43 「ほんと、バカですね」
「ジャスティンさん、ジャスティンさん。しっかりしてください」
唐突にキャンディスから吐き気がすると言われたジャスティンをゆすって現実に呼び戻す。
「……ああ、えっと……」
なんとか反応しようとするジャスティンにキャンディスが追いうちをかける。
「さっさと離れてください。こんな簡単な言葉も理解できないんですか? バカなんですか? バカなんですね」
「ジャスティンに対しても同じなんだな……」
オスカーが驚いたようにつぶやいた。昨日の夜は相手が自分たちだったからそうなったのだと思っていたのだろう。
ジャスティンが放心しつつもキャンディスから距離をとってこちらに来た。
「ジャスティンさん、この人、インジュアさんなキャンディスさんです」
「インジュア……?」
「はい。名乗られてはいませんが。昨日の夜キャンディスさんが、インジュアさんあたりが来るだろうと言って。それから、しばらくこんな感じでした」
「なるほど……。デビルが気をつけるように言っていた、私を恨んでいる人格ですか」
「魔法使いと慣れあっているなんてほんと気持ち悪いですね。あんなやつらは滅ぼしてしまおうというくらいの気概を期待していた私もバカでした」
「それは……、実は考えていたんです」
「え」
ジャスティンは何を言いだしたのか。びっくりだ。
オスカーは心当たりがあるようで、納得したように言った。
「魔法を吸いこむ剣、か」
「はい。魔法に対抗できるように遠隔武器も作りましたし、魔法を吸いこむ剣も作りましたね。
性能テストと改良を重ねて、大量生産して一気に裏ルートに流し、魔法使いが優位なこの世界をひっくり返そうと思っていました」
(……ん? ちょっと待って)
ここまで聞いて、記憶の奥から浮かびあがってくるものがあった。
(もしかして、もしかしなくても、あの大事件……)
前の時。ホワイトヒル時代ではなく、もっと先の、ウッズハイムに住んでいて、クレアもいくらか大きくなっていた頃だと思う。たぶん、この時代から十五年後くらいだろうか。
詠唱なしで連続して飛んでくる、目に見えない強力な攻撃。攻撃魔法を全て吸いこみ、それを逆に攻撃に転じてくる剣や槍。
そんな魔道具を大量に装備した、いくつもの裏組織。
世界規模で魔法協会の多くの支部が大打撃を受けて、平定するのに何年も、上位の冠位魔法使いが飛び回っていたはずだ。
ウッズハイムはホワイトヒルと連合作戦をとって、冒険者協会や衛兵、傭兵の協力も得て交戦していた。
自分は強化と防御魔法で援護していた記憶がある。オスカーは他の戦闘職に混ざって前線に立っていたはずだ。彼は守りきったけれど、何人かの仲間は守りきれずに亡くなっていた。すごく悔しい思いをした。
その主犯がジャスティンだったと知ってゾワッとする。
始まりは一人の魔法使いが悪事に協力してしまったこと。そこで買った恨みが世界の魔法使いを揺るがしたのだとは、当時は知るよしもなかった。
インジュアなキャンディスがデビルよりも悪魔的な笑いを浮かべる。
「そうですよ。そうなんです。私が期待していたのはそういうことです。今からでも遅くありません。ファビュラス王国と魔法使いを消し去りましょう。いいえ、いいえ、もういっそ人類を滅ぼしてしまいましょう。こんな醜い生き物はこの世に必要ありません。そう思いませんか?」
抱きしめようとするかのように手を延ばしたジャスティンが、拒絶を思いだしたように力なく腕を戻す。
「……あなたを失っていた間に、他の誰かにそう言われていたら、私は同意したと思います。けれど、あなたと歩む未来には、もう持ちこみたくありません」
「いくじなしの大バカですね」
「そうですね。私をののしれば気がすむなら、好きなだけそうしてもらって構いません」
「そもそもは中途半端にドウェインと関わっていたあなたに原因があるとは思いませんか? 完膚なきまでにへし折っておくか、あるいは適度に持ちあげておくか、関わりようは他にもあったはずじゃないですか。なんで私がそのあおりを受けないといけないんですか? 最悪じゃないですか」
「そうですね」
「だいたいキャンディスもキャンディスです。脅されたくらいでなんですか。手を出される前に舌を噛み切って死ねばよかったのに。後から死にたい死にたいって言うくらいなら、最初から、あんな醜態をあなたに見せる前に死ねばよかったのに」
「……私に対して何を言ってもかまいませんが、キャンディスを、あなた自身を責めるのはやめてください」
「なんでですか? 一番の大バカはキャンディスじゃないですか。あんな男に笑顔を見せていたから、隙があるから、つけ入られたんです。最初から無視を決めこんで一切関わらないでおいたらきっとあんなことにはならなかった。なったとしても周りが疑ってくれたはずです。それなりに仲が良さそうに見えていたから、あなたが突然失踪したのをなぐさめていて、だなんていう大ウソを真に受けるバカがいたんじゃないですか。全部、全部、自分がまいた種……」
「それは違います! キャンディスさん」
思わず声が大きくなってしまった。いつからか涙があふれている。
「悪いのは全部、ドウェインです。キャンディスさんやジャスティンさんが悪いわけないじゃないですか」
「なんであなたが泣くんですか。関係ないですよね。バカなんですか?」
「悪いのは全部ドウェインです……。してはいけないことをしたのはドウェインです。そんな手を使おうとすることが異常なんです。想定していない方が正常なんです。
そんなことをされるかもっていつも疑っていたら、生活なんてできないじゃないですか。あなたにもジャスティンさんにも、何も非はないんです」
「何を言っているんですか? あなたのお仲間だって、王侯貴族としてはもっと危機感を持つように言っていたじゃないですか。危機感が足りなかったのは私たちの非ですよね。そんなこともわからないなんて、バカなんですか?」
「危機感があれば防げたかもっていうのはただのたらればじゃないですか。あっても防げなかったかもしれない。
悪いことをした相手が悪い。それ以上でも以下でもないのに、何をバカなことを言っているんですか? なんで、被害者なのに、自分や大事な人を責めないといけないんですか……?」
涙が止まらない。
そんなのってないと思うのだ。ただでさえ命を絶ちたいくらいに傷ついているのに、自分のせいだと責めて二重に傷つくなんて悲しすぎる。
「……ほんと、バカですね」
ため息まじりに告げられた声は、先ほどまでよりも凪いで聞こえた。いつからかキャンディスも泣いている。
「ジャスティン」
「なんでしょうか」
「さようならです。大好きだから大嫌いで、愛しているから全てを許せなかった。そんな私を、キャンディスはもういらないそうです」
「それは……」
「私を置いて行った、何年も迎えに来なかった、あなたを最後に一発殴りたいので。目を閉じて歯をくいしばってください」
「……わかりました」
ジャスティンが目を閉じると、インジュアなキャンディスがふわりと笑った。
(きれいな笑顔……)
すっと距離をつめたと思ったら、そっと唇が触れ合わせられる。
ジャスティンが驚きに目を開けた時には、力が抜けた体が彼の腕に収まっていた。




