32 キャンディスの今、子どもと悪魔
扉を開けると、これまでの塔の暗さとは一転して、明るくファンシーな部屋になっていて驚いた。
魔道具の灯りが惜しみなく使われているだけでなく、壁紙や調度品の色合いも明るい。
幼い子どもが好みそうな部屋だ。大量のぬいぐるみで埋めつくされているのもまた、子ども部屋だと感じる原因だろう。
真ん中に一人用のベッドがあり、ベッドの横に棚や円形のサイドテーブルがある。一つだけあるドアは水場に続いているのだろうか。
今の自分の外見年齢よりも年上の女性がベッドに腰かけ、多くのレースで装飾されたふわふわのドレスを着て、ひときわ大きなぬいぐるみを抱きしめて童謡を歌っている。
大人しそうで、おしとやかそうな顔だちだ。育ちのいいお嬢様という感じがする。
ジャスティンが目を見開いて、ひとつ息を飲んでからゆっくりと吐き出した。
「……キャンディスです。雰囲気はだいぶ違いますが」
「どう違うんですか?」
「こんなに……、子どもっぽかったことは子どものころにもなかったので。驚いています」
「そうなんですね……」
一種異様に見えるこの光景は、キャンディスを知るジャスティンにとっても普通ではないらしい。
全員が入ったところで扉を閉めた。内側にはカギ穴がなく、中から開け閉めはできない作りに気づいてゾッとした。
「……ジャスティンさん。透明化をときます」
「お願いします」
ジャスティンだけ、キャンディスから見えるように透明化の魔法をとく。
「……キャンディス」
呼びかける声が優しい。
キャンディスが反応して顔をあげた。
パァッと花が咲いたような笑顔になって、ジャスティンに飛びつく。
「ジャスティン?! ジャスティンなの?」
かわいらしくて甘い声だ。
「はい」
「本物? 幻?」
「本物です」
「嬉しい……」
キャンディスの方からぎゅっと抱きしめて、甘えるように顔をすりよせる。くったくのない笑顔だ。
「キャンディス……」
ジャスティンがそっと腕を回して抱きしめる。
(よかった……?)
そのはずなのに、何かわからない違和感がある。
あんな事件があって五年も隔てられていたのに、こんなふうに甘えられるものなのだろうか。
「ジャスティン。ジャスティン。わたしのお友だちを紹介するわね」
キャンディスがジャスティンから離れて、先ほどまで抱きしめていたぬいぐるみを抱えてジャスティンの方に差しだす。
「この子はジャス。きれいでしょう? 強くて優しくて、いつでもわたしの味方なの。こっちはギル。ここのボスよ。ギルには逆らっちゃいけないんだけど、悪者から守ってくれたりもするの」
「キャンディス……?」
「みんな仲良くできたらいいのに、あの子、ウェイって言うんだけど、いっつもイジワルしてくるのよ?
わたしのこともからかうし、ジャスにもイヤなことばっかり言うの。ジャスティンからもなんとか言ってあげて?」
「待って、キャンディス。私はぬいぐるみの話をしにきたのでは……」
「わたしと遊びにきてくれたのではないの?」
「遊びに……? ああ。話をしにきたのだけど」
「なら、他の子も紹介するわね」
キャンディスはニコニコと楽しそうだ。
「……ブロンソンさん、キャンディスさんってこんな方でしたか?」
ジャスティンも雰囲気が違うと言っていた。昔を知るブロンソンにも聞いてみる。
「いや……。五、六歳くらいの時か? は、こんな感じ……? いや、当時ももっとしっかりしていたな。三、四歳か……?」
「意識が退行しちゃったのかもしれないね。イヤなことを忘れるために全部なかったことにして自分を守ることがある、みたいなの、聞いたことある」
「じゃあ、キャンディスさんは……」
「壊れちゃったからここに閉じこめられたのかもしれない」
聞いた瞬間、ぶわっと涙があふれた。オスカーがそっと抱きよせてくれる。
目の前の彼女は幸せそうだ。ジャスティンと並ぶとよく似合う。
なのに、彼女はもう彼女ではないなんてひどすぎる。
(体は戻せても、精神は戻せない……)
そんな魔法は知らない。体の時間を戻しても、精神はそのままになる。自分が知っている魔法はそのたぐいだけだ。
唯一思いつく方法は、この五年自体をなかったことにすること。自分が戻ってきたのと同じ方法を自分が使えば、事件の前に戻って止めることはできるだろう。
けれど。
その魔法を発動させるのには膨大な労力がかかる。それだけではなく、発動者以外の記憶は残らない。
今改めてオスカーと積み重ねた時間も、ルーカスや他のみんなと過ごした記憶も、自分の中以外からは消えてしまう。それには自分が耐えられないと思う。
絶対できないのではなくて、自分のエゴで、できない。
申し訳なさも混ざって涙が止まらない。
「……ジュリア。……ジュリアが背負うことじゃない」
オスカーが守ろうとするかのようにしっかり抱きしめてくれる。暖かい。
言われたことも気づかいもわかるけれど、気持ちが追いつかなくて、小さくうなずくしかできない。
ルーカスが困ったように声を下げる。
「今のジャスティンさんをちゃんとジャスティンさんだと認識できているし、忘れていることも封印しているだけでなくなるわけじゃなかったはずだよ。
だから治らないっていうことではないと思うけど、ぼくも詳しくはないから……」
「問題はオレたちがこれからどうするか、だな。本人はどこまでわかってるかわからないんだろ?」
治らないわけじゃない。ルーカスのその言葉で少し落ちついた気がする。
ジャスティンを巻きこんで楽しく遊び始めたキャンディスを見る。ジャスティンはまだ困惑しているようだ。こちらの会話は聞こえていないから、彼女の状態をとらえかねているのかもしれない。
(今は泣いている場合じゃない)
ぐいっと涙をぬぐって飲みこんだ。
「……一度、ジャスティンさんと相談したいですね」
「けど、あの姫様の前から急に消すわけにはいかないだろう?」
「寝るのを待った方がいいですかね……」
話していると、突然、キャンディスがハッとした顔をした。
「……悪魔が来る」
「キャンディス?」
「悪魔が来るわ。ジャスティン、隠れて」
キャンディスがジャスティンの腕を引いてベッドに乗せ、上から布団を被せて、ぬいぐるみの中に埋める。
「少し布団を持ちあげて透明化をかけてきます」
この状態ならジャスティンに透明化をかけて話しても問題はないはずだ。すぐに魔法をかける。
「ジャスティンさん、相談が……」
言いかけたところでルーカスの声がした。
「しっ、足音が聞こえる」
こちらの音は相手には聞こえないけれど、聞こえてくる音をちゃんと聞くために静かにしてほしいのだろうと認識する。
ほどなくして扉が開いた。
「まったく、扉のカギをかけ忘れるとは。交代前の門番か? クビだな」
神経質そうな、豪華な服を着た男だ。
「ドウェインだ」
ブロンソンの一言で息を飲んだ。
(悪魔……?)
キャンディスがそう言ったのがドウェインのことなら、彼女は何もわかっていないというわけではないのかもしれない。
「かなり老けた、か……?」
言われてみると、ジャスティンの時間を戻した分を差し引いても、ひとまわり上の年代に見える。
ドウェインが部屋の扉を閉めて、そこに寄りかかる。
「キャンディス……。今日はどのキャンディスだ?」
「誰を期待しているんだ? ドウェイン。テメェなんかと口をきいてやるのはオレ様くらいだろ?」
(え……)
そこにいるのは確かにキャンディスだ。さっきまで子どものようにニコニコしていた。
同じ顔が、まるで別人のような顔つきになっている。声も低い。
「デビル、か」
ドウェインがため息混じりにつぶやく。まるでそれが彼女の名前であるかのようだ。
(デビル……。悪魔……?)
「どういうことでしょう……」
「ごめん、訂正させて。壊れちゃったのはそうなんだろうけど……、退行じゃなくて、多重人格っぽい」
「多重人格?」
「一人の中にいくつもの人格ができて、その時々によって入れ換わる感じ。退行しているように見えたのは、子どもの人格なんだと思う」
「そんなことがあるんですね」
「人格が増えるのは他の人格が耐えられなくなった時、だったかな」
「そんな……、人格の数だけ深く傷ついてきたっていうことですか……?」
「傷の方がもっと多いかもしれないけどね」
再び涙があふれそうになって歯を喰いしばる。胸が痛い。
自分が自分でなくなるほどの深い傷がいくつもある、それはどれほどの傷つきなのだろうか。




