35 本当のキャンディスが望んでいること
ふいに、キャンディスがジャスティンを解放して起きあがる。
「やっぱりデビルに食べられちゃった。だから隠しておいたのに」
声の雰囲気が変わった。最初に聞いた、かわいらしくて甘ったるい音だ。
「あなたは……、ディ?」
「そうよ、ジャスティン。キャンディスでもディでも好きに呼んで? 遊びましょう?」
「悪魔が来ると言ったのは、ドウェインのことではなくデビルのことだったのですね」
「両方よ? 悪魔が来る時にはデビルが来るの。悪魔の相手は悪魔にしかできないから。
アレ、ひどいのよ? わたしがイヤがっているのにイヤなことをしようとしてくるんだもの。気持ち悪いったらないわ。だからキライ」
「それはキライで当然ですね」
「でしょう?」
「今、デビルは?」
「キャンディスを起こしに行ったわ。お姫様は眠ったままの方が幸せなのに」
「眠ったままの方が幸せですか?」
「何も考えなくていいし、何も思い出さなくていいもの。お姫様に期待しちゃダメよ? もう壊れちゃっているのだから」
「あなたたちは記憶を共有しているのですか?」
「わたしたち……? していたり、していなかったりね。見たい時は見るし、見たくない時は見ないし。見せたい時は見せておくけど、見せたくない時は見せないし。
わたしは、デビルとキャンディスしか知らないわ。他にもいるらしいけど」
「そうなのですね」
「ね? ジャスティン。遊びましょう? わたしはそれだけでいいの」
「ですが……」
ジャスティンの視線がこちらに向く。顔を見合わせて、代表してルーカスが答えた。
「遊んであげたら? 今は特にできることもないし」
「わかりました」
「ジャスティンのお友だち? わたしにも紹介して?」
キャンディスが目を輝かせる。デビルの時と違って男女間の何かを疑ってくる様子はない。
「ギルバート・ブロンソンだ。冒険者をしている」
「まあ、すてきね。冒険のお話を聞かせてね、おじさま」
「おじさま……」
なんとなく年功序列なのかと思ってラヴァを見たら、そう思ったのを察したのかイヤそうな顔をされた。
(女性には失礼だったかしら)
そう思うものの、オスカーやルーカスよりも上なのは間違いない。
ラヴァが小さくハァと言ってから名乗る。
「ラヴァよ。ジャスティンの坊やの……、姉みたいなパーティ仲間かしら?」
「まあ、お姉様ね。きっと楽しいパーティなのでしょうね」
ルーカスを見ると、視線がオスカーに向く。ルーカスの方が歳上だけど、関係性を話す上でその方が楽だからだろう。
「オスカー・ウォードだ。自分の剣の師匠が、ブロンソン氏の元パーティメンバーで……」
「まあ、剣士なの?」
「いや、魔法使いだ」
「……そう。剣士ならよかったのに」
(あれ?)
嫌悪感とまではいかないけれど、キャンディスがしょげたように見える。
(魔法使いは嫌い……?)
ジャスティンもデビルも魔法使いは嫌いだと言っていた。この子もその可能性は高い気がする。
「あなたたちも魔法使い? そういえば、ローブを着ているものね」
「……はい。ジュリア・クルスです。オスカーからブロンソンさんを紹介されて」
「ぼくはルーカス・ブレア。オスカーとジュリアちゃんの仲間ね。
で、ぼくらはディちゃんの味方の、いい魔法使いだよ」
「いい魔法使い……?」
そんなものがいるのかと不思議そうな顔をして、キャンディスがジャスティンを見る。
「はい。彼らはいい魔法使いです。私をあなたに会わせてくれたのだから」
「まあ。それはいい魔法使いね。悪い魔法使いをやっつけてくれるのかしら? 悪魔には悪魔じゃないといけないみたいに、魔法使いには魔法使いじゃないといけないものね?」
「そうですね」
キャンディスが一転して、キラキラとした期待と尊敬の眼差しを向けてくる。
(さすがルーカスさん……)
魔法使いというだけで嫌われる覚悟をしていたけれど、ジャスティンの後押しがあったとはいえ、たった一言でひっくり返してしまった。
そのままぬいぐるみごっこの相手をさせられる。姿は完全に大人だけど、クレアが幼かった頃を思いだして懐かしい。少し、寂しさもあるけれど。
「ふふ。たくさんって楽しいわね。ジャスティンのお友だちのぬいぐるみも増やしてもらわなきゃ」
「頼むと買ってもらえるのですか?」
「デビルに頼むの。そうすると、次の時に新しい子を連れてきてもらえるの。お礼にイヤなことをしないといけないみたいだけど」
無邪気な言葉なのに、すごく嫌なことを聞いてしまった気がする。
ラヴァが妖艶に笑う。
「ふふふ。やっぱり、ちょっきんしかないんじゃないかしら」
「ちょっきん?」
「そうよ? おいたをする悪魔の大事なところをね、こう……」
「子どもに変なことを教えないでください……」
「あ、ちょっと待ってね。……キャンディスが起きたって」
ザワッとした。
「また遊んでね?」
ディのキャンディスがバイバイと手を振る。それからその場に倒れかけ、ジャスティンが受けとめた。
「キャンディス……?」
返事がない。ジャスティンが呼びかけ続ける。
「キャンディス」
「……ジャスティン?」
「キャンディス……」
これまでの二人とは違う、大人の女性の声だ。ジャスティンがこれまでよりもいっそう、しっかりと彼女を抱きしめた。
(これが本当のキャンディスさん……)
今日ここに来たのは、彼女の望みを聞くためだ。思いがけない状態でだいぶ時間がかかったけれど、これでやっと一歩進めそうだ。
「ジャスティン……。生きていたのね……」
「はい。……生きていてよかったです」
「ほんと。あなたに会えて嬉しいわ」
「私も……」
「ジャスティン」
「はい」
「みんな殺して、あなたも死んで?」
時間が止まった気がした。
(……待って。キャンディスさん、今、なんて言ったの……?)
ジャスティンが困惑したように、問い返すように彼女を呼ぶ。
「キャンディス……?」
「わたしにはできなかったけれど、あなたならきっとできるわ。ドウェインをもう一度刺して、今度は確実に殺して? それからあの呪い子を殺して、わたしも殺して? そして、最後があなた。だって、そんなことをして生きてなんていけないでしょう? みんな一緒に死んじゃうのが、きっと一番の幸せだわ」
(そんな……)
デビルが、主人格は死にたがりだと言っていた。ディが、お姫様は壊れているから期待しないでと言っていた。
それでも、自分は期待していたのかもしれない。彼女が、キャンディスが、ジャスティンと再会すれば一緒に生きることを望んでくれると。
涙が止まらない。
泣きたいのはきっとジャスティンの方で、自分が泣くいわれなんてないはずなのに。泣きやまないといけないのはわかっているのに、どうしても止められない。
オスカーがそっと抱きしめてくれる。彼の胸元に顔を押しつけて声を殺す。
「できません」
ジャスティンが答える。これまでになく、強い意志を持った音だ。
「どうして?」
「私は……、生きることを託されたのと。私が生きていることを望んでくれている人がいるから。
そして、私はあなたが生きることを望んでいます。だから、たとえあなたの願いでも、それだけは叶えられません」
「生きる? 生きて何になるの? もうあの頃には戻れないのに!」
キャンディスが叫んで、拒絶するようにジャスティンを突き放す。
「あなたはあの頃のままだけど、わたしはもう違うの。汚されて穢されて壊されて、粉々でぐちゃぐちゃで汚くて、もう女ですらないの……」
「……キャンディス」
ジャスティンが一歩踏みこみ、キャンディスを抱きしめ直す。そのまま唇が重ねられた。
いくらか長く求めてから、視線が重ねられる。
「それでも私はあなたを愛しています」




