19 断るのが苦手なのかもしれない
「……ジャスティン?」
少しして、キャンディスがジャスティンを見上げた。落ち着いた声だ。
「キャンディスですか?」
「ええ。……なんだかすごい夢を見ていたわ」
「夢?」
「ええ……。私のお腹の中にね、なんだかとてもあたたかいものが宿ったような……」
「キャンディス……」
ジャスティンがキャンディスを抱きしめる。
「ジャスティン?」
「私はあなたを心から愛しています」
「ふふ。知っているわ。私もよ?」
「……私とあなたの子を、心から愛せると思います」
「それは……、ええ。あなたと私の子なら、きっとかけがえのない宝物ね」
二人がそっと唇を重ねる。
「……ルーカスさん、これ、私たち出て行った方がいいですよね?」
透明化がかかっていて話が聞こえないのはわかっているのに、つい声をひそめて尋ねた。
子どもの姿のままのルーカスがいつもの調子で答える。
「あはは。盛り上がっちゃってるね。でもドアを開けたりしたらそっちに意識がいくだろうから。おとなしく見てた方がいいんじゃないかな」
「申し訳ないやら恥ずかしいやらってなりませんか……?」
「ぼくはあんまり気にならないかな。少なくともジャスティンさんはぼくらがいるのを知ってるはずだから、そこまでハメを外さないと思うしね」
「だといいのですが……」
少なくともキスは深くなっている。見ないように顔を背けても、声や吐息が聞こえてしまう。
(いいなあ……って、そうじゃない)
「……キャンディス」
「ええ……」
甘い熱を逃すようにジャスティンが息をついて、それから普段のトーンに戻った。
「ジュリアさんたちが来ています。あなたとディと約束した、ピカテットの子どもたちを連れて」
「あら。今日だったの? 最近あまり出られなくて、日にちの感覚がわからなくなっていたわ。おもてなしをしなくっちゃ」
「はい。なので、私は先に応接室に戻りますね。身支度を整えたら来てもらえますか?」
「わかったわ」
ジャスティンが扉を開けたタイミングで一緒に外に出る。キャンディスからは見えない位置で、ドアを閉めた。
自分とルーカスの透明化を解く。この辺りは人払いしてあるから、ルーカスが子どもの姿のままでも問題はない。
「お疲れ様でした、ジャスティンさん」
「いえ。ありがとうございました。助かりました」
「とりあえず急いでぼくの変装を解こうか。この姿でキャンディスさんに会うのは避けた方がいいと思うから」
「そうですね」
ジャスティンと子どもの姿のルーカスに軽く触れて、空間転移を唱え、オスカーが待っている応接室に戻った。
少しして応接室に来たキャンディスが飛びついてくる。
「ジュリア! 約束通り来てくれたのね。嬉しい!!」
「えっと……、ディさん、ですか?」
「そうよ! ふふ。さすがジュリアね」
甘えるようにすりすりされる。体の年齢よりだいぶ幼く見えて、かわいい。よしよしと頭を撫でると嬉しそうに笑ってくれた。
「ディ、キャンディスは?」
「わたしが約束してたからって、先に会うのを譲ってくれたの」
「そうでしたか」
「ディさん、約束通り、ピカテットを連れてきました」
伝えると、オスカーがピカテット一家を見やすいところに移してくれた。カゴからは出たままだ。
「まあ! これがピカテットなのね。子どももかわいいけど、大きくなってもそんなに大きくなくてかわいいのね」
「そうですね。気に入られると、頭や肩に乗ってきたりしますよ」
「補足すると、多分普通は乗らないことが多くて、ジュリアちゃん周りのピカテットが特別なんだと思うよ」
「まあ、特別なピカテットなの? すてきね」
話していると、一羽がキャンディスに寄っていく。好奇心旺盛な男の子だ。
(女の子が二羽、男の子が一羽だったのよね)
リリー・ピカテット商会としては、女の子二羽にはできれば子どもを産ませたい。キャンディスとは商会ができる前に約束しているから譲るのはOKだけど、もし女の子が選ばれた場合は協力をとりつけるように言われている。
「なでても大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
キャンディスが指先でそっとピカテットの頭を撫でる。と、その子は嬉しそうにすりよった。
「きゃあ! かわいいわ! かわいいわよ、ジャスティン!」
「はい、そうですね」
ディなキャンディスがはしゃいで、ジャスティンが小さく笑う。むしろはしゃいでいるキャンディスの方がかわいいとでも言いそうだ。
「手に乗せてみますか?」
「いいの?!」
「もちろんです」
キャンディスとたわむれていた子をそっとすくって、キャンディスのてのひらに乗せた。
「足ももふもふなのね。鳥みたいな硬さをイメージしていたのだけど、ぜんぜん痛くないわ」
「そうですね。多くの四足獣にあるような肉球もなくて、全部毛に覆われているんです」
ピカテットがキャンディスの手の上で軽く横になって身を任せる。
「きゃー! かーわーいーいー!!!」
ディなキャンディスは大はしゃぎだ。
「ジャスティン。この子! わたし、この子が飼いたいわ」
「はい。キャンディスもディが気に入った子でいいと言っていたので、いいですよ。
ジュリアさん、この子を引き取らせてもらっても?」
「もちろんです。夏の終わりには子育て期間が終わるので、ユエルが手放すタイミングでお渡しさせてもらう感じでいいですか?」
「あら、すぐではいけないの?」
「ペットとしては幼いうちの方がかわいいのはわかるのですが。野生のピカテットの子育て期間は四か月で、それを過ぎると群れから出されて、新しい群れを作るのだそうです。なので、群れから出されるタイミングが一番ストレスが少ないかなと」
「そうなのね。わかるけど、残念だわ。早く一緒に遊びたいのに」
「夏の終わりまで、楽しみにいろいろ用意してみるのはどうですか?」
「それはいいわね。あと、月に一回くらいは様子を見せに来て? それでがまんするわ」
「……わかりました」
巣立ちまではあと三カ月。月に一回見せに来るとして、増えるのはニ回だけだ。それならなんとかなるだろう。
「やったあ! ジュリアとも遊べるし、楽しみだわ」
オスカーとルーカスが、また安請け合いしてという顔で苦笑している気がする。
(……私、断るの苦手なのかしら?)
言いたいことは言う方だと思っていたけれど、最近の忙しさの原因は引き受けすぎな気がした。
一人だけキャンディスの部屋に連れて行かれて、人形遊びやおままごと、お絵描きなど、小さな女の子が好みそうな遊びをしばらくした。
(応接室に残ってる三人がなんの話をしているのか全く想像がつかないわ……)
「あー、楽しかった!! 大満足だわ。こんなふうにいっぱい遊んでもらったのは初めてよ」
「そうなんですね? ジャスティンさんはまだ忙しいんですか?」
「そうね。忙しいのもあるし……、ちゃんとお休みはとるようにしてるから一緒にいてくれることはあるのだけど。
ジャスティンはキャンディスの方がいいみたいなの。キャンディスもジャスティンがいるときはあんまり代わってくれないのよ。しかも記憶も見せてくれなくなってて。つまらないわ」
「そうだったんですね」
(いちゃいちゃしてる気しかしないのは、私がオスカーといるとそういう気になるからかしら……)
「……わたしももう、きっとキャンディスには要らないのね」
「え」
「ジュリアは聞いた? キャンディス、もしかしたらお母さんになるかもしれないの」
「……はい。まだわからない時期だけど、可能性はあると聞いています」
「もうコウノトリさんが教えてくれたわけではないのね」
「そうですね」
「もし本当にジャスティンとの子どもが産まれたら……、多分もう、わたしたちはみんないらなくなるわ。むしろ邪魔だと思うもの」
すぐには答えられない。子どもにとっては、確かに、キャンディスの別人格がいい影響を与えるとは思えないから。けれど、こうして話しているディがいなくなるというのはさみしい。
「……ディさん。時々しか来られないけど、来た時にはまたいっぱい遊びましょう?」
「ほんと? また遊んでくれるの?」
「はい。あと、ジャスティンさんにも遊んでもらって。ディさんが十分満足してから、キャンディスさんに戻ればいいと思います」
「……ジュリアは優しいのね」
「そうですか?」
「ええ。……ジャスティンが大事なのはキャンディスなのよ。わたしたちはキャンディスの体にいるから、キャンディスとして最低限大事にされているだけ。
でも、ジュリアは違うのよね。キャンディスもわたしも他の子たちも、みんな同じっていう感じ」
「……それは、確かに、区別したことがないかもしれません。私と相性がいいか悪いかはありますが」
「でしょう? だから遊んでいて楽しいの。……月に一度、来てくれるのを楽しみにしているわね?」
「はい。また遊びましょう」
流されたのではなく、そうしたいと思って、最初にそう言った時よりも納得感を持って答えた。
帰宅後にユエルたちに感想を聞いたところ、キャンディスのところに子どもを旅立たせることに異存はなさそうだった。
ピカテットの子どもたちの引き取り先が決まった。
男の子がキャンディスのところ、女の子二羽がビレッジ・マダムユリア。
状況が変わったため、結局、孤児院には話を持って行っていない。
(ピカテットのふれあい牧場が始まったら招待してみようかしら)
まだ先になるだろうけれど、夢は膨らむ。




