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24 [オスカー] ヌルヌル


「キス……」

 かわいくて愛しい口元が、そんな甘い言葉を紡ぐ。

(さらばだ、理性。これは緊急時だ)

 緊急時ならまたするかもと、彼女は言っていた。トクトクトクと心臓が期待に躍る。


「あなたはイヤなようなので」

(ん?)

 イヤだと言った覚えはないが、確かに控えてほしいとは言ったことがある。

(そういえば、クロノハック山でその話になった時も、ちゃんと答えられてはいなかったな)

 誤解しているなら早めに解いた方がいいだろう。そう思うけれど、どう伝えていいかわからない。


 ジュリアが言葉を続ける。

「……手を、つなぐ形で」

「それで……、いいのか?」

「あの時と違って、今日はそこまで時間がないわけではないので。あなたの残量もありますし、二、三十分くらい手をつなげば完全回復できると思います」

 肩すかしを食らった気分だ。がっかりだ。

 手をつないでいられるのは、もちろん嬉しい。けれど、期待が大きすぎた。が、そんな恥ずかしいことを彼女に知られたくはない。

「……わかった」

 彼女に片手を差しだす。


「メウス・トゥーム」

 呪文を唱えて、彼女が手を重ねてくる。ゆっくりと、しっかり、恋人つなぎになる。じんわりと心地よい熱が移ってくる感じがする。

(……いや、これはこれで)

 もちろん、キスはしたい。したいけれど、こんな穏やかな幸せも心地いい。


「……へたれ」

 ピカテットが耳元に飛んできて、ボソッと何か言った。

(うるさい。本能しかない魔獣と一緒にするな)

 彼女が飼うことになったから、一応、ピカテットの生態については軽く調べた。引くくらい繁殖力が高い魔獣で、一年中繁殖期らしい。

(なんともうらやま……、そうじゃない)

 よこしまな考えを必死に打ち消す。


 空がつきぬけるように青い。幸せを絵に描くと、こんな時間なのかもしれない。

「オスカー?」

 ふいに声をかけられる。

「ん?」

「ふふ。呼びたかっただけです」

(かわいいんだが?!)


「……ジュリア」

「はい」

 返ってくる音がどこか気恥ずかしそうで、それだけでもうかわいすぎする。

「……愛してる」

「ぁ……」

 ぶわっと彼女が涙をあふれさせる。泣かせるつもりはなかったけれど、今は嬉しくて泣いているのはわかっている。

「……私も。私も、愛しています」

 前に聞いたクルス氏に宛てたものとはまるで音が違う。甘くて、思考が溶けてしまいそうだ。

 トットットットッと心音が聞こえる。どちらからともなく顔が近づいていく。


「ヌシ様! オスカー!」

(またいいところでこいつは……)

 一瞬そう思ったけれど、ユエルの声は切羽詰まっている気がする。

「上!」

 そう言われて振り向いたのと同時に、巨大な影が落ちて迫ってくる。

「ツインヘッドイーグル!」

 翼を広げていると五メートルほどにもなる、巨大な双頭のタカだ。

「っ、狙いはピカテットか?!」

「私が!」

 繋いでいた手が離されて、ジュリアが詠唱に入る。


「ヘビー・ブロウ・ウインド!」

 風系統の上級魔法だ。集中的な強風が、向かってくるツインヘッドイーグルを反対方向に吹き飛ばす。大きな翼に真っ向から風圧を受けて、なすすべなく遥か遠くまで飛ばされていく。

 倒すのではなく追い払う魔法を選んだのが彼女らしい。


「さすがヌシ様!」

「いえ。ユエルは気づくのが早いんですね」

「オイラたちはそうやって生き延びてきた魔獣ですから」

 そう答えつつも、ものすごくドヤっている。

 戦闘力はないけれど、危険の察知や魔力探知に長け、知能が高い。加えて繁殖力もあるなら、種を保存するのには十分だろう。


「今ので、ちょっと思ったのですが」

「なんだ?」

「ワイバーンって、虫、食べますかね?」

「どうだったろうか」

 完全に想定外の問いだ。なぜそんなことを聞かれるのかがわからない。

 答えられるものなら答えたいが、魔物の生態には特に詳しい方ではない。彼女もあまり知らないのだろう。首を傾げている。


「食べたと思いますよ、ヌシ様。ワイバーンは肉食寄りの雑食で、オイラたちが狙われることもあります」

「じゃあ、ユエルはエサではないことは言い含めないとですね。ワイバーンたちに、虫系魔物の幼虫たちを食べてもらいましょう」

「……は?」

「ワイバーンを逃した時に言われたんです。困ったら助けてくれるって。私の魔力なら、連絡の魔法を近隣のワイバーンたちのところまで飛ばせると思います」


「つまり……、自分たちは魔法で地中から追いだすところまでをやり、出てきたらワイバーンに任せる、と?」

「はい。さっきの十数倍もの数を地道に退治するのは大変だと思うので」

「それは、そうだな」

 今までかかった時間を考えると、ほぼ間違いなく持ち越しになる。彼女の案には試す価値がある気がする。

「ワイバーンまで従えているなんて、さすがヌシ様です!」

「従えているわけではないですが。お友だち……? なのでしょうか」



 ワイバーン作戦は大成功を収めた。

 土を動かす魔法を広めの幅でかけて、虫系魔物が姿を現したところをワイバーンがついばむ。魔法で土を戻して、隣のエリアで同じことを繰りかえす。ものすごく楽だった。


 スライミースラッグはベトつくから食べたくないとのことで、バランスをとるためにそれだけは退治しておく。本来は炎耐性がある魔物だ。それを一切無視して跡形もなく消し飛ばしたさっきのジュリアの火力がおかしい。

「炎、水、土、物理に耐性があるって、結構面倒ですよね」

「弱点の雷系統が使えれば、退治自体は問題ないのだが」

「死骸の処理が問題ですよね。素材にならないから買い取ってももらえないし」

「粘液が完全に乾燥すれば、燃やせるのではなかったか?」

「じゃあ、一ヶ所に集めて、最後に乾燥魔法と炎魔法ですかね」

「……運ぶか」


「すみません。私が空間転移で運ぶのが一番楽なのでしょうが」

「触りたくないのだろう?」

「他の虫系ほどダメではないのですが。……かなり勇気は要ります。できれば凝視するのもちょっと……」

「ムリはしなくていい。自分は乾燥系統の魔法は生活魔法レベルしか使えないから、そこは任せられると助かるが」

「はい、もちろんです。ありがとうございます」


 フローティン・エアで浮かせて数体をひとまとめにして、ウッディ・ケージに入れ、ケージをホウキで森の外まで運ぶ。街とは反対側の、死角になる方だ。前にルーカスに助けられた時の方法が役に立った。

 一番粘液の被害を受けない方法を選んだつもりだったが、いくらかまとわりつくのはあきらめるしかない。ただの本体の保護剤で、毒などはないため気にしないでおく。


 一ヶ所で減らしすぎないように間引いていき、ワイバーンたちの協力のおかげもあって、日が傾き始めるより前にはユエルからオーケーが出た。

 ジュリアが笑顔でワイバーンに礼を言う。

「ありがとうございました。助かりました」

「ウマイ、エサ」

「アリガタイ」

 ワイバーンたちも満足そうに帰っていく。ウィン・ウィンだったようで何よりだ。


 彼女が自分の方に向き直る。

「お疲れ様でした」

「ああ。あとひと仕事だな」

「スライミースラッグの処理ですね。……だいぶヌメヌメになってますが、大丈夫ですか?」

「不快感はあるが。それだけだな」

「洗いましょうか?」

(?!)

 質問の意図が理解できない。

(自分で洗いに行くのではなく、彼女が洗ってくれる? どこで、どうやって……?)

 入浴姿を想像するなという方がムリだ。


(いや、落ちつけ……)

 そういう期待をして叶ったことはない。彼女の場合は、そういう意図はないと考えた方がいい。そう思うのに、答えるのに心臓がバクバクだ。

「……頼んでも?」


「はい。オートマティック・ウォッシュ」

 全身が適温の水に包まれたと思ったら、一瞬で消えてなくなる。服も体ももう濡れていない状態で、ピカピカだ。

 ついでという感じで、彼女自身にもかけている。土や泥がついていた服もキレイさっぱりだ。

「……洗浄の魔法、か?」

「はい。便利なのに、魔法協会では習わないんですよね。不思議です」

「メリットと魔力効率の問題だろうな。街で普通に生活していれば必要ないから、冒険者協会に所属している魔法使いの中では伝わっているのかもしれない」

「あ、確かに。私が使うようになったのも、街を離れてからでした」


 それぞれのホウキで、スライミースラッグを積んだエリアへと移動する。

「うわあ……」

 上から見ただけでジュリアが全力で引いている。無理もない。山のように折り重なったブヨブヨした体。そこから流れた大量の粘液が、池くらいの大きさに広がってヌラヌラと光っている。


「とりあえず乾かします……」

「ヌシ様! 後ろ!!」

 ジュリアが魔法を唱えようとしたところへ、高速で突っこんでくる巨大な鳥の姿があった。ツインヘッドイーグルだ。昼にユエルを狙った個体が戻ったのだろうか。

「っ……」

 慌てて助けに入るが、詠唱が間に合わない。相手のスピードを殺すために体当たりで応じる。が、止めきれない。

「きゃっ」

 結果、ジュリアと二人で下へと落とされる。一瞬の出来事で、なす術がなかった。せめて彼女にケガをさせないように抱きこんで墜落する。


 落ちた場所が、ある意味よくて、ある意味では最悪だった。

 スライミースラッグの死骸の山の上。ボヨボヨの体とヌメヌメの粘液のおかげで、体へのダメージは皆無だ。

 代わりに、二人揃ってヌメヌメ地獄にハマった。全身ヌルヌルでぐっしょりだ。


「ジュリア。大丈夫か……?」

「……おすかぁー……」

「?!」

 嬉しい時や悲しい時の泣き顔とは違う。あまりにイヤでどうしようもない感じのガチ泣きで、ぎゅっと抱きつかれる。

「ううううっ……」

 最低だ。

 彼女が泣いているのに、かわいすぎる。全身全霊で頼られているのが、ものすごく嬉しい。

 早く助けだして洗浄魔法をかけてもらうのがベストだろう。そう思ったところに、ツインヘッドイーグルが降下してくる。


「……助かる機会を逃したのはそっちだ。悪く思うな」

 彼女がかわいいのはそれとして、彼女を泣かせた罪は重い。一度は彼女に逃がされたのに、戻って手を出してきた敵にかける情けは持ち合わせていない。

「サンダーボルト・ダブルス」

 二方向に分かれた雷撃が目標地点で合流する中級魔法だ。

 ツインヘッドイーグルの両頭がどちらに避けるか混乱をきたし、見事に命中して墜落する。狙い通りだ。

「ブレージング・ファイア」

 おそらくは絶命しているだろうが、追い討ちで丸焼きにしておく。ジュリアに手をだそうとした罪にはそれでも足りないくらいだ。

「見事! ヌシ様ほどではないですが、オスカーも中々やりますね」


「フライオンア・ブルーム」

 ホウキを出して半分放心している彼女を座らせる。ホウキの柄まで一瞬でヌルヌルだ。横向きの彼女を抱きこむようにして舞いあがる。

 ジュリアが半分振りかえって、必死に抱きついてくる。お互いにヌルヌルしていて、少しでも揺れると服越しに、体が上下にこすれる感覚がある。なんだかものすごくイケナイことをしている気がする。


(うわあああああっ! これは事故、これは事故、これは事故……)

 自分に言い聞かせて必死に理性を保つけれど、今夜は見てはいけない夢を見そうだ。


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