10 交渉と中庭トレーニング
「お父様と来たので順番が前後してしまいましたが。改めて、お誕生日おめでとうございます。……オスカー」
ウォード先輩とどちらで呼ぶか一瞬迷ったけれど、もう父に盛大に関係をバラされているから今更だと思った。
あたりがざわつく。
オスカーは驚いたのと恥ずかしいのと嬉しいのとが混ざった感じか。
「……ああ。ありがとう、ジュリア……さん」
(ひゃあああっっっ)
親しい感じでジュリアと呼ばれるのもすごく好きだけど、気恥ずかしそうに『さんづけ』されるのもすごくドキドキする。
「よし、昼に何がどうなってそうなったかを聞かせろ」
ダッジがオスカーの肩に腕を回す形でホールドする。それに他の男性たちも乗って、自分には女性の先輩たちが声をかけてきた。
(ちょっとしたお祭り騒ぎね……)
恥ずかしいけれど、歓迎ムードが強くて嬉しくもある。
「ジュリアさんの本命はルーカス・ブレアだと思っていたのですが」
「あはは。ストンさんは先週もそんなこと言ってたね」
「この前は言えなかったのですが、訂正させてください。その……、私はずっと……、ウォード先輩が好きなので」
少し迷って、対外的な呼び名は職場の距離にした。
ストンがわずかに目を見開く。外野から歓声が上がった。
「そのへんもっと詳しく!」
アマリアまで食いついてきたのがおもしろい。
「ウォッホン!」
父がわざとらしく咳払いをした。始業の時間だ。
「お昼にね」
そう声をかけられて了承を返す。お昼は女子会と男子会がそれぞれ開かれそうだ。
(今日は二人きりになれない気がしていたの、正解ね……)
もしプレゼントを持ってきたら全員に中身まで知られただろう。昨日渡せてよかった。
彼のために選んだ深い緑色の万年筆は、彼の胸元のポケットで密かに存在を主張している。目に入るだけで嬉しくなる。
デスクで業務の確認を終えた父から声をかけられた。
「オスカー・ウォード、ジュリア。引き継ぎをする。ついてきなさい」
「わかりました」
どこに行くのかと思ったら、いつもの研修室だった。父がしっかりと扉を閉める。
「で、実のところはどこまでいってるんだ?」
「?!」
突然、何を聞かれているのだろう。職権濫用ではないのか。
(え、これ、どこまで言えばいいの? 前のキスは入る……?)
恥ずかしくなりつつオスカーを見ると、困ったような視線が重なる。
父が続ける。
「進捗の報告は受けているが。間違いないか?」
(進捗の報告なんてしたかしら……? 何をかんぐられてるの??)
完全なシロとは言い切れない。冷や汗が出そうだ。
オスカーが何かに気づいた様子で父に答える。
「報告している通りで、汎用性が高い初級魔法はひととおり。攻撃魔法を使うための講話も終えている。この後は初級魔法の安定と応用を予定していた」
(あ、そっち?)
普通に職場内ですべき話の方だった。
「そうか」
オスカーの返事に、父がひとつ息をつく。
「ジュリア」
「はい」
「初級魔法だけで仕事をしている魔法使いも少なくない。人によってはそこまでに一年以上かかる。お前に才能があるから二か月程度で終えられているだけで、一年以上かかってもそこまでいかない者もいる。もう、ここまででよくないか?」
「イヤです」
キッパリと言った。人前で使えるのが初級魔法だけだなんて不便すぎるし、ワイバーンの時のようなことがあった時に、もどかしい思いをするのもイヤだ。
「しかし……、戦闘職以外にも魔法使いの仕事は色々ある。それを見てから、その先を学ぶかを考えても遅くはないだろう?」
「イヤです」
父が言わんとしていることはわかる。その方が安全なのだ。
けれど、イヤだ。
「何かあった時に何もできなくて、もどかしい思いをしたら、また、あの時のファイアのようなことをしかねないと思います。
私としては、そういう裏技を使うのを余儀なくされないためにも、ちゃんと順を追って、学べるところまで学びたいです」
正確には、学んだことにしたい、だが。そこは父には内緒だ。
「……そうか。ならばさっき言ったとおり、私が続きを教えよう」
「ありがとうございます。今月はそれで……、けど外部研修に行くようになったら時間的に難しいですよね?
あと、護身術や剣技などの武術も途中なので、もう少し習いたいのですが」
「時間の方は考えるが……、武術は必要か?」
「魔法使いはあまり身体能力を重視しない……、というか、体を動かすのが嫌いな人が多い気がしますが。
身体強化をかけて戦う時は元の能力が高い方が有利ですよね」
これは魔法卿と戦った時に強く感じた。もし今までのオスカーの指導がなかったら、初手の返しで押されていた可能性がある。
「この前のワイバーン戦でも、街中での戦いになった時は魔法だけでは苦戦していましたし」
あの時のオスカーはめちゃくちゃカッコよかった。その活躍をなかったとは言わせない。
「それに、一人の女性としても、突然の事態に自分で対応できる方が安全だと思います。なので、ベースがちゃんとできるまではウォード先輩から習いたいです」
「なるほどな……」
父が吟味するかのように腕を組む。
「オスカー・ウォード。武術だけは継続して任せるが、窓から見える中庭で行うように」
「了解した」
「スケジュールは……、魔法と武術の研修を午前、座学の残りを午後にする。イレギュラーになるが、シェリーのところに行く期間も午前の研修を魔法協会で継続する形で調整しよう」
ホッとした。考えられる範囲でベストだ。
(お父様や先輩たちの前で、習っているふりはがんばらないとだけど)
オスカーが教育係でいてくれたのは本当にありがたかった。忘れている知識は教えてくれるし、わかっていることやできることはすり合わせだけで済んでいた。何より、何も偽らないでいられたのは楽だった。
「ウォード先輩が教育係で本当によかったです。ありがとうございました。また後で、よろしくお願いします」
「ああ。引き続き頼む」
言える範囲でお礼を言って、いったん部署に戻るオスカーを見送る。
お役御免になった投影の魔道具はオスカーが回収していった。元々オスカーがルーカスから貰ったと言っていたものだ。その経緯は未だにわからないが。
改めて、父と向かいあって研修用の席につく。
「魔力のコントロールは、ファイアの時点でだいぶ出来ていたな」
「えっと……、そうですね。そこは、得意かもしれません」
「わかった。……ジュリア。私はお前を守ることを最優先にしたい。そこは信じてくれるな」
「はい」
「今日はまずこれまでの確認、それからコントロールの程度の確認。初級魔法が問題なさそうなら、身を守るのに役立つ中級魔法から教えていく。
ただし、私がいいと言うまでは使えることを内緒にしておくように。使っていいのは本当の緊急時だけだ」
「わかりました」
なんだかんだ、父は自分に甘いと思う。元の進捗予定より先を、緊急時限定とはいえ使っていいことになるのはありがたい。
「ありがとうございます、お父様。愛しています」
「……それはあいつにも言っているのか?」
「え?」
「いや、なんでもない」
父がちょっと泣きそうに見える。戻ったばかりの頃ほど喜んでくれなくなったのは、言いすぎなのだろうか。
(お父様に愛してるって伝えるの、ちょっと控えた方がいいのかしら……?)
父心は難しいと思う。
父との魔法研修の後、動きやすい服に着替えて、オスカーと初めて中庭で訓練をする。
「かなり時間が限定されたから、今までより活動の負荷を上げようと思うが、構わないだろうか」
「はい、もちろんです」
前半は基礎トレーニング、後半は動きの型と実践トレーニングになった。場所を移ったことで、これまでにはなかったランニングが加わる。
「だいぶ涼しくなったので、走るのに気持ちいいですね」
「ああ」
元々よく体を動かしていた方ではないけれど、オスカーの指導のおかげで動くのにはもう慣れた。運動に対してストイックになってきたと思う。
数日空いたから、先週までに習っていたことをひととおり確認してから組み手に入る。
「右、左、右、左。次は低い位置で。足を踏み替えてもう一組」
指示に合わせてパンチを繰りだすと、適度に受け流して止めてくれる。
「足を下げて避ける、後ろに下がる、横にステップ」
反対に、彼からの攻撃を避けたり受けたりする練習もする。かなり手加減はされていると思う。
「次、剣。木の剣の錬成から」
「はい。ウッディ・ソード」
剣を作る魔法の中では最も簡単な初級魔法だ。訓練の安全性から見てもちょうどいい。
オスカーも同じ魔法で木の剣を手にする。切り結んで、ひとつひとつ型を実践していく
前の時にもオスカーから習っているから、体が慣れてくればそう難しくない。
魔法の訓練とはまた違った楽しさがあると思う。何より、オスカーと対話している感じがして嬉しいし、彼の世界に触れている感じも好きだ。
▼ [ルーカス] ▼
オスカーとジュリアの訓練を見るのは初めてだ。自分だけではない。他のメンバーも、いつしか中庭が見える窓に集まっている。
(みんな驚いてるね。ぼくも驚いたけど)
「ジュリアちゃん、あれ、格闘家とか剣士とか目指してるの……?」
「あの二人、武術の大会にでも出るつもりか……?」
「途中だからもっと学びたいと言っていたが、あれのどこが途中なんだ……? 既に私より強いと思うんだが」
クルス氏が苦笑する。
「二時間近くほとんど休憩を入れていないようなのですが」
「ジュリアちゃん、前に研修が大変だって言ってたけど、想定してた大変さよりかなり大変だったんだね……」
「あの二人、つきあい始めたのよね……? なんなの、あの甘い雰囲気のカケラもない訓練は」
「ウォードのやつ、女性相手でも容赦ないんだな……」
「多分あれで手加減してると思ってる気がするよ」
「あれについていけるジュリアさんがヤバい……」
自分もだが、魔法使いには体を使うのが嫌いな人が多い。同じ訓練をしろと言われたらみんな三日と持たずに逃げだすだろう。
「なんだかんだ言って、あの二人、お似合いなんじゃないか?」
ヘイグの言葉で全体としての受け入れムードが加速したことを、本人たちが知るよしはない。




