32 4月27日③ 幸せのバトン
戻った時は歓談の時間の終わり頃だった。そろそろ主役の二人が来るというアナウンスが聞こえる。
「おかえり、オスカー、ジュリアちゃん」
ルーカスが笑顔で迎えてくれる。
「すみません、お騒がせしました」
「大丈夫なのか?」
ブロンソンが心配そうに聞いてくれる。
「はい。もう平気かと」
ルーカスが自分たちにだけ聞こえるように声をひそめた。
「オスカー、口紅……」
「え、つけてないはずですよ?」
「ああ。化粧は崩れないように気をつけていたはずだ」
「……ついてないねって言おうとしたんだけどね。気をつけて、何してきたのかな?」
「ルーカスさん……、わざとですよね」
「あはは」
熱くなった頬を手でおおって、むうっとルーカスを見る。それから、ふと気づいた。少し残っていた緊張感も抜けている。
(……わざと、だわ。きっと)
そう指摘した時とは違う意図を感じる。わざと、自分の力を抜いてくれたのだろう。オスカーとはまた違う形だけど、ルーカスの存在もとてもありがたい。
会場が一度暗くなって、それから入り口に魔道具のスポットライトがあたった。
純白のドレスにお色直しをしたキャンディスが、ジャスティンにエスコートされて入ってくる。
(キレイ……)
晴れ晴れとして輝いて見える。
一度席についてから、各テーブルを回る時間があった。
「みんな、来てくれてありがとう」
「その節はお世話になりました」
先に魔法卿に挨拶するものだと思っていたら、真っ先にこちらに声をかけられる。いたたまれない。
「おめでとうございます。お二人ともよくお似合いです」
「ありがとうございます」
「嬉しいわ。今日はゆっくり話す時間をとるのが難しいのだけど、よかったらそのうち遊びに来てね」
「ありがとうございます」
ジャスティンがブロンソンと、昔の仲間たちと言葉を交わして、魔法卿のところで態度がよそ行きに変わった。
他のテーブルを回る間、ゆっくりと残りの食事を進める。
「嬢ちゃん、聞きたいことがあるんだが」
魔法卿から声をかけられて、内心ギクリとした。
(キャンディスさんたちとの関係、よね?)
ルーカスが友人とは伝えている。けれどそれにしても近いとか、お世話になったというのがどういうことかとか聞かれるとかなり困る。
(どうしよう……)
心臓が跳ねるのを抑えながら、なるべく落ちついて尋ね返す。
「……はい、なんでしょう」
「ソフィアは苦手か?」
「え」
思っていたのとまったく違っていて、つい驚きが前に出てしまった。
ソフィア・フェアバンクス、魔法卿の奥さんの前では普通にしていたはずだ。なぜそんなことを聞かれるのかもわからない。
「えっと……、ソフィアさんのことは尊敬してますよ?」
「ソフィアが、この前会ってから連絡がつかないと言ってそわそわしているんだが?」
「あー……、すみません。お手紙のお返事をお待たせしてしまっているからですね」
書かないととは思っていたけれど、あの日から今日まで向き合う気持ちの余裕がなかった。
「ソフィアさんがどうではなく、私に余裕がなくて。近いうちにお返事できればと思います」
「おう。で、次はいつ来るんだ?」
「次、ですか?」
「そうだ。今日帰ったら、嬢ちゃんに会ったことを報告するだろ? 手紙の件も伝えるとして、具体的な成果があるのとないのとでは俺の待遇が変わる」
「ふふ。そうでしょうね」
自分の待遇の話をしつつ、ソフィアさんのために話している感じが少し嬉しい。
「明日はどうだ?」
「明日、ですか?」
自分は問題ないけれど、家にいた方がいい気はする。
「そうですね……、実は、身重で」
「は?」
魔法卿が自分とオスカーの顔を見比べる。
「違う。ジュリアのピカテットの話だ」
「ああ、ペットか」
「一応、使い魔です」
「使い魔? ピカテットが? 役にたつのか?」
「まあ、それなりです。話を戻すと、うちのピカテットが身重で、今月末あたりが予定日だろうと言われているんです。今日も両親に頼んで出てきているので、連日はちょっと……、と」
「一緒に連れてくればいいだろう」
「……今は余計なストレスをかけたくないので」
ソフィアの話のときにも思ったけれど、この人は妊娠出産を軽く見ている気がする。
確かに病気ではないし、時期によっては普通に近い生活もできるけれど、普通の状態よりもはるかに負担はあるのだ。
「じゃあ、いつ来るんだ?」
「うーん……、来週はまだどうなっているかわからないし、産まれてすぐも心配なので……、三、四週間後ですかね」
「ずいぶん先だな。まあいい。三週間後の土曜か日曜でいいか?」
「三週間後の日曜日で。オスカーはいいですか?」
「ああ」
「なんだ、お前も来るのか?」
「いや」
「最近、休日はいつも一緒にいてもらっているから。時間が空くなら予定を入れたいかと思うので」
「そんなことにも気をつかうのか?」
「気をつかうというか。普通ですよね?」
オスカーの時間をもらっているのだ。予定のすり合わせは当然のことで、気をつかっているわけではない。
「普通……?」
「え、ソフィアさんに事前に予定を言っていたりは」
「しないな。ソフィアには予定もないだろうし、当日で問題ないだろう。昔からそうだぞ? 時間が空いたらその日に誘いに行っていた」
「……魔法卿が忙しいから、というのはあるかもしれませんが。ソフィアさんは本当にすごいなと思います……」
予定の見通しが立たないのはストレスではないのか。自分よりずっと寛大な人だと思う。
ジャスティンとキャンディスが一段高い席へと戻る。司会のアナウンスが入り、会場が静まった。
「本来であれば式の終わりに花嫁から父母への感謝を伝えるのが多くの国での慣例ではありますが、残念なことに、キャンディス様のご父母であらせられる前王様と王妃様は既に鬼籍に入られております。
そのため、お二人からはご友人への感謝を述べられたいとのことでございます」
(……そっか)
初めから怯える必要はなかったのだ。キャンディスには、母への手紙を宛てるべき母はもういない。それは本来なら同情すべきことなのだけど、今はホッとしてしまう。
ジャスティンとキャンディスがその場に立ち、ジャスティンが口を開く。
「今日この場に私たちが立てたのは、私たちを信じ、支え、力添えしてくれた友人たちのおかげです。苦しいときに私の居場所となってくれた友人たちにも深く感謝しています。
その上で、ここでは特に、古くから私を兄のように見守ってきてくれた、友人のギルバート・ブロンソンへ。最大級の謝意と共に、本国の銘酒『淡雪の雫』をお贈りします」
その言葉に合わせて、台車でお酒が運ばれてくる。樽だ。ヒト一人は入れそうな大きさがある。
「ブロンソン様、どうぞお受け取りください」
「あー、これはアレか」
ブロンソンが笑って前に行き、一度ジャスティンに頭を下げる。
「ギルバート・ブロンソン。ありがたく頂戴する」
それから、運ばれてきた大樽を軽々と持ちあげて、高々と掲げた。
会場から大きな拍手が巻きおこる。
「おもしろい趣向だな」
「ふふ。そうですね」
「リリーさん、泣くか笑うかどっちかにしたら?」
「泣いてなんていないわよ? ……ふふふ」
居場所となってくれた友人たち。それはラヴァとトールにあてた言葉だろう。
立場的に名指しはできないし、魔法卿もいるところでその話はできないのだろうけれど、トールもまた息子の独り立ちを見送る父親のような顔になっている。
(いい式ね……)
とても暖かい気持ちになった。今日ここに来てよかったと思う。
続けてキャンディスの声がする。
「私からは、私たちの心と未来を取り戻してくれた友人たちへ、最大級の感謝を。みなさんの名をお呼びしたいところですが、代表して、ジュリア・クルスさん」
「……はい?」
まさか自分を名指しされるとは思っていなかった。オスカーとルーカスの顔を見る。ルーカスは明らかに笑いをこらえている。
前に出るように促されて、おずおずとキャンディスの元へと向かう。
「ジュリアさんへは、今日の私のブーケを。これからのあなたの幸せを願って」
(あ……)
キャンディスから渡されたそれは、幸せのバトンなのだと思った。心遣いが嬉しくて、目頭が熱くなる。
「……ありがとうございます」
「ぜひあなたの式にも呼んでくださいね? この国の国王と王妃としてではなく、あなたの友人として」
こそっと内緒話のように耳打ちされる。
「……はい」
その日を迎える難しさを、キャンディスたちには話していない。だからこそ屈託なくそう言われたのかもしれないし、話したとしても同じようにしてくれたようにも思う。
差しだされた大きなブーケをありがたく受けとる。
(秘密基地に飾ろうかしら)
植物の時間を止める魔法をかけて、今日の記念にずっと置いておくのもいいだろう。




