ。
ふいに泉が光りだし、驚いていたら、中から女神の姿をしたジュリア・クルスが現れた。
(ああ、女神様……)
感動したような感覚と共にそう思った。現実だったら(なんでだよ)と内心でつっこむところだ。夢の中の思考は意味がわからない。
女神なジュリア・クルスが微笑んで、こう聞いてきた。
「あなたが落としたのは金のジュリアですか? 銀のジュリアですか?」
思いだしても意味がわからない。そもそも金のジュリアってなんだ。黄金像か? つっこみどころしかないのに、夢の中の自分は真剣に答えた。
「いや、そもそもオレは落としてない」
「正直者のあなたには、すべてのジュリアをあげましょう」
「は?」
どういうことかと思っていたら、泉の中から大量のジュリア・クルスが沸きだしてきた。金、銀、白、元々の色など様々だ。
(ここはハーレムか……?)
起きていたら全力で違うとつっこみたいところだが、夢の中の自分はもみくちゃにされて喜んでいた。
いい匂いがして、触れると柔らかくて、もみくちゃにされるのがむしろ心地いい。
もう一生このままでいいなんていうワケがわからない感想を抱いていたら急に足元が崩れて、落下する感覚の後に浮遊感があった。
バクバクする心臓を落ち着けようとするかのように深呼吸をする。
雲の上にいた。あたりは透き通った青空だ。
なぜ? と思うべきところなのに、違和感なく受け入れていた。
ジュリア・クルスが振り返ってほほえむ。
「雲に光が踊ってキレイですね」
「ああ」
やたらキラキラして見える、ジュリア・クルスの方が光よりもずっとキレイだ。
なんて思ったところで目を覚ましたのだ。なんなんだと激しくつっこみたい。
原因に心当たりはある。
女神のくだりは、新しく作られたユリア像の印象のせいだと思う。露出を控えた代わりに神々しさが増していた。
加えて、昨夜は飲みすぎた。理性が留守がちになっていたところでの、彼女との想定外の接触は衝撃的だった。
やわらかな感触と、かいだことのないいい香りがまだ残っている感じがする。相手が誰かを認識する前に、かわいいと思った表情が視界に焼きついている。
完全に、影響を受けた夢だ。
足元が崩れるというのも夢らしいメタファーだと思う。
(相手がジュリア・クルスだからなのか、女なら誰でもそう感じるのかを検証するんだったか)
昨夜そう思ってバーバラ・ショーに抱きついてくれと頼んだら拒否された。酒が抜けた今ならアウトなのはわかる。
(……いや待て。そもそも検証してどうなる?)
検証結果がノー、すなわち女性なら誰でも接触すればドキドキするのだとわかったとして、それはそれでイヤだ。だからといって結果がイエスだった場合、あまりに不毛すぎてイヤだ。
彼氏持ちというのもあるし、これから長くビジネスパートナーでいる可能性が高いのだ。余計な感情はないに越したことはない。
(なかったことにするのが一番だな。酒の席だったしな)
そう結論づけて、長く息を吐き出しながら起きる。
(まあ問題ないだろ)
考えることは山のようにあって常日頃彼女の顔が浮かぶわけではない。所詮は一過性のことだと思う。
そう思ったところに連絡魔法が飛んできた。
『ブラッドさん』
名前を呼ばれた瞬間に心臓が跳ね上がった。ジュリア・クルスだ。いつもの呼び方ではないように聞こえる。
(待て。なんでそんなに音が甘ったるいんだ……)
連絡魔法を介することで、より近くで聞こえた感じがしたのも大きいかもしれない。自室での至近距離だ。声だけの連絡魔法なのだとわかっているのに、心臓がバクバクして収まらない。
『おはようございます。ジュリアです』
(声でわかる)
律儀な感じがかわいくて、つい笑ってしまう。
『像の確認の件なのですが、今日伺ってもいいですか?』
内容を聞いて、なるほどと納得した。記憶はちゃんとある。新しいユリア様像ができたから確認に来るように昨夜伝えた件だ。
(それはそうだよな。用もないのに送ってくるはずがない。オレは何を期待して……、期待……?)
思いもしなかった言葉に驚いて、思考を止めるためにもう一度ゆっくりと長く息を吐いた。
(落ちつけ。よし、落ちついた。何もない。オレはなんとも思ってない)
「インフォーム・ウィスパー。今日ならいつでもいいぞ。着く時間がわかったら連絡してくれ」
普段通りに答える。ビジネスの距離感が大事だ。
いつでもと答えた手間、一応支度をしておく。
(そういえば介抱に来る話もあったな。不憫組に止められなければここに来ていたのか? ジュリア・クルスが?)
手を出す気はまったくなかったが、自分の部屋の中に彼女がいるのを想像すると、つい息を飲んでしまう。
(いやいやいや、ナイナイナイナイ……。番犬に殺される……)
冷や汗が出そうだ。本人がどうという問題ではないのだ。あの彼氏がいなくてフリーだったらアリだと思うが、つきあっている限りはナイ。
そこまで思って、つまりはそういうことなのだと理解した。
(ぁー……、マジか……)
どうしても手に入れたいほど好きなわけではない。けれどフリーなら一度つきあってみたいくらいには興味がある。それが本心のようだ。
(めんどくさ……)
余計な感情にはフタをしておくに限る。
再び連絡魔法が飛んでくる。
『ブラッドさん』
(だーかーらーっ!!! なんなんだ、その甘ったるさは!!! やめてくれ!!!)
彼氏に向けているような、愛しさをはらんだような音が耳に残るのだ。それだけで勘違いしそうになる。勘弁してほしい。
『今から、街からホウキで向かいます』
「ハァ……」
了解の返事をしたが、ため息しか出ない。朝からものすごく疲れた。




