35 二度目の壁ドンと二つの予定
オスカーが片手で口元を隠して固まってしまった。耳まで赤い。何か変なことを言っただろうか。
(あれ? 正論しか言ってないわよね?)
少し前を飛んで時々振り返るユエルがニヤニヤしている気がする。ピカテットの表情はイマイチわかりにくいけれど、なんとなくだ。
そんなふうに思っていると、ふいにオスカーがサッとフードを被った。
と思った瞬間、建物の壁際に押しやられる。オスカーが壁に両手をついて、その間に収められた形だ。
(え……)
前に、近い態勢になったのはワイバーン戦の後、独断行動を諌められた時だった。
(私、何かした……?)
何がまずかったのかという思いと、彼が至近距離に迫っているのとで、鼓動が速まって落ちつかない。
「オス……」
「しー」
小さな声で止められ、唇に軽く指先をあてられる。
(?!)
驚いたけれど、それよりも、触れた指先が愛おしい。
そっと両手で彼の手を包みこむ。
ちゅっ。
今度は自分から、その指先に口づける。
彼の瞳が驚きに揺れる。片手で彼の手を取ったまま、片手で彼の染まっているほほに軽く触れる。
(大好き)
つま先立ちで背を伸ばす。
ちゅっ。
ほんの少し、軽く、彼のあごに唇を触れさせる。この前、鼻にキスをされた仕返しだ。身長的に、彼がかがんでくれないと鼻には届かなかった。
驚きと愛しさが混ざったような目が、とても愛しい。
今度はその唇へと思って、ハッとした。
なんて大胆なことをしでかしてしまったのか。ものすごく恥ずかしい。
熱くなった顔を隠すように、彼の胸に押しつける。
彼の心音が聞こえる。早く打っているように感じるそれが、とても愛おしい。
(オスカー。大好き)
大切なものを守るかのようにぎゅっと抱きしめられる。かかる吐息が熱い。
どのくらいそうしていたのか。彼の方からゆっくりと体が離されて、ふわりとおでこにキスが落ちる。
(これ、好き……)
彼の感触が残るのが、なんとも幸せだ。
「……驚かせてすまなかった」
「いえ……」
少しバツが悪そうに言うオスカーもかわいい。
「何かありました?」
「……一瞬、親を見かけて」
「え」
「今日は邪魔されたくないなと」
「あ……」
それで、フードで顔を隠して、隠れるように端に寄ったのかと納得した。
「少し強引だったと思う」
「ふふ。少し強引なのも好きですよ。あなた限定で」
「……そうか」
フードを外した彼の耳まで真っ赤だ。かわいい。
▼ [ルーカス] ▼
月曜朝恒例のオスカータイム。
「はよ」
「……ルーカスか」
返事はあるけれど、顔は上げてこない。
「で、今日は?」
「……早く結婚したい」
「また随分飛躍したね」
ちょっとおもしろい。最近はこの後輩が、頭の中を開けて覗きたい相手ナンバーワンだ。
「したいなら早く結婚すれば?」
「彼女の条件を達成しないことには」
「ああ、そういう」
面倒なことの方だろう。そこには首をつっこまない。
「で、先週末は何されたの?」
聞いた途端、オスカーの耳が赤くなる。
ついに先に進んだか? と一瞬思ったけれど、このバカップルに限ってはそうとも言い切れない。
「キスを……」
(うん、してないね)
明らかにしてそうな雰囲気で言い出しているけれど、なんとなく違うと思って聞き返す。
「今度はどこ?」
「指とあごに……、された」
「え、されたの? したんじゃなくて? ジュリアちゃんから?」
ほんのわずかにあごが引かれたように見える。
「あと……」
「あと?」
「少し強引なのも好きだと……」
「待って。それどういう状況?」
「……自分に似た男の子もほしいと」
「だからほんとどういう状況なの……」
いつもながら言葉が足りなすぎる。わかるのは、自分なら手を出す一択しかないということだ。
「まさかと思うけど、そこまで言われてガマンしたの?」
再び、小さな肯首。
「なんかもう、尊敬するわ……」
「早く結婚したい……」
「しろしろ。さっさと問題解決して、ちゃんとジュリアちゃん手に入れな」
「できたらしてる。……二人で奮闘中だ」
「そっか」
「……ジュリアに、もう巻きこんでいるんだから、二人のことにするようにと言ったらしいな」
オスカーがもそりと起きてくる。
「うん、言ったね」
「それには感謝している」
「どういたしまして」
暫くして、彼女とクルス氏が出勤してくる。いつも通り、クルス氏は自分のデスクへ、彼女は自分たちの方へやってくる。
「おはようございます」
「おはよう」
「はよ」
「……ジュリアさん」
(職場で他の人もいる時は、基本「さん」づけで呼んでるんだよね。律儀)
呼ばれる彼女は慣れていなくて、いつもちょっとはにかんでいる。その表情にそわそわしている男性は少なくないけれど、本人はまったく気づいていないと思う。
「はい……」
「昨日、至急という感じで魔道具の手紙が飛んできたんだが」
「はい?」
内容が予想外だったのだろう。彼女が不思議そうにする。
「土曜……、気づいていてスルーしていたそうだ。一度連れて来るように言われたのだが。……いつがいいだろうか」
「え」
言っているオスカーも恥ずかしそうだが、彼女の方も真っ赤になる。
(待って。どこで何してたの……)
文脈からするとオスカーの親に何か目撃されたのだろう。オスカーも魔法使いの家系で、隣街だったか。
「えっと……、早い方がいいですか?」
「そうだな……。すぐでなくても、とは思うが」
「うーん……、行かないでおくのも気になるので。あなたの都合がよければ、今週末でも来週末でも」
「わかった」
(それ外堀埋めてることになるの、ジュリアちゃんは気づいてないんだろうね)
ジュリアが何かを思いだしたような顔をした。
「あ、今週末か来週末のどちらかに、ピカテットの集いに行こうかと思っているのですが」
(ピカテットの集いって何?)
色々と情報が足りなさすぎる。
「ピカテットの集い……?」
オスカーも聞いていないようだ。
「はい。バーバラさんたちとフィン様がピカテットを飼い始めたそうで。一度みんなで会わせてみたいって言われました」
「……自分も行っても?」
「えっと、報告のつもりで。土曜日はあなたとの用事を進めたいので、日曜日に行こうかと思っていて。ペットの話をするだけだし、一人でも大丈夫じゃないかと」
困ったようなオスカーの視線が飛んでくる。この前あれだけ話しても、この子にはまだ警戒心が足りないようだ。
「ジュリアちゃん、それ最低でもオスカー連れて行ってあげて。ぼくなら行かせないと思う」
「え、ダメですか?」
「自分の彼女に気がある男が二人もいるところに、なんでみすみす行かせなきゃいけないの?
きみは友だちのつもりでも、向こうは明らかに違うでしょ。そもそもピカテットだって、きみに会うための口実なんじゃない?」
「……そうなんでしょうか」
「うん、真っ黒。行きたいならオスカー連れて行って、彼氏の面目保ってあげなね」
「わかりました」
自分ではその辺りを言えないオスカーが少しホッとした顔になる。まったく、手がかかるバカップルだ。
「じゃあ、土曜日に設定してもらった方がいいでしょうか。私の用事を繰り越しで」
「いいのか?」
「はい。一、二週間ズレても特に何かが変わることでもないので。あなたがよければ」
オスカーが考えるように黙る。
彼女の用事というのは、例の件のことなのだろう。早く結婚したいと言っていたオスカーは早く進めたいに違いない。
それと日曜日の訓練を休むかを天秤にかけている、というよりは、彼女にその動機を話せるかを考えている、といったところか。
「……そうだな。それで頼む」
(本人には言えないんだな。へたれむっつりめ)
「じゃあ、先にあなたの方を決めてください。バーバラさんたちは、いつでも都合を合わせてくれると言っていたので」
「ああ。すぐに調整しよう」
「……ジュリアちゃん、ピカテットを口実に継続して会う約束をさせられる可能性が高いから、気をつけなね」
「えっと……、はい。わかりました」
一応釘を刺しておいたけれど、どこまで本人に刺さっているのかはわからない。
オスカーも一緒に聞いているし、一緒に行けるのだから、後はオスカーががんばるしかないだろう。
(ぼくなら絶対行かせないけどね)




