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34 4月27日⑤ 過去は消えないけれど


 オスカーがブーケをテーブルに置いてベッドに腰かける。

(ちょっと待って。ちょっと待って。これってオスカーのベッドに座っていいってこと??)

 そう思うだけで心臓が破裂しそうだ。


「……ジュリア」

「はい……」

 呼ばれる音が甘い気がする。おずおずと彼の横に座ると、すぐに抱きよせられた。

(ひゃああああっっっ……)


「もう化粧が崩れることは気にしなくていいな」

「……はい」

(待って。化粧が崩れることって……)

 考える間に唇が触れあわせられる。息のしかたを忘れてしまいそうだ。


 ゆっくりと離れたオスカーがフッと笑って、軽く手の甲で口をぬぐった。

「やはり口紅は移るみたいだな」

「すみません……」

「いや。もう気にしなくていいのだろう?」

 言葉が終わるのと同時に再び口づけられる。

「ん……」

 この上ないくらい大好きで、全部が彼に染まっているのに、触れられるたびにもっと彼が大きくなっていく。


 再び離れて、視線が重なる。大好きが絡みあうような色だ。

「すまない。少し……、歯止めが効かなかった」

「……いえ。……嬉しい、ので」

 もう一度キスされて、それから大切に抱きしめられる。彼の背に腕を回す。

 オスカーを感じられて幸せなのと、止まらないドキドキと、もっとと求めたくなる気持ちが入り混ざっている。今はお互い必死にブレーキを踏んでいる気がする。


 オスカーが恥ずかしいことを告白するかのように、小声でささやいた。

「少し……、いや、だいぶ……、うらやましいなと」

「はい……。そう、ですね……。私も。うらやましいです」

「……そうか」

 ジャスティンとキャンディスは幸せそうに輝いて見えた。自分たちは結婚式を迎えられる日が来るのだろうか。


 見つめあって、どちらからともなくキスをする。何度か触れあって、大好きを伝えあう。それでも足りなくてもっとと思うけれど、これ以上は止まれなくなりそうだから、ぐっとこらえて距離をとる。

 呼吸が落ちつかない。


「……花嫁のブーケをもらうと次の花嫁になるのだったか」

「そのつもりでくれたのだと思います。密かに、友人として招待してほしいと言われたので」

「そうか」

 鼻先にキスが落ちて、お返しに彼の鼻先にも口づける。


 オスカーが長く息をつく。

「いつでも来ていいと言ったが。ジュリアが自分の部屋にいるというだけで……、理性が消えてなくなりそうだ」

「……私だって。ガマン、してるんですよ?」

 すぐに口をふさがれた。何も考えられなくなりそうだ。

 自分からも彼を求めていく。オスカーの手が背中を撫でてくれるだけで、愛しさが全身をける。

 もうどちらからも止まれそうにない。


 ふいに外から、連絡魔法の光が飛びこんできた。

『ジュリア、今どこにいる?』

「ひゃっ……」

 父の声に驚きすぎて心臓が飛び出るかと思った。反射的にお互いに距離をとる。


「お、おおおっ、お父様?!」

(エスパー?! それとも何かバレた?!)

 一瞬そう思ったけれど、続いた言葉で、ただの緊急連絡だということを理解した。


『なるべく早く帰れるか? ユエルが産気づいているらしい』


 もう一度だけオスカーとキスをしてから、透明化、空間転移で最速で家の庭まで戻った。

 一度秘密基地に入って、魔法で急いで着替え、魔法で化粧を洗い流す。ブーケには保存の魔法をかけておく。飾るのはまた今度だ。


(魔法使いって便利……)

 もし魔法が使えなかったり、使えないふりをしないといけない時だったら、ここまでで一時間以上かかるだろう。今はものの五分くらいだ。


 日常程度の化粧をし直しておく。簡単なもので、それほど長くはかからない。

(ホワイトヒルでのデート中にホウキで急いで戻ってきた……、っていうことで多分大丈夫なはず)

 もし聞かれた場合の返答を用意して、透明化して家のドアの前まで戻る。人目がないことを確かめてから透明化を解いて、家に駆けこんだ。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ジュリア」

「よく帰ってきた。間にあったな」

「お父様、ご連絡ありがとうございました」

 ユエルのことを知らせてくれたのもそうだし、あのタイミングで止められたのも、今から思えばありがたい。やっぱりジャスティンたちのようにちゃんとしてからの方がいい。


「そばについていてやってくれ」

「はい」

 父がだいぶ面倒なこともあったけれど、根本的には嫌いではないと思った。

 少なくとも魔法卿よりはずっと、相手を気づかったり大事にしたりすることができる人だ。子どもが産まれることの重みも大変さもちゃんと知っているからこそ、緊急連絡をしてきたのだろう。


 ユエルのカゴの前に行って様子を見る。出産用にタオルが敷いてある。ユエルはその上でじっと力んでいて、一羽目の頭がかすかに見えるかどうかといった感じか。


「お父様、お母様。オスカーとルーカスさんを呼んでもいいですか?」

「ええ、もちろんよ」

「ルーカス・ブレアのところの子だからそれはいいとして、オスカー・ウォードもか?」

 自分と母の視線が飛ぶ。

「……いや、なんでもない。好きにしなさい」

「ありがとうございます」


 二人に連絡魔法を飛ばす。

 オスカーと別れる前に、親の許可が取れたら連絡するからルーカスに知らせてほしいと頼んである。正装から着替えてスタンバイしているはずだ。すぐにホウキで飛んでくるだろう。


 一羽目の頭が抜けた。すぐに全身が出てきて、ユエルが舐めていく。子どもが自力でころんと転がって、ちゃんと生きているのがわかる。

 命の誕生に立ちあっている実感が湧いた。


「動物の子ってすごいですね。人間だったら泣くだけで微動びどうだにできないのに」

「ふふ。そうね」

 四つ足とはいえ、まだ立って歩けるわけでも飛べるわけでもないけれど、転がれるだけでもすごいことだ。


(クレアが初めて寝返りをしたの、いつだったかしら……)

 腹這はらばいまで数ヶ月はかかっていた。もういないことにチクリとはするけれど、今は嬉しかったこととして思いだせている。


 ノッカーが鳴った。使用人に通されて、オスカーとルーカスが入ってくる。


「ジュリアちゃん、連絡ありがとう。ジェットも連れてきたよ」

「ありがとうございます」

 ユエルとは事前に、もし間にあうならジェットにいてほしいかは聞いてある。できる範囲でと言われている。


 二羽目、三羽目が立て続けに出てきた。ユエルが力尽きたように横になって、カゴにジェットが飛びこんでいく。代わりに子どもたちを舐めてきれいにしていくのが、なんとも微笑ましい。


(全然出血しないのね)

 赤く染まらないのは助かった。昔は平気だったけれど、あの事件の後からはなるべく血を見たくない。


 しばらく様子を見たけれど、それ以上の変化はなさそうだ。

「落ちついた、かしら」

「みたいだな」

「今回は三羽だね」

「四ヶ月くらい子育てをしたら親元を離れるそうなので、それまでに譲り先の相談をしないとですね」


「今日明日はジェットを置いていく? 月曜に返してもらえばいいし、ジュリアちゃんちがよかったらしばらく置いておいてもいいし」

「そうですね。様子を見て、月曜にまた相談させてください」

「オーケー」

「二人とも、来てくれてありがとうございました」

「いや」

「むしろ、呼んでくれてありがとう? ぼくも父親になった気分だよ」


「ルーカスさん、私たちっておじいちゃんおばあちゃんなんでしょうか」

「え、なんで?」

「ユエルとジェットの親みたいな立場だから?」

「あはは。じゃあ次の世代が産まれたらひいおじいちゃんとひいおばあちゃんだ」

「そこは飼い主でいいのでは? どちらに対しても里親という立場だと思う」

「あ、そうですね。確かに」


 子どもの出産を見守った気分に近い気もするけれど、それとはやっぱり違うような気もする。オスカーが言うように、下の世代に対しても養育者や飼い主という立場でいいのかもしれない。


「二人は明日も来ますか?」

「いいの?」

「はい。お父様たちに話しておけば大丈夫かと。今日の明日ではさすがにユエルたちを連れだせないし、置いて出るのもなんなので、よければ」

「ああ。それなら来させてもらう」

「うん、ぼくも見に来させてもらおうかな」

「はい、ぜひ」

 明日の約束をして、二人を玄関まで見送っていく。


「あ、オスカー」

「どうした?」

「……ありがとうございました。4月27日。おかげでなんとかなって……、上書きできた気がします」

「そうか」

 オスカーが嬉しそうに目を細めて、そっと頭を撫でてくれた。優しい手にもう少しだけ甘えておく。


「あ、今日だったんだ? ジュリアちゃんのXday(エックスデイ)

「Xday……。そうですね。一年で一番怖い日が、少しステキな日になりました」

「式に加えて、新しい命も誕生したしな」

「はい」


「オスカーの部屋に初めて入ったし?」

「ちょっ、ルーカスさんっ」

 声をひそめてはくれたけれど、万が一にも父の耳に入ったら大事おおごとだ。

「あはは」

「もう……」


 二人がホウキに乗って浮かびあがる。見えなくなるまで手を振った。


 過去が消えることはないけれど、長年止まって固まっていたこの日の時間が、やっと動きだした気がする。


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