18 フィンとの貧民窟交渉
領主邸の応接室に通されると、既にフィンが待っていた。この部屋で話すのは三度目になる。
「リアちゃん! ……あ、いや、ジュリア・クルスさん。お待ちしていました」
「フィン・ホイットマン様。本日はお休みの日なのに、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
「うん。どういたしまして」
公用らしく挨拶をして、席をすすめられるがままに、子どもの姿になったオスカーと並んで座る。ユエルは膝の上に収まった。
「その子が見学の?」
「はい」
「ジョン・クレイです。よろしく」
「うん。参考になるといいけど。あと、ピカテットのユエルちゃんだね」
「はい。すみません、どこにでもついて来たがって。どうしてもではなかったのですが」
「構わないよ。魔法使いが使い魔を連れているのは普通のことだしね」
とりあえずオスカーは疑われていないようだ。
「で、貧民窟について相談したいってあったけど、何かあった?」
「少し前に孤児院でボランティアをしたことがあって。そこで、貧民窟出身の子どもに会ったんです」
「ああ、なるほど。そういう状況があるなら、なんとかできたらってこと?」
「はい。これから冬になるので。餓死や凍死も心配です」
「うん、リアちゃ……、ジュリアさんが言う通り、毎年何人かはそういう状況になるみたいだね。ただ、僕ら行政側も何もしてないわけじゃないんだ」
「というと?」
「そもそもの貧民窟の成り立ちから話そうか。僕も君に言われてから調べているから、にわか知識だけど。
貧民窟と呼ばれる場所は、ホワイトヒルの街の外側、地図上では街がないはずの場所にある。なんでかわかる?」
「えっと……、街に住めないから、ですか?」
「そうだね。住めない理由は色々あるけど、一番はお金の問題。住居を借りられない、税金を払えない。
要は、まともな仕事につけない人たちが流れだして、勝手に集落を作って無法地帯化してる場所だね。
盗賊みたいに積極的に人を襲うわけじゃないけど、近くを通りかかったら襲われることもあるから、この辺りの人は近づかない」
「空から見かけました。家とは呼べないような家に住んでいるようでした」
「ちゃんとした家を建てるお金がないし、道具も知識もないだろうからね。
君が僕にこの話を持ちこむ手続きをした役所に、あそこに流れる前に相談できる窓口はあるんだ」
「あるんですか?」
「うん。事情があって働けなくなった場合には一時的に街で保護して、日雇いからの再就労を目指してもらうようになってる。
どうしようもない病気の場合には、病院に保護することもできる。
だから、あそこに流れてるのは、それもムリな人たちだね」
「それもムリ、とは?」
「詳しくは調べられてないけど。前に調査に入った時の報告だと、そもそも仕事をしたくない人、人と話をしたくない人、行政の世話になるなんてまっぴらだという人、盗癖や粗暴があって雇えない人、基本的な身の回りのことができなくて、例えば悪臭とかで嫌煙される人……、みたいな感じかな。
何年か前に貧民窟で病気が流行って、街にも持ちこまれたことで改革しようとして手を入れたことがあったんだけど。建物を撤去して街に住まわせて就労を目指してもらっても、本人たちが抜けだしちゃって今の状態に戻ったみたい」
「そんなことがあったんですね……」
孤児院の男の子も、その時に保護されたうちの一人かもしれない。あの子はなんとか街の中に残れたのだろう。あの孤児院がよかったのかもしれない。
「すみません、もっと簡単に考えていました。土魔法で簡単な城壁を作るだけでも違うんじゃないかとか、洗浄の魔法で衛生面は解決できるんじゃないかとか。臨時依頼とかクエストとかを受けてお金を稼いでくれば、食べ物や建物の問題も解決できるんじゃないかとか」
「ボランティアや行政の支援にも良し悪しがあるよね。本人たちの解決能力を高めないでおんぶに抱っこだと、永遠に甘え続けるだけになる可能性があるから。それは市民とは呼べないからね」
「色々難しいんですね」
黙って聞いていたオスカーが口を開く。
「つまり、あそこの住人は望んであそこに住んでいるから、手を出すのは違うっていうこと?」
「半分その通りで、半分違うのかな。物理的にはあそこは快適じゃないけど、多分、彼らにとっては心理的に快適なんじゃないかな。もし街の中でそれを保証できれば、なんとかなるかもしれない。
けど、それがすごく難しい。普通に街に住んで生活している人からすると異分子で、街に入れたくないっていう人心も根強いしね」
「その辺りは……、物理的なことを解決するよりずっと難しい気がします。
大人にはそれぞれの事情があるとして、貧民窟の子どもたちはどうなんですか?」
「それも大きな問題なんだよね。大人に生活能力がないと、子どもにも生活能力がつかなくて貧困が連鎖するのに、あそこはやたら子どもが増える。医療がないから子どもを産むのも命がけだし、半分育ってるかどうかもわからない」
ゾッとした。半分育っているかもわからない。それは、半分くらいは人知れず亡くなっているかもしれないということだ。
「子どもだけでもなんとかならないんですか?」
「物心つく前に強制保護できれば、その子は助かるかもしれない。
けど、子どもを強制的に連れて行かれたら怒るだろうし、それだけならまだしも、次の子をってどんどん増やされても困るしね。
かといって子どもを作れないようにするのは非人道的だ。彼らを人として扱っている限り、改善は難しい」
「本当に……、難しいんですね」
「ほとんど担当者の受け売りだけど。思考回路が僕らとは違う人たちだから、本当に難しいって言ってた。
見せしめにもなるし、もういっそ全部燃やしちゃえばいいんじゃないかっていう強行派もいるらしい」
「え……」
「さすがにそんな非人道的な案に賛成してる人はほとんどいないし、僕や父もそんなことをさせるつもりはないよ。けど、そのくらい、目の上のたんこぶではあるね。
ホワイトヒルだけじゃなくて、他の街でも似たようなところはあるみたいで、みんな手をこまねいてるみたい」
「そうなんですね……」
「状況については、わかってもらえた?」
「はい。……私が甘かったです」
「僕もいい勉強になったよ。聞きにきてくれてありがとう。その上で何かいいアイディアがあったら、ぜひ教えて」
「わかりました」
「あと、リアちゃんは絶対、不用意に近づかないでね。犯されるから」
「え……」
「自分は魔法使いなんだから彼らより強いのに? って思った?」
「……はい」
「実際に君の方が強いかは関係ないんだ。見た目がか弱そうなら、向こうからしたら十分に襲う対象になりえる。
だからこちらから送りこめるのは、どう見ても勝てなそうな屈強な男性だけ。僕ですら近づかない方がいい場所なんだ。
それに……」
苦笑気味に言ってから、フィンが表情を落とす。
「君は、自分の身を守るために、とっさに人を殺せる?」
ゾワッとした。答えないとと声をしぼりだす。
「……できないと思います」
「でしょ? 相手は自分の欲のために人を殺せる人間だって思っておいた方がいいよ。半分盗賊と同じ。あの場所を出て襲ってこないから、積極的に捕まえてないだけ。
いくら君が強くても、なんの前振りもなく後ろから殴って気絶させられたらどうしようもないよね。そのくらい、君とは思考回路が違う人がいるって思った方がいい」
(思考回路が違う……)
その言葉は腑に落ちる。自分は、自分の欲のために人を殺せる人間の想像がつかない。
「だからもし万が一にも、あそこに近づく必要が出たら、全員敵で、必要なら全員殺すくらいな覚悟はしていってね。君にはその力があるだろうけど、先に覚悟をしていないと反応できないだろうから。
身を守るための反撃は正当防衛だし、あそこが壊滅するのはむしろ喜ばれるだろうから、その場合、君に不利益がないようにすることはできると思う」
フィンが表情をゆるめて、にこやかに言葉を加える。
「まあ、君はそんなことはしないだろうけどね」
「……はい。肝に銘じておきます」
そう答える以外になかった。




