25 [オスカー] 彼女の恐れと愛しさと
「クレアの結婚式はいつだったんだ?」
事件があった日を直接聞くのはどうかと思って、遠回しな表現で尋ねた。
彼女の顔が一瞬で固まって、少し視線がさまよってから、小さな音が返る。
「……4月27日です」
(近いな。ルーカスの読み通りか……)
まだ少し先ではあるけれど、刻々と近づいているのには違いない。何かそれに意識が向くきっかけがあったのかもしれない。
「そうか」
「……気にしないでください。今はとても幸せなので」
そう言って笑ってくれるけれど、やはりいつものようには笑えていないのだ。彼女自身が気づいているかはわからないけれど。
「……ジュリア」
柔らかく呼んで優しく抱きよせる。
「ん……」
甘えるように頭をよせてくれる彼女がとても愛おしい。そっと額にキスを落とす。
「オスカー……」
愛しさを帯びた瞳の中に怯えがあるような気がする。
先週もそうだった。その正体がまだつかみきれていない。
ジュリアがそっと目を閉じて顔をよせてくる。求められるのに応じて、やわらかく唇を重ねる。
「?!」
熱を帯びた小さな舌が、全てを求めるように入ってくる。理性が溶かされて、彼女を欲する以外のことが消えてしまいそうだ。
けれど。やはり今の彼女は普通の状態ではないと思う。流されずにブレーキをかけるのは自分の役目だ。
彼女が小さく息をついだタイミングでそっと離す。
まぶたが開いて、うるんだ瞳が「なぜ?」と尋ねてくるかのようだ。
「……ジュリア。……何があった?」
何かあったかではなく、何かあったことを前提として尋ねた。忘れていられたはずのことが急に浮かんだのは、日付が近づいたというだけではない気がする。
彼女が数度目をまたたいて、それから胸元にぎゅっと顔をうずめてくる。そっと、大切に、包むように抱きしめる。
「……すみません。……最近、変でしたよね」
「そうだな……」
「いつも通りに見えるようにがんばってはいたのですが」
「自分に対してはがんばらなくていい」
「……そう言われると思ってました。でも、ちょっと言いにくくて」
「話すのはイヤか?」
「そういうわけではないのですが……。……日付が近づいているのに気づいてからふいに思いだす頻度が増えたのと、夢見が悪いのが続いているだけなので。心配をかけるのもどうかと」
「……昔の夢か?」
「そうでもあって、そうでもなくて……。最後にはなぜか、必ず混ざるんです。……今のあなたを失った感覚の中で目を覚まして。顔を見て安心して、でもやっぱり怖くて……」
抱きしめる腕に力が入る。すぐに言葉は見つからない。彼女の傷が深いのは理解していたはずなのに、想定よりも深いのを改めて感じた。
昔失った痛みなら、「今」によって薄められると思っていた。
けれど、これから失う恐れを、絶対にないとは打ち消せない。たとえ何を言ったとしても、それが絶対ではないと彼女は知っているのだから。
「……今こうしていても、怖いのだろうな……」
「はい……。ごめんなさい」
「謝ることではないだろう?」
「……はい。……幸せ、なんです。すごく。今。あなたがいてくれて。両親やルーカスさんや魔法協会のみんなや……、困ることもあるけど、他の友人たちも。たくさんの人に囲まれて、みんなよくしてくれて。
……みんなを失うのが怖いし、何より、またあなたを失うのが……、とても怖いんです」
「ジュリア……」
そっと頭を撫でる。
もし彼女を失う日を想定したら、自分だって怖い。けれど日頃から考えていたら生活ができないから、人間は失うその瞬間まで、それなりにうまくいくと思って生きられるようになっているのだろう。
彼女にはそれを壊された記憶がある。今の彼女は失う感覚をありありと思いだしてしまって、それがまた現実に起こることに囚われてしまったのだと思う。
不調の原因はわかったけれど、だからといって何ができるとも思えない。
(ルーカスが言っていた通りだな……)
何もできない。相談した友人はハッキリそう言っていた。そばにいることと話を聞くこと。それより先は彼女が自分で消化することだと。
「……すみません。こんなことを言われても困りますよね」
「いや……」
「大丈夫だと思います。……失う瞬間の夢も、ふとしたときに目の前が赤く染まるのも、何十年もつきあってきたので。うまく今と切り離せさえすればなんとかなるかと」
「……大丈夫なふりはしなくていい。少なくとも二人きりの時は」
「けど……、せっかくあなたといるのに、泣いていたらもったいないじゃないですか……」
「今はまだずっとはそばに居られないが……、そのうち必ず、夜も一緒に過ごせるようにする。
これから何十年とそばにいるなら、泣きたい時にジュリアが泣いても、それはささいな時間だろう?」
「……そう、ですね……」
ぐすっと小さな音がした。続けてかすかに嗚咽がもれる。そのまま彼女が泣きだして、すがるように腕に力がこもる。大丈夫だと伝えるように抱きしめて、ただ静かに泣かせておく。
どれだけそうしていたのか。しばらくして泣きやんだ彼女が少しだけ顔をあげて、小さくほほえむ。ムリはしていない顔だ。
「ありがとうございます。少しスッキリしました」
「ん」
そっと唇をふれ合わせるキスをする。
驚いたような嬉しそうな、はにかんだような顔をして、それから同じようにやわらかなキスが返る。いつもの彼女だ。
「ジュリア」
「はい」
「明日の予定は?」
「特には」
「なら……、もう一日、ここで過ごさないか?」
「え。でも、あなたは剣の訓練がありますよね?」
「ジュリアがよければ、しばらくはジュリアといることを優先したい。ジュリアが泣きたい時はそばにいたいし……、笑える時間もたくさん必要だろう?」
「……はい。……すみません。迷惑をかけているはずなのに……、うれしい、なんて」
「自分がそうしたいだけだから迷惑ではない」
「ふふ。ありがとうございます。……じゃあ、一緒に訓練しましょうか。あなたといる時じゃないと私は怠けちゃうので。私だと役不足な部分はあなたのコピー人形を作ってもいいですし」
「ああ。それは楽しそうだ」
ほほえむ彼女の視線が、求めるように絡んでくる。ものすごくかわいい。それだけで理性が逃げだしそうだ。
そっと、やわらかな頬に手をあてて、今度はしっかりと唇を重ね合わせる。彼女の甘い唇が軽く喰むように動いて、それからかすかに舌先が触れた。応えるように舌先を絡める。
頭の奥が痺れて溶けてしまいそうなほどに愛おしい。
「抱いちゃえば?」
ふいにそう言われたことが浮かんだ。
(……いや、ダメだろう?)
悪魔のささやき以外の何ものでもない。
一度離れても、どちらからともなくもっとと求める。いつもの彼女に戻っているならこのまま欲してしまってもいいのではないかという考えが浮かんで、必死に打ち消す。
明日一日理性を保てる自信がないし、なんなら今すでに難しい気がしている。
「……ん。おすかぁ……」
(っ……!)
自分を呼ぶ声が甘すぎる。
「だいすき」
(ほんとになんなんだこのかわいさは……!)
たまらずにもう一度キスをして、それ以上は絶対に止まれなさそうだと思ってぐっと飲みこむ。
「……ジュリア。……愛してる」
「私も。あなたを愛しています」
彼女から、そっと頬に口づけられる。お返しに頬へのキスを落とす。それが理性を保てる限界だ。
お互いに笑みを交わして、彼女が少し距離をとった。名残惜しいけれど、少しホッとする。
(環境が夜だったら止まれなかった気がするな……)
この部屋は昼にも夜にも調整できる。明るい中だったからなんとかなったけれど、設定が夜だったら誘惑に負けていた気がする。




