28 なんでって言ったの??
家の前にスピラがいることに驚いて、オスカーと同時に声をあげた。
「なっ……」
「どうやって……」
尋ねながら必死に対処法を考える。
「あ、戦う気はないよ。話をしにきただけだから」
「それを信じろと?」
スピラが降参を示すように両手を上げる。
「なんなら、私を魔法封じに入れておく? 抵抗しないから」
「ミスリルプリズン・ノンマジック」
入れていいと言われたから遠慮なく入れさせてもらう。
ちょうどスピラ一人を囲うサイズだ。抵抗する気があれば避けられるようにしたけれど、本人が言うとおり無抵抗で檻に収まった。
「……どういうつもりですか?」
「言った通り、ジュリアちゃんと話がしたい」
「どうやってここが?」
「どうやってもなにも、あなたの魔力の残滓はこの家が一番濃いから。戻ってくるならここしかないでしょ?」
迂闊だったと反省する。自分たちにはその辺りがわからないから気づかなかった。もしスピラに悪意があって待ち伏せていたなら完全にアウトだった。
オスカーが、守ろうとするかのように一歩前に出る。
「話とは?」
「話したいのは坊やじゃないんだけど、まぁ、邪魔しないならいいよ。
ジュリアちゃん。さっきはなんで、あんなに怒ったの?」
「は……?」
オスカーと疑問符が重なる。
(『なんで?』 なんでって言ったの??)
言葉は理解できるのに意味がわからない。
反応できたのは自分よりオスカーの方が早かった。
「お前は……、何にジュリアが怒ったのかがわからないのか……?」
「うん。何が最低なのかも、なんで大嫌いって言われたのかも。私はジュリアちゃんが好きで、愛情表現をしただけなのに」
オスカーと二人で絶句する。オスカーはそれがわかる人だ。だから居心地がいいのだと思う。
オスカーがため息をついて、言葉を返す。
「相手の許可なく、相手が望まないのに、女性に触れるのはありえないだろう……?
手を取るかどうかも、反応を見て考えるものだと思うのだが。ましてや突然、誰とも知れない相手に抱きつかれて平気なはずがないだろう」
「そうなの? 私は突然ジュリアちゃんに抱きつかれても嬉しいけど」
「ジュリアで想像するな。例えば自分が突然お前の前に降ってきて抱きしめたらどう思う?」
「……最低だね」
スピラがうげぇっという顔になる。
「そうだろう?」
スピラから『最低』を引き出したオスカーが小さく息をついて、こちらに視線を向けてくる。
「大体、そういうことでいいだろうか」
「はい、ありがとうございます」
改めてオスカーの考えを聞いて、だから彼といると大事にされている感じがするのだろうと思った。
「師匠……、スピラさんに急に抱きつかれて、すごく怖かったし、驚いたので」
本当は気持ち悪さもあったけれど、さすがにそこまで言うのはかわいそうかと思って伏せておく。
「金輪際指一本触れられたくないし、半径十メートル以内に入らないでほしいです」
「十メートルって遠くない……?」
「スピラさんにそのつもりがあれば一瞬で詰められる距離ですよね。それに対して私が対応できるラインがその辺りかと」
「うーん……、あなたにイヤな思いをさせるつもりはなかった。それは、ごめんなさい」
思っていたよりは話が入るようで、少し安心した。けれど、まだ許せないことがある。
「謝罪ついでに、もうひとつ」
「何かな?」
「私にとって命より大事な人を軽く扱うのは許せません。彼は坊やじゃなくてオスカーです。オスカーの半径二十メートル以内にも近づかないでください」
「距離延びてるんだけど?!」
「念のためです」
「うーん……、けど、私はどうあってもジュリアちゃんがほしいんだよね。あなたに出会えたのは運命だと思う。
オスカーくんはジュリアちゃんじゃなくても、いくらでも相手になる女の子いるじゃない? けど、私には他にいないんだよ。だから、譲ってくれない?」
「話にならないな。そもそもジュリアは物じゃないだろう? ジュリアが選ぶことであって、譲る譲らないの話じゃない」
「私はオスカー以外とどうこうなるつもりはないので。お引き取りください」
「うーん……、じゃあ、こういうのはどう? 私は長生きだから、待っててあげる。いつかオスカーくんが死んだら私のものになって?」
鈍器で殴られたかと思った。なんということを言うのか。
ぽろぽろと涙がこぼれる。
「えっ、ちょっ、なんで泣くの??」
「ジュリア。大丈夫だ。約束しただろう? 二度とジュリアを置いていきはしない」
「おすかぁー……」
抱きよせてくれる胸に甘える。彼の匂いに包まれて彼の心音を聞くと安心する。
「うーん……、やっぱりわかんないや。あなたもジュリアちゃんの許可を得ていないのに、私と何が違うんだろう?」
もう何も答えたくなくて、ぎゅっとオスカーに抱きついた。大切に撫でてくれる手が愛おしい。
「……理解した。ダークエルフなのかお前個人なのかはわからないが。相手の雰囲気や状況から心情がわからない、ということか」
「むしろ、なんで言われてないことがわかるのかがわからないんだけど」
「それならそれで、行動する前に相手に尋ねるといい。全ての人が正直に答えるとは限らないが、少なくともジュリアは、イヤなことはイヤだと教えてくれるはずだ」
「うーん……、ジュリアちゃん、半径十メートル……、いや、オスカーくんといる時は二十メートル? 以内に入って、聞いてもいい?」
正直なところ、今はもう何も考えたくない。オスカーの腕の中で真っ赤な記憶に塗りつぶされないのが精一杯で、スピラについて考える余裕がない。
「……考えさせてください。落ちついたら、彼とも相談して……、そのうち連絡を送ります」
「そのうちっていつかな?」
「数日……、一週間? ……一カ月以内には」
「延びてるんだけど?! ……まあ、そのくらいの期間なら私にとっては誤差だから、待ってるよ。
ごめんね。メッセージを受けとって、二度と会えないかと思ったら、それはイヤで。あなたを見つけられたから、気が逸っちゃって。泣かせるつもりはなかった」
「……今はまだ許す気になれないので、連絡するまでは接触しないでください」
「わかった」
「ジュリア。もう遅い。ご両親のところまで送ろう」
「ありがとうございます。……このまま帰るとあなたが泣かせたと思われかねないので。ちょっと顔を洗いますね」
洗浄魔法で顔だけキレイにする。この時間に戻った当初、オスカーには散々濡れ衣を着せているから、これ以上父の心証を悪くしたくない。
「どうでしょう? ちゃんと笑えていますか?」
「ああ。……かわいい」
ほんの短い言葉なのに、ドクンと心臓が跳ねる。たくさんのイヤがパッとひっくり返るかのようだ。オスカーの言葉は魔法だ。
「……ジュリア」
「はい」
「愛してる」
そっと優しく、額に口づけが落とされる。色々あってちゃんと感じられないでいた彼の感触が、やっと今はしっかり残った気がした。
「私も。あなたを愛しています」
彼の耳の下あたりにキスを返す。頬よりももう少し奥に触れたくなった。
オスカーが息を呑む。自分の行動に彼が反応してくれるのが嬉しい。
エスコートするように差しだしてくれる手に手を重ねて、家の門を開ける。
困ったようなスピラの声がした。
「あの……、ちょっと」
「なんですか?」
「目の前でいちゃつかれるとめちゃくちゃ羨ましいっていう本音は置いておいても、さすがの私も、ジュリアちゃんの魔法封じは解除できないんだけど……」
「私が部屋に戻ったら解除するので、そのまま待っていてください」
「あれ、私、信用ない?」
「当然です。家の敷地内にも一歩も入らないでくださいね」
「わかった」
(返事はいいのよね……)
言ったことを守ってくれる気はあるようだけど、念のためだ。
オスカーと一緒に玄関を開けると、父が仁王立ちしていた。
「遅かったな、オスカー・ウォード」
「申し訳ない」
「お父様、やめてください。私がオスカーをこんな時間まで付きあわせただけなんです」
「……ちょっと待て、ジュリア。昼までは化粧をしていたな? どこで何をして、落とすことになったのかを言ってみろ」
ギクリ。思っていたより父がよく見ている。師匠の件を抜きにして言えることがない。困った。
黙っていると、父がため息をついた。
「オスカー・ウォード……。やはり私はお前を買い被っていたようだ」
「ちょっ、お父様?! 待ってください、何を想像してるんですか?!」
「何もないなら答えられるだろう?」
「トラブルがあって泣いちゃったから顔を洗っただけです!」
結局顔を洗った意味がなくなったけれど、仕方ない。
「なるほど? セイント・デイにジュリアを泣かせたと?」
「違います! オスカーは守ってくれて……」
「そんなトラブルに巻きこまれるようなところに連れて行った、と」
「だから彼のせいではなく……」
「ジュリアに庇われて、男として恥ずかしくないのか?」
「ちょっ、お父様! 話を聞いてください!!」
「……クルス氏」
オスカーが静かな声で父を呼んだ。父が仏頂面で答える。
「なんだ」
「面目ない。責任はとる」
「オスカー?!」
(なんの責任?! 何もしてないのに??)
「今日は……、ジュリアさんが疲れているだろうから。もう休ませてはもらえないだろうか」
(あ……)
濡れ衣を着てでも、ここから解放してくれようとしているのだろう。彼への大好きがあふれて止まらない。
「疲れさせるようなことを……」
「……お父様。それ以上は怒りますよ」
声のトーンを落としたら父がピタリと止まった。
「オスカー、すみません、父が失礼ばかりで」
「いや、心配して待っていたのだろうし、それだけジュリアが大切なのだろう。自分はここで失礼する」
「はい。送ってくれて……、他にもいっぱい、ありがとうございました。また明日」
「ああ。また明日、職場で」
彼が扉を閉めてからも、少しの間、そこにいた余韻を見送る。
「……ジュリア。本当に何もされていないのか?」
「お父様。そんなに私に嫌われたいんですか?」
父が泣きそうになる。ため息がでる。
「話せる範囲だと……、私が彼をほしいと言ったけど、彼は今じゃないと。これで満足ですか?」
父がものすごくショックを受けた顔になったけれど、もう知らない。しつこく聞いてくる方が悪いのだ。
部屋に戻ると、今度はユエルから根掘り葉掘り聞かれた。ユエルには正直に話しておく。
父とユエルに意識をとられてスピラを魔法封じに入れたままだったことをすっかり忘れてしまい、思いだして解除したのはかなり遅くなってからだった。




