10 [オスカー] 甘やかしあいで落ちついていられるはずがない
(ちょっと待ってくれ……)
何が起きているのか。わかるのに、わからない。
秘密基地で二人きり。
広いソファの上。
座った状態で、ソファに膝立ちの彼女に頭を抱きしめられた。
豊満な胸に完全に顔が埋もれている。
柔らかく心地いい弾力と彼女のいい香りに包まれて、思考が溶けそうだ。
誰も来ない密室で二人きり。
彼女はその意味をどこまで認識しているのだろうか。
(手を出される想定は……、していないだろうな……)
先週、少し早く彼女の誕生日を祝った時もここでいい雰囲気になっていた。が、触れ合ったら幸せすぎて契約を発動させてしまうかもしれないと言われた。ものすごい殺し文句だ。
命と引き換える覚悟で手を出すわけにはいかない。万が一の時に悲しむのは自分ではなく彼女なのだから。
それは重々わかっている。が、頭でわかっていることと気持ちが求めてしまうのは別だ。
どうにも彼女は自分の忍耐を過大評価している気がする。あるいは、自分が彼女を求める気持ちを過小評価しているか、その両方か。
彼女といると、それまで知らなかった自分にばかり出会う。魔法を教えるためにと手を取られるだけで鼓動が早まって、触れれば触れるほどにもっと触れたくなるなんて、彼女に出会うまで想像したこともなかった。
「いつも守ってくれてありがとうございます」
そんなかわいいことを言って手に顔を寄せられて、抱きしめないでいられるわけがない。
けれど、その時はそこまででガマンするつもりはあったのだ。
甘やかしあいの提案とそれに続いた行動が想定外すぎる。
「私も……、まだちょっとへこんでいるので。あなたに甘やかされたくて。だから、甘やかしあいっこ、です」
彼女に包まれていると、いじけていたのがなぜかもわからなくなるくらい、愛しさと心地よさに溺れてしまいそうになる。
ゆるゆると頭を撫でてくれる手が優しい。彼女としてはそちらがメインなのだろうけれど、意識はやわらかな胸に向いてしまう。
(これは……、マズい……)
どこまでも甘えたくて、どこまで甘えていいのかとも思うけれど、抑えがきかなくなりそうでもある。
早く離れないとと思いながら、彼女の背に腕を回してそっと抱きしめた。
「……落ちつきましたか?」
「いや……」
(この状態で落ちつけるはずがないだろう……)
「なら、もう少しこうしていますね」
(嬉しいけれどそうじゃない……)
押し倒しそうになるという意味では完全に逆効果だ。
尋ねられているのはクエストで役に立てなくて落ち込んでいたことについてなのはわかっている。そんなことは今はもうどうでもよくなっているという意味では落ちついていることになる。
けれど、落ちついているかという質問にイエスとは言えない。
鼓動は早鐘のように打ったままだし、今にも愛しさがあふれそうだ。彼女を求めたいのと、そうしてはならないという思考が高速でせめぎあっている。
この状態を落ちついているとは言えない。
(ジュリア……)
どうしてこんなにもかわいいのだろうか。どうしてこんなにも愛おしいのだろうか。
もっともっと触れたいのをぐっとこらえて、わずかに顔を上げる。
誕生日に送ったペンダントが、彼女の胸の上で輝いている。
束縛と独占。それがネックレスを送る意味だという。そのつもりで買ったわけではないけれど、無意識にそうしたいのだと言われれば肯定するしかない。
「ずっと、独占しててくださいね?」
あの時返された言葉が愛しくて、どうしようもなく彼女がほしくなった。
(……ずっと、自分だけの……)
ひとつ息を飲む。それから深く息を吸って、ふくらみ続ける思いをどうにもできなくなってしまう前になんとか距離をとる。
彼女に触れる代わりに、幸運の四つ葉のペンダントトップにキスをして、彼女を見上げた。
嬉しそうな笑みが返る。かわいい。
けれど、いつもより少し影って見えるのは、まだいくらかへこんでいるのだろう。
(……自分のことでいっぱいいっぱいになっていたな)
助けられなかった子どもがいたことに、彼女がショックを受けているのは知っていた。
食事をする間や魔法の話をしている時は普通に振るまってくれていたけれど、フタをしていただけなのだろう。
誰かもわからない子どもだ。気の毒には思うものの、自分と近しいわけではないから、自分の中では距離がある。
けれど、彼女はもっと距離が近い。子ども自身への同情に加えて、子どもを亡くした親に自身を重ねている部分もあるのかもしれない。
「……ジュリア」
「はい」
「交代しよう」
「もういいんですか?」
「……これ以上こうしていると襲う自信しかない」
「おそっ、えっ……」
かわいい顔が瞬時に真っ赤になる。あおられているように感じるが、その先は二重にダメだとわかっている。
わかっているけれど全てはこらえられなくて、そっと唇だけ触れあわせた。進むも引くもギリギリの境界線上だ。
「……ぁ」
やわらかな唇から小さな吐息がこぼれた。もっと味わいたくなるのをぐっと飲みこむ。
「おすかぁ……」
(あああああっっっ……)
甘くとろけた声で名を呼んで、とろんとした瞳で見つめてくるのは反則だ。必死に抑えていたタガが簡単に外されてしまう。
「だいすき」
(うわああああっっっっ)
破壊力がすごい。今できることは、何も行動しないように自分を抑えこむことだけだ。
交代のつもりなのだろう。彼女がひざ立ちを崩して座り、自分の胸へと飛びこんでくる。しっかりと抱きしめられると、今度は下腹部に胸が押し当てられる形になる。
(これは……、ムリだ……)
完全に飛んでいってしまいそうな理性の紐を必死につかんで、今彼女が望んでいることを考える。
甘やかしあいっこと言っていた。そう言って胸に抱いて頭をなでてくれた。なら、今すべきなのはきっと彼女の頭をなでることだ。
息を飲んで、そっと彼女の頭に手を乗せた。やわらかな髪の中に指を滑らせていく。
「ん……」
甘い音と共に息の熱さが伝わった。正解ではあるのだろう。
(……気がおかしくなりそうだ)
自分のガマンにも限界があることを彼女も少しは知った方がいい。
甘えるようにほほをすりよせられる。
「……なでてもらえるのも……、あなたが私を欲してくれるのも。……すごく、嬉しいです……」
ぷつんと理性の糸が切れた気がした。どうしてこうも易々と限界を越えさせてくるのか。
「……ジュリア」
「はい」
「……すごく、恥ずかしいのだが」
「はい……」
「……、……早くジュリアがほしい」
「……はい」
頷いた彼女が顔を上げて、背中に回していた腕を首へと移す。
今度は彼女の方から唇を重ねられた。ほんの一瞬だけ触れて離れて、幸せそうな笑みを向けられる。
「少しでも早くあなたに私の全てをもらってもらえるように、がんばりますね」
意識が飛ぶかと思った。想定を軽々と越えてくるのはやめてほしい。




