18 世界を変えたい怪盗と魔法の師匠
怪盗ブラックの空間転移で、景色が変わった。
少し広さがある室内だ。ベッドがひとつ、丸テーブルがひとつに椅子がふたつ。印象としては安い宿屋の一室だろうか。
一緒に転移させたブルーミスリルのロッドが入った台座の上に、怪盗ブラックは乗ったままだ。跳躍していたオスカーは着地して、自分もホウキから降りてホウキを消した。
「は? お前らついて来……」
「ミスリルプリズン・ノンマジック」
ブラックが自分たちに気づいて驚きの声をあげたのと同時に、魔法封じの檻を発動した。この部屋全体を覆えば、とっさに避けようがない。これで再び空間転移される心配はない。
制限なく魔法を使えるのは楽だ。もし自分とオスカーだけの戦闘なら、会場に怪盗ブラックが現れた時点で会場全体を魔法封じで覆うだけでよかった。その規模は父も使えないだろうから、みんなその発想がなかっただけだ。
「……は?」
ブラックが、何が起きたか飲みこめない顔をしている。
「オスカー、制圧をお願いします」
「任された」
魔法なしの戦闘で、オスカーが他の魔法使いに押される姿は浮かばない。
軽い動きで跳ねて、台の上のブラックを投げ落とす。
「クッ……」
ベッドの上に伏したところで、背中側から両腕を捻りあげれば完了だ。ものの数秒だった。
「トールさんも大人しくしてもらえますか? 戦う気なら、私が相手をしますが」
息を飲んで目を見張っていたもう一人に声をかける。
一緒についてきたのは自分たちだけではなかった。裏魔法協会のトール。彼も空間転移の使い手だから、その特性をよく理解しているのだろう。
トールが降参を示すように両手を上げる。普段なら魔法使いにこのポーズは意味がないが、魔法封じの檻の中なら意味がある。
「吾輩は運動はからっきし故。お嬢さん相手でも遠慮しよう。それに、そこで捕まっているバカ弟子と話せるならばそれでよい」
ブラックが舌打ちしてニラみつけてくる。
「頭おかしいのか? 魔法封じに自分も入れるなんて。アンタだって解除以外何もできなくなるってのに」
「まあ、普通の魔法使いの戦い方ではないのでしょうが。近接戦闘をこなせる信頼できるパートナーがいますから」
ブラックを取り押さえているオスカーを見ると、少し得意げに口角が上がった。
「抵抗が無意味なのはわかったから、解放してもらえないか? 普通に痛いんだが」
「そうですね……、拘束できるものがあるならいいのですが」
「通常は魔法で出すからな。自分も手ぶらだ」
「本人の革ベルトか、それが難しければ吾輩のタイを使ってもらって構わぬ」
「両方にしましょうか。まずベルトで腕を縛って。あと、確か親指を拘束すると絶対に外せないんでしたよね。念のためにタイで親指を縛りましょう」
「かわいい顔して怖いお嬢さんだな」
「そうか? 妥当だと思うが」
オスカーがブラックを後ろ手にしっかり拘束して、ベッドに座らせる。他の場所よりも監視がしやすいからだろう。
話しやすい位置に椅子を持ってきて座ると、トールも同じようにして腰を下ろした。
「さて。まず、ここはどこですか?」
「ソラルハムの宿屋だ。今回の拠点にしている」
「なるほど。あなたが空間転移で往復して、戦闘の余力が残るのがこの距離なんですね」
今回の、ということは常宿ではないのだろう。
より遠くまで空間転移をした方が逃げやすいため、最大限遠くしたいはずだ。戦いになることを加味した結果がこの距離なのだろう。
ソラルハムはホワイトヒルから、ウッズハイムとは別方向にみっつ隣の街だったはずだ。ホウキで飛ぶとそれなりに時間がかかる。そう簡単には捜索に来られないから、空間転移してから逃げきるのには十分な距離だ。
「……魔法に詳しいのか」
「それなりには」
「なら、この先、どうするつもりだ? 聞いてる感じだと師匠と一枚岩じゃないんだろう? 空間転移なしじゃそう簡単に帰れないし、ソレも持ち出せないだろう」
実は空間転移を使えるのは内緒だ。
「ここの魔法協会支部にあなたをつきだして、盗品も回収して届けてもらえば済む話なので」
「それは吾輩が困る」
「なら、トールさんも一緒に捕まりますか? あなたも指名手配中なので、お望みなら。大人しくしてもらえるなら、逃げられたことにして見逃すのはやぶさかではありません」
今ならオスカーも動ける。捕まえるつもりなら簡単だ。
「……師匠が指名手配中?」
ブラックが不可解なものを見るように眉をよせる。
「この状況で吾輩を見逃すというのは寛大だと捉えるべきか」
「お話があるなら今のうちにどうぞ」
「ふむ」
トールがあごの下に手を当て、小さく息をつく。
「ブラッド。なぜ吾輩の元から離れた」
(怪盗ブラックの本名はブラッド? それとも、トールたちと同じでただの呼び名なのかしら)
怪盗ブラックという名は、本人が名乗っているものではない。魔法協会が勝手につけた通称だ。正体不明の黒い軍服の泥棒と呼ぶ代わりに使っていたにすぎない。
怪盗ブラックがトールをまっすぐに見据えて答える。
「世界をひっくり返すために」
全員の目が点になる。トールが頭を抱える。
「正気であろうか?」
「当然だ。師匠は貧民窟を知っているか?」
思いがけない単語が出てゾワッとした。どうにかしたかったけれど、フィンからどうにもできないと言われたことを思いだす。手に力が入った。
「大体どこの街にもある、あぶれ者のたまり場であろう?」
「初めからそうなりたくてなった奴なんていない。あいつらは個人主義、資本主義の犠牲者だ。
どの職であっても能力や効率を追求され、その速さに乗れなかった者たちが多い。
世界が優しければ、人の中で生きるのが苦しくなければ、誰が好んであんな生活をするものか」
心の奥がザワザワする。
魔法協会が怪盗ブラックと呼んでいた、ブラッドが言うことには一理あると思ってしまう。
つい疑問が口をついて出る。
「……それと、あなたが盗みを働くことになんの関係があるのでしょうか」
「生き直せる場所を作るためには金が必要なんだ。行政がやるような形ばかりのものでは意味がない。
オレは、この世界からあぶれた者たちが安心していられる場所を作りたい。ひいては、この世界を、誰もあぶれない世界にしたい」
手段には賛成できないけれど、理想には共鳴したくなる。誰もあぶれない世界。それはきっと、理想だ。
「金を生みだすことしか脳のない資本のブタどもに痛い目を見せた上で資金源になる。これ以上の方法はないだろう?」
「……吾輩の元を離れる少し前に、理想の話は聞いていたな」
「ああ。アンタは個人の才覚に帰結するタイプの魔法使いで、『本人が努力することだろう』と言われたな。
だが、オレたちとアイツらの何が違う? たまたま偶然、オレたちには魔法の才能があったっていうだけだろう?」
その通りだ。たまたま自分は裕福な家に産まれて、たまたま魔法の才能があった。魔法使いにならないなら何ができるのかを考えた時に浮かんだ仕事も、親が教養を与えてくれていなければできないことだ。
もし貧民窟に産まれて、魔法の才能もなかったら。そもそも魔力開花術式を受けさせてももらえなかったなら。どんなふうに生きていたのか、死んでいたのか、わからない。
「それが人の世のあり方というものであろう。その者たちのことはその者たちが考え、解決すべきこと故」
「だからアンタとは相入れないんだ。個人の問題は社会の問題の中にこそあるとオレは思う」
(そうなのよね……)
大人ですら、きっとそうだろう。子どもなら尚更だ。産まれる場所は選べない。
「で、アンタは今でも魔法卿の犬として、せっせと移動を手伝ってるもんだと思ってたんだが?」
(え。トールが魔法卿の移動を手伝っていた……?)
空間転移が使える魔法使いは希少だ。忙しい魔法卿の執務を移動面でサポートするというのは、確かに必要な仕事なのかもしれない。
「吾輩が仕えていた先代は、お前がいなくなってすぐ引退しておる。次代からの打診を断り魔法協会を離れてからはフリーランスをしておる」
(フリーランス……)
裏魔法協会として仕事を請け負っていても、本人たちはそういう認識なのだろうか。
「へえ、あの堅かった師匠が魔法協会を離れたのか。それで指名手配ねえ」
「まったく、誰のためだと……。当代の脚とするためにお前を育てておったのに」
そこまで話した時だ。部屋全体を覆っているミスリルプリズンが雷撃を受け、建物が揺れた。
その程度で壊される魔法ではないが、慌てて窓の外を確認する。
「お父様?!」
「クルス氏……?」
ギリギリ目視できる距離に、ホウキに乗った父の姿が見えた。ものすごい速さでこちらに向かってきていて、ぐんぐん大きくなる。
(待って。どうやってここがわかったの?!)
移動しつつもう一度、ミスリルの檻に雷撃が加えられた。
「完全に勘違いしている気がするな。ジュリアが敵の檻に囚われていると思っていそうだ」
(ちょっと待って。……どうしよう)
父や関係者が追ってこられないものとして、ミスリルプリズン・ノンマジックなんていう最上級魔法を展開しているのだ。こんなものが使えると父に知られるわけにはいかない。
「どうしよう……」
頭が真っ白になって何も思いつかない。




