44 [オスカー] つかの間の平和と裏工作
夕方、日が傾き始めたころにブロンソンが走って戻ってくる。
「……なんだその羨ましい状況は」
キャンディスはジャスティンの脚を枕に、ジュリアは自分に寄りかかって、気持ちよさそうに寝ている。
「キャンディス嬢が眠ってしまって起きず、ジュリアは二人に温度調整の魔法をかけて、しばらくは話していたのだが。いろいろあって疲れたのだろう」
「温度調整の魔法? そんなのがあるのか」
「ジュリアにしか使えないが」
「あー、嬢ちゃんだからな」
ブロンソンが苦笑してからフッと笑った。
「平和だな」
「そうですね」
ジャスティンがそっと、キャンディスの顔にかかった髪をどける。寝顔は平和そのものだ。
「そろそろ眠り姫たちを起こしましょうか」
「アレか? 王子様のキスでってのをやるんなら、オレは向こうを向いてるが?」
「しませんよ……」
「ああ。思いがあるのがわかっていても、意識がないところに、というのはな」
「それもそうか」
ものすごくかわいい寝顔に、手を出したくならないわけじゃない。けれど、それは違うと思う。触れあうことは思いを重ねることだ。一方的に求めることではない。
ドウェインがキャンディスにしたことで満足を得られるというのが、自分には心底わからない。根本的に何かが違うのだろう。相手を見ていない、あるいは、見えていないようにしか思えない。
「ジュリア」
そっと声をかけて軽くゆする。目を開けたとたんにパァッと嬉しそうな笑みが浮かぶ。そんな瞬間がなんともかわいくて、愛おしい。
「え、あ、私、寝てました?」
状況に気づいて、今度は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
(かわいいな……)
ころころ表情が変わるのも、どうにもかわいくてしかたない。そっと彼女を撫でて言葉を返す。
「問題ない。今ブロンソン氏が戻ったところだ」
「あ、じゃあ、ルーカスさんを迎えに行きましょう」
隣ではキャンディスを起こしたジャスティンが、正面から抱きしめられている。座ったまま、キャンディスの腹部に顔が埋まっている形だ。
「もう絶対に離さないんだから!」
「気持ちは嬉しいですが。この体勢は苦しいです……」
「あ、そうよね! 顔をうずめるなら、おっぱいの方がやわらかくていいわよね?」
(ディ……、なんてことを言うんだ……)
キャンディスの中のむじゃきな子ども、ディ。今朝もジュリアの方が大きいと言って、たしなめるジャスティンに「おっぱいはおっぱいでしょ?」と言っていた。
(それは、そうだが……)
どんな顔をしていいかわからないから聞き流すようにしているけれど、動揺していないわけではない。
つい、ちらりとジュリアの胸元を見てしまったことは墓場まで持っていくつもりだ。
ジャスティンが赤くなりつつ、ディを少し離して立ち上がる。
「人前では控えるのが淑女かと」
「人前じゃなければいいのね?」
ブロンソン氏が苦笑してディを止める。
「いちゃつくのは全部解決してからな。向こうに戻るぞ」
ジュリアの空間転移でファビュラス王国のジャスティンの部屋に戻る。
と、ラヴァと一緒に知らない女性が待っていた。
「おかえりなさい、坊やたち。待っていたのよ?」
「え、ちょ、ラヴァさん?! その人誰ですか?!」
ジュリアが驚きの声をあげる。まだキャンディスとジャスティンを仲間内以外に見せるわけにはいかないから、警戒したのだろう。
見たことのない顔の女が、聞き慣れた声で笑った。
「あはは。ぼくだよ、ぼく」
「ルーカスさん??!」
「透明化している間に王子の顔も見られたからね。ドウェインと合わせた時に母親らしい感じっていうと、こんなところかなって」
「凄いですね……。完全に別人です。キャンディスさんにもあまり似てないですし」
「うん。王子はどっちかっていうとドウェイン似だね。そこもぼくらには都合がいい。
変装までは済ませたんだけど、この姿でこの家を出入りするわけにはいかないから、ジュリアちゃんが戻るのを待ってたんだよね」
「すみません、お待たせしてしまって」
「ううん。平日は仕事の後にしか来られないから、毎日同じにするのにこのくらいの時間がちょうどいいと思う。
空間転移をお願いしていいかな? 透明化でついてきてもらえると助かるんだけど」
「雪に残る足跡はどうする?」
自分たちが住むディーヴァ王国と違って、ここファビュラス王国は雪深い。違和感を持たせない必要があるだろう。
「ホウキで行って、足跡が紛れやすくて人が見てない瞬間がある場所を探そうか」
「わかりました。私は透明化してホウキに乗ったまま待っていますね」
「うん。ここに戻りたいタイミングで軽く手を叩くよ」
「自分も同行しても?」
「うん、もちろん。オスカーのホウキに乗せてもらえると助かる」
「了解した」
透明化状態で、女装しているルーカスをホウキの後ろに乗せ、ジュリアと共に出発する。
「キャンディスさんには聞かせない方がいいと思うから、今言うけど」
ルーカスがそう前置いて話したことに、ジュリアが激怒した。
「一刻も早く、王子をドウェインから引き離しましょう」
彼女に賛成だ。ジャスティンとキャンディスのためだけでなく、王子自身のためにもその方がいいだろう。
ほどよい場所でルーカスを降ろして透明化を解くと、ルーカスが迷わず王宮に向かう。
「わたしの子を返してください!」
門番にすがるように訴える姿は真に迫っている。声も、ちゃんと女性のそれに聞こえる。
すがられた門番が困ったように尋ねてくる。
「何事だ」
「わたしの子を返してください!」
「なんの話だと聞いている」
「わたしの子なんです! 王子は、私の子なんです……!」
そう訴えて、さめざめと泣く。門番たちが顔を見合わせて、一人が急いで中に伝達に行く。
戻ってくると、「放っておけとのことだ」と伝達が回った。
「けど、王子に似てないか……?」
小声でそんなやりとりがあった。
一時間ほどその場でねばって、
「……また来ます。あの子を返してもらえるまで、何度でも」
泣きながらそう言い置いて王宮を後にする。門番たちの表情がどことなく同情的だ。
(もはや役者の芸の域だな……)
人目のないところでルーカスが手を叩いたタイミングで自分がルーカスに触れ、ジュリアと手をつないで空間転移でジャスティンの部屋に戻った。
透明化を解いたジュリアがため息をつく。
「取り合ってもらえませんでしたね」
「うん。最初はこんなもんでしょ。反応があるまで毎日続けるよ。あと、夕食の後でもうひと芝居、ジュリアちゃんとオスカーにお願いしたいんだよね」
「お前のようにはできないと思うが」
「あはは。黙って立ってるだけの役だから大丈夫」
夕食後、キャンディスのぬいぐるみのふりをしているリンセのところに行き、一緒に透明化で城内を歩く。
ルーカスに連れて行かれたのは先王と王妃の肖像画の前だ。リンセの魔法で肖像画と同じ姿に変えてもらう。
「声はわからなくて再現できないでしょ? だから、何も言わない幽霊を演じてきて。ドウェインが近づこうとしたら空間転移で帰ってね」
「なるほどな……」
もしドウェインが二人を手にかけているとしたら、「精神的に追いこむ」のにいい手だろう。
「お前は本当に……、よくこういうことを思いつくな」
「あはは。褒め言葉としてとっておくよ」
「もちろん褒めている」
敵には回したくないが、味方としては心強い。




