28 体の時間を戻す魔法と事件後の消息
「……『処女の涙』、です」
ルーカスがなるほどという顔になり、オスカーが手で顔を半分隠す。
「あらあ、まだ手を出されてなかったのねえ」
「ちょっ、ラヴァさん?! これでもちゃんとガマンして」
「ジュリアちゃん、そこ反応しなくていいから。けど、そっか。ジュリアちゃんを泣かせる……」
「できますか?」
「できるとは思うけど、ぼくはやりたくないな。きみを泣かせるようなことを言ったりしたりするのはちょっとムリ」
ルーカスが降参を示すように手を上げてひらひらさせる。
「自分も同じく」
「ううっ、自分で泣くしかないですかね」
「あらあ、アタシが代われば済む話じゃない?」
ラヴァの言葉に、オスカーとルーカスがピリッとした。
「やり方によってはぼくらが全力で止めるけど?」
「違うわよぉ? ジュリアちゃんを泣かせるっていうことじゃなくて。必要なアイテムが手に入ればいいのでしょう? アタシ、泣こうと思えば泣けるから」
「え、それってつまり、ラヴァさん……」
常に真っ赤なドレスを着て、派手な化粧をしている、かなり年上の女性だ。失礼だろうけれど想定外だ。
ラヴァが肩をすくめて、笑い話のように言った。
「原体験が悪かったのねえ。ダメなのよ、さわられると鳥肌が立って。アタシから攻撃するのは大丈夫なのだけど」
「あ……、すみません……」
ラヴァは魔法協会内のセクハラによって離反したと言っていた。それからずっと男性と触れあうのが苦手だったなら、本人が言うとおりの状態であるのもうなずける。
「別に? それなりにおもしろおかしく生きてるから、気にしなくていいわあ。それより、どうすればいいのかしらあ?」
「お願いしていいんですか?」
「ええ。これでもそこの坊やにはそれなりに愛着があるもの」
縛られたままのジャアを見ると、意外だという顔をしている。普段のやりとりの中ではそう感じることはなかったのだろう。
ジャアが鎧で全てを拒絶していたのかもしれないけれど。
スピラの髪が数本入った小瓶をラヴァに差しだす。
「一滴で十分です。この中へ」
「わかったわあ。ちょっと待っていてねえ」
こちらに背を向けて、そう経たずにラヴァが声をあげた。
「あ」
「どうかされました?」
「これ、化粧品が入っても大丈夫かしらあ?」
「えっと、たぶん。少し混ざるくらいなら影響はないと思います」
「それなら、はい、どうぞ?」
「ありがとうございます」
渡された小瓶を見ると、透明な液体が入っていて、目に見えるレベルの異物はない。問題ないだろう。
「ちょっとお化粧を直してくるわねえ」
「特に大丈夫そうですよ?」
「気になるのよねえ。これはアタシの鎧だから」
ラヴァ自身はケラケラと笑って化粧室に入ったけれど、その言葉は笑えない。見た目や印象からは、その人の傷はわからないのだと改めて思う。
(今はこっちに集中しなきゃ)
意識を、イスに縛られたままのジャアに向ける。
(戻すのは六年前でいいかしら。五年前の事件までに声を失っている話はないから、その後よね)
五年にして数日足りないという事故があるといけないから、六年が安全だ。
考える間にラヴァが戻ってくる。確認して安心しただけで、特に直す必要はなかったのだろう。
ダークエルフの髪と処女の涙。二つが入った小瓶を手の中に包みこむ。
「古の力を宿せし者。我が力と呼応し、其の形を変えよ。スパエラ・メディカーメン」
難しい魔法ほど詠唱が長くなる。補助呪文が必要なものはそれだけ発動が難しいものだ。集中して、古代魔法を発動させる。
小瓶の中の髪と涙が、流した魔力と混ざって形を変えていく。
数秒ほどで、三ミリくらいの鈍く光る球体に仕上がった。
「……はい。これを飲んでください」
「え、飲むの?」
ジャスティン本人ではなく、ルーカスをはじめ周りが引いている。
「このくらいの大きさならお水がなくても大丈夫かと思いますが。お水、いりますか?」
「そうじゃないわ、ジュリアちゃん。それ、元はダークエルフの髪とアタシの涙よねえ? 飲ませるの……?」
「はい。じゃないと生物を安定して戻せないし、戻した時間に固定できないので」
「そうなの……」
ラヴァが、それなら自分は戻らなくていいという顔になっている。
「そのままの髪と違って喉にひっかかったりはしないですよ」
「うん、飲みやすさの問題じゃないと思うよ。生成過程を見てなかったら抵抗ないだろうけど」
「見てても見てなくても同じものですけど。ジャスティンさん、どうしますか?」
本人の方に小瓶を差しだすと、自由になっている手でサッと取って、中身を口の中にあけた。すぐに喉元が動く。
「ジャアは抵抗ないのねえ……」
ラヴァが引いている気がするけど、気にしないでおく。
「では、戻しますね」
言って、集中して補助呪文から唱えていく。
「常世に不変なし。光陰矢の如く過ぎ、すべからく器を錆びさす。しからば汝の時は移ろいし幻。コルプス・イウェルスム・セクス・アンヌス」
人ひとりの六年分の体の時間。言葉で言うのは簡単だけど、一時的な年齢操作と違って、本当に巻き戻すのは簡単ではない。年齢操作は今の状態を基準に伸び縮みするだけだから、傷はそのままになる魔法だ。
魔力をていねいに練って、相手の体内に入っている魔力と呼応させていく。できる自信はあるけれど、実際に使うのは初めてだから、いつも以上に慎重に魔法をかける。
ジャアが目がくらむような金色に包まれて、光が消えると、そこには以前見た投影と同じ、貴族然とした姿があった。
(ジャスティン・デートンさん……)
当時の体の記憶なのだろう。輝く長い金髪も投影のままだ。鎧ではなく、もっといい服を着せたくなる。
「あら、まあ。こんなにキレイな坊やだったなんて」
ラヴァが色めきたつ。若い男の子が好きだと言っていたか。
「もう少し昔まで戻してくれたら、背も低くなるかしらあ」
なんか言っているけど放っておく。
「声、出ますか?」
「……ぁ、う……、ああ、うん……」
出しにくそうではあるけれど、キレイな顔によくあう声色だ。
「戻ったばかりなので少しリハビリはいるかもしれませんね。
ジャスティンさん、喉はどうされたんですか?」
「あ、あー……、死のう、と」
「突き刺した?」
こくりとうなずかれる。
「……助けられて。老婆が……」
リハビリを兼ねてゆっくりと話してもらったことによると、山の中で一人暮らしをしていた老婆に拾われたらしい。その人には三人の息子がいたけれど、病気、事故、魔獣災害でみんな若くして亡くなっていたそうだ。
生かされた命をそれ以上どうにもできなくて、寿命で亡くなった彼女を埋葬してから、非正規の魔道具を作って時々裏ルートに流して細々と暮らしていたところを、「おもしろいものを作るね」と裏魔法協会のタグに拾われたそうだ。
魔法使いにも恨みはあったけれど、むしろ魔法使い対策を練れると思って加わり、彼らもまたアウトローだったことで居つくことができたという。
ブロンソンの話とジャスティンの消息が繋がった。
「もう拘束は解いてもいいんじゃない? 逃げないでしょ、今の彼」
「そうねえ。縛られている姿もいいと思うけれど。そろそろ解いておきましょうか。リリース」
ルーカスの提案でラヴァが魔法を解除すると、ジャスティンを縛っていた縄が姿を消した。
「ギルバート・ブロンソンさんを呼んでもいいですか? あなたの味方でいてくれることは保証します」
ジャスティンの表情が揺れる。
少し考えるような間を置いてから、
「……わかりました。ギルバートなら、呼んでもかまいません」
ゆっくりと一音一音確かめるように言葉が形作られる。だいぶ話せるようになってきた。
その瞳にはまだ影が落ちているけれど、ほんの少し、光が差してきたように見えた。
ジャスティン事件の概要は4章『35 ブロンソンの探し人と五年前の事件』、
詳細は次話からの番外をご参照ください。




