26 「最っ低!!!」と「あなたがほしい」
スピラが突然抱きついてきた上に、オスカーを実力で排除すると言った。
体が震える。怖さなのか怒りなのかは自分ではわからない。両方かもしれない。
頭の中が黒く塗りつぶされたみたいだ。考えられていないのに、体はスピラの方へと向かう。
「ジュリアちゃんの方から来てくれるなんて嬉し……」
パァンッ。いい音が響いた。平手で頬を張ったのは初めてだ。
「最っ低!!!」
「え……」
「大っ嫌い!!!!!」
「ええー……」
自分でも知らないうちに涙が浮かんでいる。
「……おすかぁー」
彼の方へと駆け戻ろうとすると、オスカーも歩みよってくれた。大好きな胸の中に飛びこむ。
「怖かっ……、びっくり、して……」
「……エンハンスド・ホールボディ」
彼から身体強化の呪文が聞こえたのと同時に大切そうに抱きあげられた。
「ふぇっ?」
「逃げるぞ」
その言葉より早く走りだしている。お姫様抱っこの形だ。純粋な魔法戦よりは彼の土俵になるから、最善の判断だと思う。
(けど、師匠なら簡単に追いつけ……)
そう思って見ると、スピラは叩かれた頬に手を添えてその場に立ったまま固まっている。
「……テレポーテーション・ビヨンド・ディスクリプション」
空間転移を唱えられたのは、オスカーが抱えて走ってくれているからだ。スピラと距離が取れていること、他の人から既に認識されなくなっていること、この二つの条件が大きい。
転移先には夏の別荘を選んだ。ホワイトヒルからいくらか距離があるから、スピラが言っていた方法で探し直されてもすぐには見つからないだろう。
▼ [オスカー] ▼
空間転移で場所が移ったと認識したのと同時に足を止めた。室内だ。クルス家の夏の別荘の一部屋だと理解するのに時間はかからなかった。
「……ジュリア」
大丈夫かを聞こうとしたが、どう見ても大丈夫そうではない。
お姫様抱っこのまま少し移動して、近くのベッドに腰掛け、大切に抱きしめなおす。
小さな嗚咽が続く。そっと背中を撫でてなだめる。
しばらくして、涙交じりの声がした。
「おすかぁ……」
「ああ」
「ごめん、なさ……」
「なぜジュリアが謝る?」
「……私が、会いに行くって……」
「あんな奴だとは知らなかったのだろう?」
こくんと力なく頷かれる。
「あれは百パーセント、アレが悪い。完全に痴漢だ」
「ちかん……」
「反応が遅れてすまなかった」
ふるふると首を横に振られる。
「一人だったら抵抗できなかったと思うから……」
「大丈夫そうか?」
小さく首が縦に落ちる。
「……だいぶ、あなたで上書きできたから」
「そうか」
改めて彼女を抱きしめなおす。上書きができるのなら、あの男の感触をすべて消してしまいたい。
ジュリアが少し体勢を変えて、彼女からも腕を回して抱きついてくる。こんな時なのに、愛しさが勝ってしまいそうだ。
「ぜんぜん、違って……。驚いたし、怖かったし、気持ち悪かった……」
「……ああ。最低だったな」
そっと彼女の頭を撫でる。
「前に、フィン様から、人を殺せるかって聞かれて……、絶対行くなって……」
「ああ」
「もし不意打ちで意識を奪われたら抵抗のしようがないんだって……、実感が……」
「怖かったな……」
こくっと小さく頭が動く。
「おすかー……」
甘えるような音と共に、彼女が少し体を引いて視線を重ねてくる。
「あなたがいい……」
「ジュリア?」
「あなたがほしい……」
ぶわっと全身に熱が巡る。彼女に求められているのだからいいのではないかという思いと、今の彼女は正気ではないのだからダメだという理性がせめぎあう。
おそらく、バートに迫られた時と同じなのだろう。他の誰かに触れられるくらいなら、先に触れあっておきたい。そんな求め方だと思う。
「……ジュリア。愛してる」
彼女の頬に手を添えて、柔らかく唇を触れあわせる。すぐに離したけれど、離れきらないうちに彼女からも求めてくる。
「ん……」
なけなしの理性が溶かされて消えてしまいそうだ。けど、今はとどまらないといけない。
彼女の思いは受け取って、すぐに少し身を引いた。
「……おすかー?」
「ジュリア。二度と指一本触れさせない。今はその方法と……、どうやって今日家に帰るかを考えないといけないと思う」
「あ……」
彼女がハッとして、いくらか目に正気が戻る。
「例え今触れあってジュリアを自分のものにしたとして、その後であっても、思いがない相手に触れられるのはイヤだろう?」
「それは……、はい。ものすごくイヤです……」
「それに、今夜帰らないのも、これ以上遅くなるのも、今後外出する上で障害になる可能性が高い」
「……そう、ですね。お父様の心象的に」
「ああ。だから今は、どうやってジュリアを安全に家に帰すか、帰ってからも安全に過ごせるのか。それを一刻も早く考えないといけない」
「それは……、そう、なのでしょうが……」
どこか恥ずかしげに上目遣いで見上げられる。
だいぶ表情はよくなっている。その分いっそうかわいいし、どこか色香もまとって見える。
そっと手を両手で包まれて運ばれて、彼女の柔らかくて弾力もある胸に押しあてられる。
(ああああっっっ……)
それどころではないのはわかっているのに、本能に呑まれてしまいそうだ。
「……すごく、ドキドキしてて。その……、あなたに触れられる期待が……、今は……」
(ものすごくかわいいんだが??!)
理性の糸がぷつんと切れた気がする。
シャツの胸元をはだけさせて、彼女の頭を抱きよせた。
「……自分が、冷静だとでも?」
期待に昂っているのは同じだ。これからのために、それを必死に飲みこんでいるにすぎない。
腕の中で彼女が真っ赤になっている。かわいすぎる。が、今は必死に理性の糸を結び直す。
「自分は……、ジュリアをちゃんと大事にしたい。触れるのはジュリアに後悔が残らない時がいい。だから、今は違うと思う」
「……わかりました。……もう一度だけ、キスをしても?」
「ん……」
一度だけ。そのつもりで触れあわせたけれど、つい、もう一度と追ってしまう。冷静ではないのだ。どうにか抑えこんでいるだけで。
なんとか二度目で解放すると、ジュリアが嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。オスカー、愛しています。だから……、全部解決したら。全部、あなたのものにしてくださいね」
(ああああああっ……)
一瞬息が止まったかと思った。
かわいい。どうしてこんなにもかわいいのか。とにかくかわいい。おかしい。かわいすぎる。
今すぐ全部解決できる魔法があればいいのにと不毛なことが浮かぶ。
「……ああ。必ず」
答えると、頬に彼女の唇が触れる。もう一度だけと言った手前、場所を変えたのかもしれない。
同じように彼女の頬に口づけを返す。
幸せそうにジュリアが笑う。
その笑顔が戻ったことに心底安心した。




