16 貧民窟問題の相談
「孤児院の男の子を覚えていますか? 貧民窟出身だと言われた」
「もちろんだ」
「あそこに見えているのが、貧民窟なのかなと思って」
わかりやすいように腕ごと伸ばして方向を示す。オスカーがすぐにうなずいてくれる。
「ああ……、多分そうだろうな」
「完全に寒くなる前に、貧民窟をどうにかできないでしょうか」
「それはジュリアが考えることじゃなくて、行政……、領主が考えることじゃないか?」
正論だ。わかっていないわけではない。けれど、行政がどうにかしていないから、現状があるのだと思う。
「それはそうなのでしょうが。何かできることはないかなと」
目的地の川原に降りると貧民窟は見えなくなる。オスカーと並んで座ってひと息つく。
バーベキューの道具や食材は、昼ごろに使用人に運んできてもらう手筈になっている。
「行政だと……、フィン様に相談するのがいいでしょうか」
「フィン様か……」
オスカーが難しい顔になる。
「いろいろありましたが、ワイバーンの後処理の時はいい距離感だったので。何か困ったら頼っていい、みたいなことも言われましたし。
領主様に相談するのはハードルが高いけど、フィン様なら話を聞いてくれるかなって」
「ジュリアが頼めば間違いなく話はできるだろうが」
「バーバラさんにも目を向けてもらえたらとも思っていて。フィン様とバーバラさんがおつきあいできたらいいと思いませんか?」
「いや、それは……、まだやめた方がいいと思う」
「ダメですか?」
「振られた好きな子から、他の女の子を勧められるという拷問にはさすがに同情する」
「拷問……」
「少なくとも時間はあけた方がいい」
「わかりました。じゃあ、まじめな話だけで」
今ここに流れている時間はのどかだ。川のせせらぎと鳥の声が聞こえる。空が広くて心地いい。
「私一人で行くのはよくないと思うので、あなたにも来てもらえると嬉しいのですが」
「……フィン様の許可が出るなら自分が行くのは構わないが。フィン様には同情する」
「え、それもダメですか?」
「考えてみてほしい。例えば、自分が他の女性とつきあったとして」
「え……」
想像するだけで泣きそうだ。つきあい始める前に、二度ほどそうではないかと思ってショックを受けたことがある。
「例えばだ。彼女と一緒に、ジュリアに相談ごとに来たら、どうだ?」
「……受けると思うけど、ものすごくイヤです」
「だろう?」
「フィン様が好いてくれていることに甘えようとしてたんですね。反省です。
もう寒くなり始めていて。冬は餓死や凍死をしやすいので、早めになんとかしたかったんです。
でも、私が個人でボランティアとしてやってもたかが知れているし、根本的な解決にはならないと思っていて」
「それは……、そうだな」
オスカーが、考えるようにしながら空を見上げる。どうにかしたいのは自分であって彼には関係ないことなのに、一緒に真剣に考えてくれるのが嬉しい。大好きだ。
少しして視線が戻ってくる。その瞳も愛おしい。
「友人としてではなく、ビジネスライクに、公用として正規のルートで面会を申しこんでみるのはどうだろうか」
「正規のルート……」
「ああ。領主館とは別の建物になるが、実務を担う役所の方に、市民の相談を申しこむ窓口があったはずだ。
本来であれば領主宛になるが、備考にフィン様に相談したい旨を書いて出し、向こうが受理すれば、公用として相談できると思う」
「領主様宛だとすごく待つやつですよね。急ぎで、フィン様に、でお願いしてみるのはアリかもしれません」
「個人で手紙を出すよりは時間がかかるかもしれないが。本人の目に入れば時間をとってくれるだろう」
「その場合……、一人で行ってもいいものでしょうか」
さっきの例えでオスカーを連れて行かない方がいいのは痛いくらいわかったが、オスカー以外に一緒に行ってもらうのも違う気がする。
一瞬父の顔が浮かんだけれど、それは圧力になりそうだ。平場で話がしたい。
「自分としてはついて行きたいが。フィン様側を考えるなら、行かない方がいいだろうな」
「うーん……」
自分としても、来てもらえた方が心強い。恋愛云々の話だけじゃなくて、彼は今みたいに、自分が気づかない視点をくれることがあるから。
「……あ。変装の魔道具はどうですか? 前にあなたが使っていた」
「その件は……、すまない。プライバシーに干渉しすぎた」
「いえ。それはいいのですが」
「あれは燃えてしまって、貸し出し申請をしていたルーカスが始末書を書いていたな……。
あったとしても今回の用途では借りられないだろうし、性質上、市販はされていないはずだ」
「じゃあ、一時的に身体的な年齢を変える魔法をかけましょうか」
「……そんなものがあるのか?」
「はい。古代魔法の中に」
「それなら……、親戚の子どもか老人として同行できる、か?」
「親戚の子の社会科見学を兼ねて、でお願いしてみましょうか。それならフィン様もイヤではないですよね」
「ああ。バレなければ」
「ふふ。あなたの子ども姿、楽しみです」
変装用の魔道具のローブを使っていた時は、年齢が下がっただけでなく色味も変わっていた。彼だと思うとそれもかわいかったけれど、オスカーのまま小さくなるのは絶対にかわいいはずだ。
夕食は食べて帰ると両親に言って出ているため、夜までオスカーとゆっくりできた。すごく嬉しい。
先週と同じように、街から手をつないで歩いて帰る。
(今日はずっと一緒にいたのにまだ帰りたくない、なんて。どんどん欲張りになってる……)
絡めた指に力が入ると、彼からも握り返してくれる。嬉しい。
それなりに距離があるはずなのに、家に着くのはあっという間だった。
門の前で足を止める。
「では、また週明けに職場で」
「はい。また明後日」
そう口では言っても、中々手を離せない。残念に思いながらゆっくりと指をほどいていく。
手を離してからも、重ねた視線をそらせない。
「……ジュリア」
呼ばれただけで心臓が大騒ぎだ。自分の名を紡ぐ音がとても甘く聞こえる。
「はい……」
(キス……?)
先週は自分から彼のほほにした。なら今週は彼からだろうか。ついそんな期待がよぎる。
「……おやすみ」
そう言って、オスカーが優しく頭を撫でてくれた。
(嬉しい……)
けど、違う。
そう思う日が来るとは思わなかった。
(私、ほんと、欲張りになりすぎ……!)




