番外 [ジャスティン] 生きることに意味などあるのだろうか 後編
読まなくても本編には一切影響がない番外編。
裏魔法協会のリベンジャー=ジャア
=ファビュラス王国公爵家ジャスティン・デートン
の過去の続きです。
救いのない、一人の死にたがりの物語。
救いは五年後を描いた本編で。
悪夢を見て飛び起きた。
残念なことに、五体満足に目を覚ましてしまった。
空は雲に覆われているけれど、雨を降らすほどには暗くない。
ため息をついて、道のない山を分け入っていく。その先にはきっと終わりがある。
そうしていくらか歩いたところで、細い道に行きあたった。Y字に分かれていて、片方は暗がりに続いている。
暗い方に向かうと、洞窟が見えてくる。魔獣が住んでいるならそれもいいかと思う。
期待とは違って、洞窟の手前から奥に続くように木の十字が無数に立っている。
(墓……?)
この数は共同墓地だろう。死者に囲まれて永遠に眠るのもいいかもしれない。
おぼつかない足取りで洞窟へと入っていく。
そう行かないうちに足を止めたのは、鎧が飾られていて、横に剣が刺してある墓があったからだ。雨が入りこむ位置ではなく、サビてはいない。
(ありがたい……)
故人のものを勝手に使うのはバチ当たりだとは思わず、むしろ故人のものだからこそ借りてもいいだろうと思って剣を抜いた。
どこが刺しやすくて、一番確実に死ねるのか。
そう考えて喉を選んだ。
(これで終わりにできる……)
ただ一人の大事な人すら守れなかった無為な無能の人生を断ち切れる。そう思ってホッとした。
目が覚めた。
そこは地獄ではなかった。
ある意味では地獄の続きなのかもしれないけれど。
見たことがない質素な天井が見える。
(ここは……? 生きて……?)
喉が焼けつくように痛い。手で触れてみると、包帯が巻かれているようだ。
(助かった、のか……? 助けられた……? ……余計なことを)
自分にトドメを刺せるものを探そうと起きあがってあたりを見回す。
古いベットの上だ。
簡易なサイドテーブルが置かれていて、顔だけの小さな肖像画が三枚並んでいる。
(同年代か……?)
自分と歳が近く見える、男性三人だ。
肖像画はそれなりに高価だ。一般家庭ではこの大きさがせいぜいなのだろう。投影の魔道具よりいいのは、見るためのコストがかからないことだ。
部屋の中には他に、木の机、セットのイスが一脚、ロッキングチェアが一脚、引き出しになっている棚などがある。どれも装飾のないシンプルなものだ。
上に開けるタイプの木の窓がつっかえ棒で開けられていて、そこから昼の光が入ってきている。
扉はひとつだ。その扉が開くと、外の景色が見えた。空は気持ち悪いくらいの晴天だ。他には木々しかなく、街中ではなさそうだ。
ここは部屋というより小屋なのかもしれない。
白髪の高齢女性が入ってくる。
「おんや、気づいたんかい」
なまりのあるような音だった。しわがれた老人の声だ。
「っ、……」
ここはと聞こうとして、驚いた。声が出ない。喉を損傷した時に声帯を切ったのだろう。
「しゃべれんかい」
歯を噛みしめて、小さく向首する。
「魔法使いに治してもらえりゃよかったんけんどの」
その単語を聞いた瞬間、怒りに全身の毛が逆立った。ぐっと手を握りしめる。
「……魔法使いは嫌いかい」
今度は深くうなずく。
「そうかい」
しゃべれないのがわかったからか、何があったのかは聞かれなかった。それがありがたい。
老婆がコップに水を入れてサイドテーブルに置き、
「ゆっくり休んどき」
と言って出ていく。
しばらくすると戻ってきて、今度はテーブルに、ほとんど何も入っていないように見えるスープが置かれた。
「すぐに食べれるかはわからんけんど、食べんと治るもんも治らんからの」
(……なぜ)
見ず知らずの自分にそんなことをするのか。この老婆になんの得があるのか。わからない。
出されたものに手をつける気にはならなかった。喉の痛み以上に、胸の痛みに苛まれる。うとうとしては悪夢を見て目を覚まし、大量の汗をかいているのに気づくのを繰り返す。
老婆がタライで水を運んできた。転ばないかハラハラする。
「自分で拭くんと手伝うんとどっちがよいんかいの」
どっちも必要ないという答えは認められなさそうな気がした。
(自分で……)
声で答えられない代わりに腕を伸ばす。薄っぺらくて硬いタオルを渡される。
こうして老婆との奇妙な共同生活が始まった。
数日で、老婆がロッキングチェアで寝ていることに気づいた。自分がベットを占拠しているのだからそうなるのは当然なのに、すぐに気づかなかったことを申し訳なく思った。
なんとか身振り手振りでベットを返すことを伝えると、
「こっちのが落ちつくん、気にせんと寝とき」
と言われ、それ以上はどうにもできなかった。
彼女は身の回りの世話をしてくる以外には何も関わってこない。
小屋にいる時にはロッキングチェアに揺られながら編み物をしていることが多い。手元を見ている感じがないのにすいすい編み進めていくのが不思議だ。
小屋から出ている時間も多いが、何をしているかはわからない。
(なぜ……)
自分には生きている意味も価値もないのに、なぜ見ず知らずの老婆に世話をされて生かされているのか。
まったくわからない。
一刻も早く彼女の負担を減らした方がいいだろう。
体を動かせるようになって最初に、小屋の中で武器になりそうなものを探した。
何もなかった。料理はいつも外から運ばれてくるから、包丁などは外にあるのかもしれない。
そう思って外に出ると、老婆が斧を振り上げ、ふらふらしながら薪を割っていた。
(っ! 危ないじゃないか!)
よろめいたところを支えて、薪割りを代わる。
(私は何をしているんだ……)
現状が、わかるのにわからない。
彼女はこの小屋で一人で暮らしていたようだった。訪ねてくる人はいない。
木々に囲まれたこのエリアから出るのは食料の買い出しに行く時くらいだ。森の中から植物や木の実、キノコを取ってくることもある。
街には行けないが、彼女一人で森に入るのが心配でついて行くようになった。
少しして気づいたのは、彼女が決して元気なわけではないらしいということだ。日に日に、よろけることが多くなっていくように感じる。
(年長者は大事にしないとな……)
自分の命を経つのはいつでもできることだ。わざわざこの人に見せる必要はない。この人が天命をまっとうするまで耐えるくらいならできるだろう。
そう決めて、必要な時には介助するようになった。
数ヶ月経ったころ、彼女に聞いてみたいと思って、地面に木の枝で字を書いた。
「あんれ、キレイな字だねえ」
感心したように言われたけれど、そうじゃない。大事なのは内容だ。
「けんど、すまんね。あたしゃ学がないんよ」
そう言われて思いだした。世界的に、庶民の識字率は決して高くない。
(庶民でも字を無料で学べる場を……、いや、もう関係ないことだ)
つい国と国民のことを考えてしまうのは悪いクセだ。
時が経つにつれて、キャンディスを守れなかった自分への怒りが、彼女を傷つけたドウェインへの怒りに移っていく。
逆の立場だったなら、彼女の幸せを願って身を引くものではないのか。
そう思って気づいたのは、逆の立場ではなかった可能性だ。
ドウェインは彼女を愛したのではない。国王という地位を望んだのだ。そう考えると、あんなにも酷なことができるというのも頷ける。
(ドウェイン……!)
許せないのは、加担した他の者たちもだ。特に、魔法使い。魔法使いさえいなければ、兵士なんかに遅れはとらなかったはずだ。
(魔法使い……! 魔法使い魔法使い魔法使い……!!)
いつしか、魔法使いへの怒りがドウェインに対するそれよりも大きくなっていく。
老婆はそう経たずに寝たきりになった。最初は自分が世話をされていたのに、完全に立場が逆転した。不思議とそれはイヤではなかった。
サイドテーブルの肖像画が目に入って、筆談では聞けなかったことをもう一度、今度は身振りで伝えられるかを試してみる。
「ああ、誰かって?」
こくり。
「息子たちなんよ」
(やはりそうか)
彼女と過ごして数ヶ月になるが、一度も顔を出しに来ていない。遠くに住んでいるのだろうか。
「……死んだ時に生前を想像して肖像画にしてもらえるとこがあるんよ」
殴られたかのような衝撃だった。
(全員、死んでいる……?)
「旦那さんはとうに、まだ子どもが小さいころに死んでん。そのころはそんな余裕はなくて、何も残せんと後悔してな。子どもん時は描いてもらうんにしたら……、若うして並んでしもうたん」
なぜ、と問うように必死に身振りで伝える。
「……最初は次男が突然倒れたん。悪い病気よ。それから、長男。事故やったん。
末の子は、衛兵をしとったんけんど。魔物なんて滅多に見んこのあたりに、飛んできたツインヘッドイーグルから他人の子を守ったん。名誉言われても受け入れられんかった。
……あんたん拾ったん、末の子の墓の前なん」
(あの剣……!)
衛兵の剣と、遠征用の鎧。気づけば、なぜ今まで気づかなかったのだろうと思う。
「その傷、自分でだろうと思うたん。何もせんがあんたんためかもしれん思うたん。けど、若い身空を死なせとうなくての。勝手をして悪かったと思うてん」
ふるふると首を横に振った。
振るしかなかった。
自分からすれば余計なことだ。けれど、彼女がそうせざるをえなかったのはわかる。
生きられなかった子どもたちがいたのに、その子の持ち物で命を経っていいはずがなかったのだ。酷なことをしたと思う。
自分、だけを考えるなら。
すべてを失ってまで、生きることに意味なんてない。
キャンディスはもういない。
両親に顔だけでも見せに行きたいと思っても、犯罪者が実家に帰るわけにはいかない。
自分にはもう、何もない。
けれど。
生きていること。
老婆にはただそれだけを望まれたのだろう。
自分が生きていること自体が、生きる意味だと言われた気がする。
それは、生きていればいいことがあるとかそういう薄っぺらいなぐさめじゃない。
もっとずっと切実に、ただ、生きてほしいと願われただけだ。
例えそれがどんなに苦しいことであっても。苦しさをわかった上で、それでも尚。
彼女の願いは重い足枷のようだ。けれどそれがふしぎと、なかった時よりも心地いい。
彼女が息を引き取ったのは、それからそう経たない雨の日だった。
何度も身振り手振りで試したけれど、結局、最後まで彼女の名を聞くことはできなかった。
名前も知らない、一人の老婆。
すべてを失っても、失った人たちのぶんまで生き続けた強い女性。
(生きる……か)
なんのために?
そんなものはない。
生きることそのものが本質的には生命の目的なのかもしれない。
その上で何かをするとすれば、望むべくは……
魔法使いという存在に復讐を。




