17 キャンディスの最後の人格
一度帰って一休みしてから、ユエルたちピカテット一家を連れだす。生まれて一か月近くになる子どもたちは、もう動きがしっかりしている。好奇心旺盛でよく動き回ることで、ユエルとジェットは苦労しているようだ。
結局、ジェットを預かったままになっている。ユエルとジェットと話しながら返すタイミングを考えているのだが、ユエルが休む時間をうまくとるためには一緒にいてもらった方がいいらしい。
一家そろって外出させることはあるけれど、しばらく職場には連れて行かないことになっている。平日の昼間は使用人に任せたままだ。
時々ルーカスから様子を聞かれている印象では、いないのはいないでちょっとさみしいようだ。ピカテットの会がリリー・ピカテット商会になったことで、参加証としてルーカスがピカテットを飼う必要はなくなったけれど、子育てが落ちついたら返そうと思っている。
ユエルとジェットには今日の目的が、子どもの里親候補に会うことだと伝えてある。古代魔法が使えることを知られたくないから会話魔法は解除していて、感想を聞くのは帰ってからだ。
魔法協会の寮の前で、オスカー、ルーカスと再び合流する。
「お待たせしました」
「今来たところだ」
朝と逆のセリフに笑みがこぼれる。
「ジェットもユエルちゃんも子どもたちも元気そうだね」
「はい、おかげさまで。なかなか返せなくてすみません」
「ぼくは大丈夫だよ。むしろ世話させっぱなしでごめんね」
「それは全然。むしろジェットにユエルたちがお世話されているのを眺めている感じです」
「はぐれだったわりに、そのへんしっかりしてるのは意外だね」
「ふふ、そうですね」
「それはそうと、朝は大変だったね。あの像、新しいのができたら引きとるんでしょ? どうするの?」
「壊すのが一番なんですけどね。ちょっと気が引けるというか」
オスカーが驚いた顔になる。
「それはもったいないと思う。秘密基地に置いておきたいのだが」
「え、置いておくんですか?」
いろいろな人に見られる村の大浴場よりはマシだけど、それはそれで恥ずかしい。
「オスカーは独り占めしたいんでしょ? オスカーエリアの一番奥にでも、女神の泉とか女神の祭壇とかそういう感じのを作ってもらえば?」
「なんですかその恥ずかしすぎる場所……」
「……いいな」
「オスカー?!」
「考えてみて? ジュリアちゃん。一糸まとわないオスカー像が女湯に置かれてたらどうする?」
なんてことを言うのか。つい思いだして顔を隠したくなるけれど、がんばって平静を装っておく。
「全力で回収しますね」
「壊せる?」
「……人目につかないところで大事に保管します」
「でしょ?」
「待て。全裸にする必要がどこにあった?」
「いやいや、女の子のあの感じって、男で言えばもう全裸に近いから」
(やめて……、全裸を連呼しないで……)
ものすごく恥ずかしい。
前の時に夫婦だったのだからもっと凄いこともしているけれど、記憶は遠い彼方だ。今朝の鮮明な印象には敵わない。
「で、保管場所として、クローゼットの奥とかはイヤでしょ?」
「そうですね……、それもなくはないけど、祭壇っていう発想はいいかもしれません……」
「ね? 作ってあげてね?」
「ううっ……、なんでこう、ルーカスさんと話していると丸めこまれる感じになるんでしょうか……」
「あはは。そろそろ行こうか? ディちゃんが待ちくたびれちゃう」
「そうですね」
ホウキで郊外に移動してから、空間転移で直接王宮に飛んだ。この時間にキャンディスの部屋に行くことを事前に約束してある。
飛んだ先の部屋には、ジャスティンとキャンディスの姿があった。
「こんにちは、ジャスティンさん、キャンディスさん」
「ようこそ、みなさん」
「こんにちは〜? 初めまして〜」
「え」
キャンディスから初対面のような反応をされる。困ってジャスティンを見ると、ジャスティンが苦笑した。
「初めまして、だと思います。みなさん、『マム』にはまだ会っていませんでしたよね」
「あ」
言われて、なるほどと思った。人格について言っていたのはデビルだったか。その中に確かに、マムという名前もあった気がする。
(騒動の最中に会わなかったからすっかり忘れていたわ……)
「キャンディスや他の人格とほとんど記憶を共有していないみたいで。私について理解してもらうのにもそこそこ時間がかかりました」
「そうだったんですね」
ジャスティンでそうなら、自分たちは完全に赤の他人だ。急に部屋に来たことを驚かれなかったところを見ると、ジャスティンが事前に話しておいてくれたのだろう。
「初めまして、マムさん。ジュリア・クルスです」
「オスカー・ウォードだ」
「ぼくはルーカス・ブレア。で、こっちの子たちが、ピカテットのユエルちゃんとジェット。子どもたちは引きとった飼い主に名前をつけてもらうから、名前はまだないよ」
「まあ〜、そうなのね〜」
とてもゆっくりゆったりと頷かれた。
にこにこと笑顔なのに、どことなく笑っていない気がするのは気のせいだろうか。
「ディちゃんと約束していたのですが。今日は会えなさそうですかね」
「そうですね……、お茶を用意させているので、そちらでお話ししてもいいですか?」
「はい。ありがとうございます」
ジャスティンに連れられてキャンディスの部屋を出る。
マムはにこにこと笑ったまま手を振って見送ってくれた。それに対してジャスティンが手を振り返したから、部屋に残すのは決まっていたのだろう。
応接室に案内される。さすが王宮という豪華さだ。あまり離れていても話しにくいため、一カ所に集まって座った。
ピカテットたちをカゴから出して遊ばせてもいいとのことで、甘えさせてもらって外に出す。全員自分の膝の上に乗ってきた。かわいいけどちょっと重い。
お茶とお菓子をすすめられ、少し口をつけたところでジャスティンが困り顔で話をきりだした。
「実は……、この数日、昼はずっとマムが出てきていて。疲れて眠るとキャンディスが起きてくるのですが」
「え、じゃあ、ほとんどずっとマムさんなんですね。キャンディスさんに会えているのはよかったと思いますが。ディちゃんやデビルさんはどうしたんでしょう」
「キャンディスによると、つまらないとすねているとのことでした。マムは二人については知らないと」
「人格同士で関わりがない、ということでしょうか」
「おそらくは」
王宮のお菓子をおいしそうにつまんでから、ルーカスが話に入ってくる。
「マムさん、急に出てくるようになったの?」
「急と言えば急ですね。キャンディスが昼に休みたがったときに、たまたまディもデビルも交代を嫌がったみたいで。元々自分から前に出る方ではなかったマムが出てきたのが始まりです」
「始まり、ということは……」
「はい。その後から、夜以外ずっとマムです」
「何か理由があるのでしょうか」
「それが……、『私の赤ちゃんはどこ? 会わせて』と」
「え」
想定外の言葉に息を飲んだ。
キャンディスは子どもを殺したいと言っていた。憎しみしかないと。ドウェインは子どもを虐待していた。だからここから引き離すのが最善だと判断したのだ。
子どもに思い入れがある人格があるという想定はしていなかった。
「……ホープ、だよね」
「はい。元の名はシリウスですね。ドウェインはマムに、王宮に戻れるくらい回復したら子どもに会わせると言っていたそうです。なので、王宮にいる今なら会えるだろう、と。そう言っていたドウェインはどこかとも聞かれました」
「そっか……。キャンディスさんや他の人格との記憶のつながりが薄いからこそ、子どもをただ子どもとして認識しているのかな。ドウェインに対する憎しみもないのかもしれないね」
「そうすると……、マムはキャンディスさんの中の、本当は子どもを愛したい人格……なのでしょうか」
そう思うと胸が痛い。大好きな人の子どもだったらきっと、こんなふうに憎悪と愛情が分かれたりなんてしなかっただろう。愛情のカケラに気づかないで引き離してしまったのは早計だったかもしれない。
そう思っていたら、ルーカスが思いがけないことを言う。
「愛したいのか、愛せない罪悪感なのかはわからないけどね」
「罪悪感、ですか?」
「うん。人の感情の中でも特に耐えがたいもののひとつが罪悪感だって聞いたことがあるから。もし別人格を生みだす元がキャンディスさんの耐えられなさなら、愛情よりも罪悪感かもしれない」
「父親がどんなにひどくても、子ども自身に罪はないですものね。頭ではわかっても感情的には許せなくて、でも許せない自分が許せないっていうのは、ちょっとわかる気がします」
「その辺りは推測の域を出ないだろうが。問題はマムが居座ってしまっていて、主人格のキャンディスまでも思い通りに動けないことなのだろう?」
「そうですね。どうしたものか……」
ジャスティンが小さくため息をつく。国王としての仕事も多いだろうに、キャンディスさんの問題も深刻だ。
みんなで悩んでいる中でも、ピカテット一家は平和そのものに見える。ちょっと癒されて、連れてきてよかったと思った。




