44 [ルーカス] 彼女の言葉は甘い毒のよう
翌週月曜日。
意図して出勤をギリギリにした。なんとなくオスカーと顔を合わせづらい。
(あそこまでやったのに引かないって……、ジュリアちゃんが女神すぎる……)
「やっぱり、ぼくはきみが好きだ」
思わずもれた本音に、くったくなく友人としての好きが返された。落ちついていたはずの気持ちがぐちゃぐちゃだ。
(好き、ね)
それは間違いない。
けれど、どうにかなる相手ではないし、どうにかしたくもない。あの二人の関係を壊したくないし、自分との今の関係も壊したくない。
人生、本当にままならない。
(まあ、演じるのは得意だし、大丈夫でしょ)
しばらく何事もなかったように演じていれば、きっとそのうちまたそれが真実になるだろう。
だから今日のこの朝の時間だけ、少しだけ距離をとっておく。
「はよ」
「おはようございます、ルーカスさん」
「おはよう」
自分が遅らせた分、珍しく彼女の方が先についてオスカーのそばにいる。
(うん、通常運転)
「今日はちょっとゆっくりなんですね?」
「うん。なんか眠くて。冬って布団から出にくいよね」
「わかります。気持ちいいですものね、お布団の中」
ナチュラルにウソをつく。彼女はそれを疑わない。
(ウソってわかっても、その理由を汲もうとしてくれるんだろうけど)
たいていの人はウソをつかれると怒る。けれど、ジュリアは「なぜ?」を考えたり聞いたりする子だと思う。頭ごなしに否定しないのだ。相当利己的に誰かを害しない限りは。
ギリギリに来たから、すぐに始業準備に入る。
窓口が開くと、男性が1人入ってきて受付に向かった。
その人物を目にしたジュリアが一瞬固まる。
(……ん?)
声をひそめてオスカーに話しかけたところに聞き耳を立てる。
「オスカー」
「ああ」
「来ましたね」
「来たな。トラヴィスとブラッドの件だろう」
「忙しいのに早いですね。まだ一週間なのに」
「ブラッドが一度ソラルハムから逃げたから、できる限り急いで来たのだろうな」
(トラヴィスとブラッドの件っていうことは、あの人が魔法卿? ソラルハムには直々にっていう話があったし。
っていうか、このバカップルはなんで二人揃って魔法卿の顔を知ってるのかな?)
「大丈夫だとは思いますが、一応奥に行っていますね」
「ああ」
(んんん?)
顔見知りだけど顔見知りじゃない、知っているけど知られたくない、そんな距離感に見える。
自分に対しては隠しごとをしているというより、単純に言っていない、言い忘れている可能性が高いだろう。
ジュリアが給湯室などがある方へひっこんだのと同時に、受付をしていた魔法使いが慌ててクルス氏の元に向かう。
「クルスさん、魔法卿エーブラム・フェアバンクス様だと名のる方が来ているんですが」
「なんだと? 本部からは聞いてないが。私が行く」
(やっぱり魔法卿か)
「オスカー」
「なんだ?」
「今日、お昼一緒してもいい?」
「ああ。ジュリアにも聞かないとだが、問題ないだろう」
「うん、よろしくね」
本人確認が取れて、クルス氏が魔法卿を地下の収容エリアへと案内していく。
連絡については、時間ができたタイミングで急いで来たから間にあわなかったのだろうと話しているところに、緊急連絡として入ってきたというのが聞こえた。
午前中のうちに必要な手続きを終えて、トラヴィスとブラッドは魔法卿に連れられて行った。正確には魔法卿がトラヴィスに空間転移を命じて移動していた。
昼、使い魔も入れる個室がある、慣れた店に入って注文を終えたところで話をきりだす。
「ところで、二人は魔法卿の顔を知ってるんだね。何かあったの? ぼくは聞いてないんだけど?」
「あ、話してなかったですね」
「そういえばそうだな」
予想通り、完全に失念していたという反応だ。
「オスカーの誕生日の前日でしたよね、魔法卿に会ったの」
「ああ。前の時にしか行ったことがない場所への空間転移を試した時だな」
「ユエルをうちに迎えたきっかけが魔法卿なので、その話をするならユエルとも話せるようにしておきましょうか」
ジュリアがユエルに通訳の魔法をかける。
「ユエル、ルーカスさんに、私たちが出会った時の話をしたいのですが」
「任せてください、ヌシ様! ヌシ様がクロノハック山のヌシになった話ですね」
「は? クロノハック山のヌシ……?」
「それを演じるのが、問題解決のために一番よさそうだったから演じただけです……」
「今でもみんな、ヌシ様は山のヌシだと思っているはずです」
「うん、ぼくにもまったくわからないから、最初から説明して……」
「あ、すみません。実は……」
話を総合すると、忙しすぎて奥さんに実家に帰られた魔法卿が人のいないクロノハック山にひきこもって暴れていて、困った魔物たちを助けるためにジュリアがバケリンクスの魔法で老エルフを演じて、魔法卿と魔法戦をして下した、ということらしい。
「……戦って勝ったんだ……、魔法卿に……」
「圧勝だったな」
「そんなことないですよ。無詠唱呪文を最初に唱えていなかったら厳しかったと思います。古代魔法を使ったので、ある意味チートです。
魔法卿は最初、格下を相手にするくらいなつもりで油断していたのでしょうし。短縮呪文も使っていたので、さすがだと思いました」
「それでヌシ様はその男の師匠になったんです」
「……は?」
「ものすごく頭を下げられていたな」
「断りきれなくて……、年に一度、九月の終わりの週末にクロノハック山で、メテオだけは教えるということに……」
「……ジュリアちゃんが何をしても驚かないつもりだったけど、知らないうちに魔法卿の師匠になってるのはさすがに想定外かな」
「すみません……」
「謝ることじゃないよ。今日顔を合わせないようにしたのは、気づかれる可能性は低いけど万が一にもないように、っていう感じ?」
「はい。魔法卿との接点なんて、父に説明しようがないですから」
「むしろ、ルーカスはよく気づいたな?」
オスカーが感心したように言った。
「ジュリアちゃんの様子と君たちの会話からね。ぼく以外はまったく気にとめてなさそうだったから、そこは安心して。
魔法卿との接触を避けたのは正解だと思うよ。ジュリアちゃんけっこう顔に出るから。全部は気づかれなくても、違和感くらいは持たれたかも」
「そうですよね……。私もルーカスさんみたいになりたいです」
「ぼく?」
自分のようになりたいなんて初めて言われた。
「はい。リンセ……、バケリンクスのリンセがヒトの女の子のふりをしていたの、気づいていても流していましたよね。あの時、気づかれなくてよかったと思っていたので。あんなふうに動じてないふりができたらいいんだろうなって」
「それができたらもうジュリアちゃんじゃないじゃない」
「そうですか?」
「うん。きみはきみのままでいいと思うよ。足りないときはフォローするから」
「頼ってばかりで申し訳ないというか」
「男って、ある程度は頼られた方が嬉しい生き物だから。ね、オスカー?」
「ああ、そうだな……。ルーカスに頼るぶんには、まあいいと思う。自分も苦手な分野だ」
「聞いてのとおり。ほんとはぜんぶ、自分が頼られたいオスカーでした」
「解説するな……」
「ふふ。ありがとうございます。オスカーとルーカスさんがいてくれて、幸せです」
(幸せ……)
彼女の言葉は甘い毒のようだ。自分の気持ちと距離をとろうとするたびに、せっかく作った壁を溶かされてしまう。
恋愛感情を向けられているのではないのはよくわかっている。けれど、こんなふうに人として全肯定されたことがなかったのだ。免疫がない。なさすぎる。
(前に、ジュリアちゃんがオスカーに向ける感情をぼくに向けてくれたら恋愛もできるかもって言ったけど……、ぜんぜん、そこまでの必要はなかったんだな……)
内心でため息をついて、顔で笑って信頼できる先輩を演じる。この二人の信頼は、どうあっても裏切りたくない。
「……ところで、ヌシ様」
「なんですか? ユエル」
「ヌシ様ってモテますよね。うらやましいです」
「なんですか、やぶからぼうに」
「オスカーだけじゃなくて、そこの雄も……もがっ」
冷や汗が吹きだすかと思った。反射的にピカテットの口を塞ぐ。
「ふふ。ユエルはなんでも恋愛感情にしすぎですよ。ルーカスさんはそういうのじゃないですからね」
(ごめんね、そういうのもあって……)
ピカテットの野生のカンのようなものなのだろう。それは全面的に正しいけれど、言っていいことといけないことがある。
(ぼくの努力を泡にしないでほしいなあ……)
とりあえず握ったまま一度離席して、絶対に彼女に口走らないように念を押した。
ピカテットが自分を見ると逃げたり隠れたりするようになったけれど、必要な犠牲だったと思う。




