番外 [ジャスティン] 生きることに意味などあるのだろうか 前編
読まなくても本編には一切影響がない番外編です。
ファビュラス王国公爵家ジャスティン・デートン
=ジャア(リベンジャー)が裏魔法協会に入る前、過去のお話。
※残酷表現と間接的な性暴力表現があります。苦手な方はご注意ください。
※ 重くて救いもないです。救いは五年後を描いた本編で。
幼いころから一緒に育った彼女を愛したのは必然だった。
王女として振るまう時にはがんばって気を張っていたけれど、二人きりになると花が咲いたように笑う、二つ年下のかわいい女の子。
キャンディス・ファビュラス。
彼女といるととても幸せな気持ちになる。それは彼女も同じようだった。
ファビュラス王国では、王子がいれば王子が次期国王になる。いなければ、王女の伴侶が次期国王となる。
彼女を射止めるということは、王位継承権を得るのに等しい。
けれど、それはどうでもよかった。
もし彼女が公爵家の令嬢であっても、侯爵家であっても伯爵家であっても男爵家であっても、あるいは平民であったとしても、彼女と出会ってしまったらきっと、彼女との未来を望んだと思う。
たまたま彼女が王女だったから、自分はいつかこの国を富ませる責任を負うのだろうと思って努力を重ねた。
ドウェイン・クラフティ。
子どものころから貴族の子女が集まる場に行くたびに絡まれていた。嫌われているのはわかっていたが、受け流してきた。
周りは見ているものだ。ドウェインからは一部の取り巻き以外は離れ、自分とキャンディスは常に人に囲まれていた。
キャンディス十六、自分が十八になる年に、結婚準備に入った。彼女と結婚することと次期王位継承権を得ることは同義だ。慣例ではその後、国王の元で十年の実務経験を経て即位する。
『キャンディス王女結婚の儀』が執り行われることは、その一ヶ月前に大々的に公示された。この時点で伴侶の名が出されないのは慣例通りだ。
そこにつけ込む隙があったのだろう。
違法な手段に出られるとは、想像したこともなかった。
突然体がしびれた感覚があって、目が覚めたら檻の中だった。
ローブを目深にかぶった魔法使いが目に入り、気づけない距離から魔法の攻撃を受けたのだろうと理解した。
室内に作られた一人サイズの檻だった。腰に差していたロングソードは、届かない位置の床に転がされている。
他に、クラフティ家の執事と兵士の姿がある。
そして、目の前にはベッドがあり、さるぐつわを噛まされたキャンディスをドウェインが抱えて座っていた。
血が沸騰する。
「キャンディス!!!」
「んーっ!!!」
鉄格子をつかんで力いっぱい動かそうとしたが、びくともしない。
「ジャスティン。目が覚めるのを待っていたんだ。お前にもよくわからせておかないといけないからな」
ドウェインが下卑た笑みを浮かべる。
執事が二枚の羊皮紙を用意する。
「キャンディス・ファビュラスはジャスティン・デートンとの婚約を破棄する。
キャンディス・ファビュラスはドウェイン・クラフティと婚約し、生涯の伴侶とする。
そう書いて血判を押すんだ、キャンディス」
キャンディスがドウェインを睨む。
「書かないならジャスティンの檻の中に火を放つ。焼死は苦しいらしいぞ?」
キャンディスの顔色が変わり、筆記用具を受け取る。
「っ! ダメです! そんなヤツの言うことを聞いては!!」
それを書くということは、彼女が生涯この男に囚われるということだ。
「私はいい! あなたがまたいつか、思える人に出会えるなら!!」
もしここで自分が殺されたら、彼女は事件を明るみに出してドウェインを処罰できるはずだ。公爵家同士の殺人は第一級犯罪で死罪になる。
そうしてから、彼女の幸せを見つけ直せばいい。
キャンディスは答えない。震える手で字を書き始める。
「キャンディス!!!!!」
渾身の力で呼びかけると、ほんの一瞬彼女の視線が向いて、小さく首を横に振られた。
「キャンディス……」
(どうする……? どうすればいい??)
必死に頭を巡らせる。今ここではどうすることもできないだろう。この檻から出る手段がない。出られさえすれば、近接戦闘なら魔法使いにだって遅れをとるつもりはない。
(狙うなら解放された一瞬、あるいは解放されてから訴えて勝訴するのが現実的か)
強要されて書かされた書類は無効にできるはずだ。相手が違法な手段を使うなら、こちらは法を盾にする以外にない。
キャンディスが書き終えると、ドウェインは無造作に彼女の手をとって、快刀を出してその指先を切った。彼女が痛みに顔をしかめる。
「ドウェイン!!!」
(なんてことをなんてことをなんてことを……!)
通常、血判は針先で小さく突いて血を出すものだ。前後では必ずアルコールで消毒する。そんな人として当然の扱いすら受けられず、彼女の指先が紙に押しつけられた。
血判のある二枚の紙を手に、ドウェインが高らかに笑う。気持ち悪い。
「もういいでしょう! キャンディスを解放してください!」
「何を言っているんだ? ジャスティン」
ドウェインがほくそ笑み、紙を執事に手渡し、快刀をサイドテーブルに置く。
「このまま解放したら、お前らは書類の無効を訴えるだろう? だからここからが本番だ」
「本番……?」
「抵抗するなよ? キャンディス。忘れるな。ジャスティンが生きていられるかはお前次第だ」
言葉の終わりとともにドウェインがキャンディスに覆いかぶさる。
「!!!!!!」
さるぐつわを噛まされたままのキャンディスが悲鳴にならない悲鳴をあげた。
「目を逸らすなよ? ジャスティン。これがお前たちの結末だ」
ドウェインの声が通り抜けて、その先は現実ではない何かを見ているかのようだった。
もしこの光景が現実なのだとしたら、この世界に善などないことになる。人の根本は悪になる。
握りしめた拳からボタボタと血が滴る。
事を終えて、ドウェインが満足げに息をついた。
魔法使いに解除を命じると、自分を捕らえていた鉄の檻が姿を消す。
「っ! キャンディス!!」
彼女の元へと全力で駆ける。その数歩が長く感じる。
彼女も服を引き戻しながら胸に飛びこんでくる。泣き腫らした目はこれ以上なく濡れているのに、とめどなく大つぶの涙が流れ続ける。
傷ついた彼女をしかと抱きしめて歯を食いしばる。
「なかなかよく映ったじゃないか」
ドウェインの笑いを含んだ声がした。
顔を上げると、あられもない姿の投影が映し出されている。複数記録の魔道具なのだろう。いくつかの姿が切り替わっていく。
ドウェインの視点ではない。無表情で立っていた執事のものだろう。キャンディスの顔は見えないが、キャンディスだとわかるような角度が選ばれている。
ゾワッとした。
「今日のことを口外したら、キャンディスの婚前交渉の証拠を出す。わかったな?」
(なんてことを……!)
その脅しも万死に値するけれど、彼女になんというものを見せたのだという怒りも大きい。これ以上は沸かないだろうと思っていた血液が、どこまでも煮えたぎっていくかのようだ。
そっとキャンディスを撫でてから、一足飛びでドウェインに向かう。途中で愛剣を拾って、投影の魔道具を叩き切って破壊し、止めるように入ってきた私兵の一人を蹴りとばし、一人をなぎ払う。
「キャンディス! 逃げ……っ?!」
彼女の元へと戻ろうとした時にはもう、彼女は置かれていたドウェインの快刀で、自身の喉元をかっ切っていた。
鮮血が吹き出し、あたりを赤く染める。
「キャン……」
「魔法使いっ!!」
ドウェインの怒鳴り声でローブの魔法使いが動く。
(キャンディスはもういない……)
もう何もかもが無意味だ。
何もかも。
この世界のすべてが。
涙があふれ出て、同時に、カラクリ人形が自動的に動くかのような感覚で、ロングソードでドウェインの腹を突き刺した。
「っ! ジャス、ティン……」
「捕まえろ!!!」
執事が叫ぶ。
反射的に窓を蹴り割って外に飛びだす。二階の高さだった。近くの木を一度蹴って着地する。
騒ぐ声を後ろに、すっかり暗くなった闇の中を駆け抜ける。
なぜ逃げたのかはわからない。捕まることから逃げたのではなく、あの現場から逃げたのかもしれない。
原因は自分の無力さだ。
無能! 無能無能無能!!!
頭の中で自分を罵り続ける声がする。目を閉じると彼女の泣き顔が浮かぶ。血しぶきをあげて倒れる姿が目の前から離れない。
もう家には帰れない。ドウェインを刺した自分が死罪になることはいい。むしろ望むところだ。
けれど、それを体の弱い母には見せられない。父にだって見せたくない。両親には知られずに、どこかでのたれ死ぬ方がずっといい。
ふらふらと街を出て、より暗い方へと足が向く。明かりのない方へ、木々の間を分け入っていく。
いくらか登ったところで木にもたれて眠りに落ちる。
もし寝ている間にケモノや魔物に襲われたら? ーー 二度と目覚めなくていいのなら、それに越したことはない。




