12 オスカーの隣の女性
大きな通りのいくらか離れたところを、オスカーと女性が腕を組んで歩いている。
こちらには気づいていないようだ。変装しているし、人の流れが隠してくれている部分もあるだろう。
息ができないまま、視線だけが二人を追っていく。
その女性は街の若者らしいオシャレなドレスを着ていて、長くてきれいなブロンドの髪をたなびかせている。
女性の平均身長より少し高いだろうか。彼と並ぶとちょうどよく見えるし、しぐさはとても女らしい。
(……誰?)
相手の顔がよく見えるわけではないが、目に入る範囲の姿、その雰囲気や立ち居振るまいは、自分が知っている人ではない。
前の時を含めて、だ。もちろん彼の母や親戚など、親しくて当然の誰かではない。
それなのに、オスカーの表情に気負いはない。気心が知れた相手という印象だ。
胸が締めつけられる。
彼を傷つけた自分がショックを受けるなんておこがましい。それはわかっている。
彼が笑っているならそれが一番で、今はそれが叶っている。それもわかっている。
わかっていても、実際に他の誰かが彼の隣に立っているのを見ると呼吸すらままならない。自分が望んだ結末なはずなのに、心と体が言うことを聞かない。
立ちつくしていると、ふいにオスカーと目が合った気がした。
ひゅっと息を飲む。
(……大丈夫。この姿で私だって気づくはずがないわ……)
自分に言い聞かせる。
その証拠に、彼はすぐに隣の女性に視線を戻して話を続けた。
吐きそうだ。早くここから逃げだしたい。
なんとか足を動かせないかと奮闘していると、オスカーが駆けよってくる。相手の女性はその場に残したままだ。
(ううん、そんなはずない。きっと近くの何かに用があるだけ。正体がバレてはいないはず……)
早まる心臓をなだめるためにそう考えた。
が、彼は自分の前で足を止めた。
「……クルス嬢」
呼ばれて、顔から火が出るかと思った。
(バレた?! なんで?!)
何重もの混乱に襲われる。
「約束を破ってしまって、すまない。だが……。彼女は違うのだと、どうしても伝えたくて」
彼女。
その音にえぐられる。
「何が違うのでしょう。私とあなたには何の関係もないのだから、言い訳をする必要はありません。……どうぞ、お幸せに」
再会したばかりの時には言えなかった「関係ない」という言葉が自然と口をついて出ていた。
声にした自分でも驚くほど冷たく聞こえた。それでいて最後の言葉は震えてしまっている。
矛盾しかない。
オスカーの眉がいっそう下がる。
滅多に泣く人ではなかったのに、泣くのをこらえているかのように見える。捨てられた子犬のようですらある。
胸が痛い。
でも、これでいいはずだと自分に言い聞かせる。
「彼女さんを待たせてはいけないのではないですか? どうぞ、行ってください」
「いや、あれは……」
言いかけて、何かをあきらめるように、オスカーが空気を吐きだした。
「……呼び止めて、すまなかった」
「あれ? きみ、クルス氏のお嬢さん? ジュリアちゃんだよね? なんでそんなかっこしてるの?」
唐突に、重かった空気を軽い音がかち割った。男性の声だ。
なのにそこにいるのは、いつの間にかこちらに来ていた、彼が連れていた女性だ。
(?????)
頭がハテナマークで埋めつくされる。
「なんて、このかっこをしてるぼくが言えたことじゃないんだけどさ」
その人がそう言って肩をすくめる。軽いその声には聞き覚えがある。前の時に。
ルーカス・ブレア。魔法協会の先輩だ。
所属部門は違ったけれどオスカーと仲がよくて、面倒を見てくれたり茶化されたりしていた。
娘の結婚式にも招待していて一緒に犠牲になったうちの一人だ。オスカーの親友と言っても差し支えないだろう。
が、見た目が完全に別人だ。記憶の中のルーカスの顔はもっと薄かったはずだ。かつらとメイクで印象が変わっているのだろうか。
「割って入ってごめんね? ぼくはルーカス・ブレア。オスカーの同僚で、一応先輩かな?
このかっこをしてるのは趣味じゃなくて、それが必要な仕事の帰りなんだ」
(そんな仕事があったかしら……?)
前の時の古い記憶を掘りかえす。ルーカスが女装をしたことはなかったはずだ。
思い至ったのは、魔法使い見習いになって間もないころにオスカーと行った宝飾店の調査だ。
魔法使いがらみの窃盗事件の盗難品が流れている店を洗うために、若い恋人を演じて店を巡るように言われた。相手がオスカーだということで舞いあがったのを覚えている。
自分が魔法協会に入らなかったことでルーカスが代わりをしたのだろうか。
「で、ジュリアちゃんは? その格好は趣味?」
軽い感じで聞かれる。顔が熱い。
オスカーに見つからないためだとは言えない。それなのに簡単に見つかったのだとも。
「もしかして誰かに見つからないようにするためとか? あはは。図星って顔だね」
耳まで熱い。穴があったら入りたいが、今は帽子を引き下げるくらいしかできない。
そういえばルーカスはやたらカンがよかった気がする。何か異名があったくらいに。
それに助けられた時もあれば、それがイヤな時もあった。今は後者だ。
何か言わないとと思うのに言葉は出てこない。
代わりにオスカーの声がした。
「やめろ。クルス嬢が困っているだろう。もう行こう。これ以上困らせたくない」
「ん? ぼくはきみの用事が済めばよかったんだけど。
でも、きみたちの顔にはどっちも、これではよくないって書いてあるよ?」
「……仕事も終わってない。報告に行かないと」
「遅くなったら直帰して明日でいいって言ってたじゃない。もうほぼ終業時刻だし、直帰する連絡を飛ばせば問題ないよね? なんのための連絡魔法なのさ」
そう言って、ルーカスがすぐに業務連絡を飛ばす。行動が早い。
「だが、クルス嬢の都合も」
「んー、ならいいや。ぼくがジュリアちゃんと話す時間をもらうね。
ね、ジュリアちゃん? どうかな。お父上の職場での話とか……、なんならオスカーの話とか。聞きたくない?」
(聞きたい!)
前のめりに本音が出そうになるのを飲みこむ。
前の時にルーカスからこんなことを言われたことはなかった。だいぶ流れが変わっている気がする。
前は、この頃にはもう魔法協会に入って、職場での父を直接見ていたからかもしれない。自分がいないとどうなっているのかは気になるところだ。
何より最近のオスカーのことを第三者から聞けるのは嬉しい。本人には近づけなくても、ルーカスと繋がりがあればオスカーのことを知れる可能性がある。その機会を捨てきれるほどに割り切れてはいない。
(オスカーを交えないなら、話に乗っちゃってもいいのかしら)
「……少しなら、時間、大丈夫です」
「ほんと? やった! 前からクルス氏のお嬢さんと話してみたかったんだよね」
「あの、私のこと、前から知っているんですか?」
「あはは。知られてるのを知らないって感じだね。そのへんも教えてあげるよ」
ルーカスが軽い調子で肩に手を乗せてくる。
他の人なら嫌だっただろうけれど、ルーカスが女性の格好をしているのと、前の時にはそれなりに親しかったのもあって抵抗はない。
「じゃあね、オスカー。また明日」
ルーカスがひらひらと反対の手を振ると、オスカーの目が揺れた。
直後、想定外の言葉が続く。
「……自分も行く」
(……っ!)
まんまとルーカスに乗せられたような気がした。
ルーカスが口を出す前のやりとりやその後の反応から、自分たちが素直に話に応じるとは思わなかったから、行くという言葉の引きだし方を変えたのではないだろうか。
その証拠に、オスカーが来ると言ったのと同時に、ルーカスは自分の肩から手をどけている。あれもまた、オスカーを焚きつける演技だったのかもしれない。




