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最終話:勇者トビィの日常

 この一週間で、トビィ・ラビットテールの日常は大きく変容していた。

 たった一週間前は、ゲンジのしごきに耐え、ダトルのいじめに堪え、フランからは蔑みの目で見られていたというのに。


「不肖の愛弟子……ですか……」

「なんだ、不満か?」

「いえ、そんな!? そういうことではなくてですね!?」


 つぶやきを聞きとがめられたと思ったトビィは慌てて首を横に振り、それから俯きながらぽつりと続けた。


「その……状況の変化についていけなくて……。一週間前どころか、フォルティスカレッジに入学する前は、こうなるだなんて欠片も思ってなかったもので……」

「それは俺もだ。まさかお前が勇者入りいの一番。その上、フォルティスカレッジに入学して半年も経たんうちにこうなるなど、誰が想像するか」


 ゲンジは呆れたような表情でそう告げながら、しかし楽しそうな表情でトビィの頭を乱暴に撫でる。


「わっ」

「だが、こうなったからには容赦はせんぞ。今までは他の者と同時進行だったが、お前直属の師として行動することとなった。お前が泣こうが喚こうが、一人前の勇者となるまではマンツーマンで稽古してやろう!」

「は、はぁ……」


 トビィは撫でられた頭を抱えながら、ぼんやりとゲンジを見上げる。

 ゲンジはそのまま前に進んだが、トビィが付いてこないことに気付いて振り返った。


「……なんだ、どうした?」

「あ――いえ。なんでもないです」


 トビィは足を止めていたことに気付き、慌ててゲンジを追いかける。

 しばし不審そうにしていたゲンジだが、トビィの様子に変わりがないと気づくと、一つ頷いて駆け出した。


「よし、それじゃあ背負った荷物を今日中に王都各所に配るぞ。お前の配達場所は俺の三倍強あるが、メモもあるし大丈夫だろう」

「は、はい! ほんとに多くてめまいがしそうですけど……。しかも、順番の指定まで……」

「近い順に回っていては、逆にお前の全力が出せんだろう? 必要なものを欲している順をリストアップしている。夕刻までに配り終え、王都中央のモニュメントに集合だ! さあ、行け!」

「は、はい!」


 ゲンジの号令とともにトビィは足に力を入れ、一気に飛び上がる。

 その身に宿るイデアが一気に彼の体を加速し、大きく王都の空へと彼を跳ね上げた。


「ふぅ……」


 最初の配達場所に急ぎながら、トビィは一息つきつつ、この一週間のことを思い返す。

 本当に、目まぐるしいくらいに周りの環境が変わってしまった。

 あの日、あの夜。すべての決着がつき、夜が明けてから――。






「アルス王……。その、これを」

「うむ?」


 すべての決着がついた翌日、トビィはアルス王のもとにはせ参じ、肌身離さずつけていた襟巻を彼に差し出した。

 王から賜った、疾風の襟巻である。寝る前に可能な限りきれいに水で洗い、しっかり乾いたのを確認して持ってきた。

 昨晩の戦いで玉座ごと寝室が粉砕され、一時的に一階にある賓客室に寝泊まりしていたアルス王は、差し出された襟巻をきょとんと見つめ、不思議そうにつぶやいた。


「トビィよ、これは?」

「あの晩に、いただきました襟巻です。それを、お返しに参りました」

「返す? これを?」


 王は小首をかしげ、トビィの手の中にある襟巻を見下ろす。

 昨晩の激戦の中に曝されてなお、まだ襟巻の体裁を整えているそれは、確かにアルス王にとっては懐かしい品であった。

 だが、もうトビィに渡したものだ。それを返却するのはどういうことか、アルス王は問いただすことにした。


「何故だね、トビィ? これは君に譲ったものだ。別に私に返す義務はないぞ?」

「だとしても、疾風の魔法がかかった襟巻など私が持つべきでは……! これは、王家のものに伝えられてゆくべきものでしょう! いずれ来るべき時のために……」

「魔法?」


 トビィの言葉をオウム返しに繰り返し、アルス王は一拍置いて笑い出した。


「は、はははは! そうか、そういえばそんなことも言ったか!」

「お、王……?」


 急に笑い出したアルス王を見て、今度はトビィがきょとんと彼の顔を見上げる。

 何故王が笑い出したのか、そのツボがわからなかったのだ。

 ひとしきり笑っていたアルス王は、目じりの涙をぬぐいながらそっと襟巻に手を重ねた。


「ああ、いや、すまないな。まさかそこまで信じるとは思わなかったのだ……フフ」

「え? えっと……?」

「なのでもう一度。……すまんな、トビィ。この襟巻、実はただの襟巻なのだよ」


 アルス王は笑ってそういいながら、今度はトビィの頭をポンと撫でる。


「まあ、私が昔使っていたものだから古いものには違いないが、特別な力は何もない。本当に単なる襟巻なので、別に惜しいものでもないのでな」

「……え? あの、すいません。本当に、ただの襟巻なんですか……?」


 呆然と問いかけるトビィに、アルス王ははっきりと頷いた。


「うむ、間違いなく。城下町の装飾品店に同じものが新しく売っているので、そちらが良ければ取り寄せようか?」

「え、ええ~……!?」


 いらぬ提案までしてくれる王の言葉に、トビィはがっくりうなだれ、その場に崩れ落ちるように膝を突いた。


「た、ただの襟巻って……僕、これを傷つけないように、一生懸命頑張ったつもりだったのに……」

「おお……すまなんだトビィ。そこまで落ち込むとは……」


 愕然とうなだれた様子のトビィを見て、アルス王は慌ててしゃがみ込み、彼の背中をポンポンと叩いてやった。


「いや、なに! あの時の君はだいぶ怯えていたからな! 景気づけに、何か良い由来のものでも持たせてやれば、その怖気も引くのではないかと思って……そういう意味ではまじないはかかっていたかもしれんなぁ」

「そうかもしれませんがぁ……」


 トビィはがっくりうなだれたまま、立ち上がれない。どうやら予想以上にダメージが大きいようだ。

 少々困ったアルス王であったが、小さく苦笑するとトビィの耳元にそっと近づいて囁いた。


「……まあだましたのは事実だ。なので、君にだけ先にこの名を告げることで許して欲しい」

「え……名前、ですか……?」

「うむ、そうだ。本来、この名が公開されるのは二週間後。一先ず王都の掃除や簡単な復興が済んでからになる」


 王はまじめな表情でトビィを見つめ、厳かに告げる。


「このたび、フォルティス・グランダムに新しく生まれた勇者……その者の勇者としての名乗り名がこれである」

「勇者……それは……?」

「むろん、お主だよ、トビィ」

「え、えぇ!? 僕、ですかぁ!?」

「うむ」


 トビィはパクパクと口を開閉させ、慌てて首を振って王に抗議のような何かを告げようとする。

 だがそれを封じるようにアルス王はトビィの肩に手を置き、はっきりと告げた。


「トビィよ。あの晩、お主に告げたことは何一つ嘘ではない……いや、襟巻のことは置いておいてだな?」

「………王、それは………」

「それはもちろん、お主のことを勇者と呼んだことも含めてだ。お主は立派に私が与えた役目を果たし、それだけではなくイデアにも目覚めた。トビィ、この国における勇者の条件は知っておるな?」

「そ、それは……フォルティスカレッジを卒業することでは……?」

「あれはあくまでイデアへの覚醒を促すための試練である。それがなされた以上、お主は立派に勇者を名乗る資格がある」


 アルス王はトビィの瞳を見つめ、その名をはっきりと告げた。


「大空を舞う紅い閃光……蒼天閃紅の二つ名をな」

「蒼天……閃紅……」

「うむ。月夜ではあったが、蒼い夜空をお主が襟巻を翻しながら飛んでいたからな。あれが青空であれば、さぞ映えたことであろうに」


 アルス王は自らの会心の名づけに満足するように頷きながら、トビィの問いかける。


「もし、気に入らぬなら、お主の好きな名を――」

「い――いえいえ!? 気に入らないなんてとんでもない……!」


 トビィは慌てたように首を横に振り、そして何度も頷いた。


「蒼天閃紅、素晴らしいお名前です! 自分なんかにはもったいないくらいで……!」

「おお、そうか、気に入ったか! だが、この名は二週間後まで秘密であるぞ! 全ての国民の前で、お主の名をはっきりと名付けるまでは名乗ってはならぬ。よいな!」

「は、はひ……」


 まさかの勇者名の獲得に、トビィの心臓が早鐘のように鳴り始める。

 勇者名……それは勇者として名乗ることを許された二つ名。

 フォルティス・グランダムで正式に勇者として活動することを許された証である。

 この二つ名は同時に、フォルティス・グランダムにおける“勇者”という身分を証明するための手形としても機能する。フォルティス・グランダムがこの名を石碑に刻み、それを証明するのだ。

 そのため、勇者名は権能としても機能すれば、ある種の枷としても機能する。この名を汚すことは、フォルティス・グランダムを裏切ることに等しいのである。

 そんなとんでもないことを二週間後に賜ることが確定してしまったトビィは、何とか自身を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。

 だが、そんな彼に追い打ちをかけるように、軽い足音と可憐な声が、同時に襲い掛かってきた。


「トビィ様!? ああ、なぜこのようなお所に!?」

「え!?」


 自身の名を呼ばれ、顔を上げた先にはニーナ王女が薄絹のドレス一枚の姿で駆け寄ってくるところであった。


「え、ちょ!?」

「ひょっとして、私に会いに来ていただいたのですか!? ああ、感動です! ニーナ、こんなに早くトビィ様とお話しできるなんて……!」

「お、王女様! どうかせめて、お召し物を……!」


 あの襲撃から生き延びた侍女たちが、奔放に駆けまわる王女を追ってバタバタと走り寄ってきた。

 ニーナ王女の勢いに思わず立ち上がり、受けの体勢を取るトビィであったが、彼をかばうように前に出たアルス王がニーナを押しとどめた。


「これ、ニーナ。トビィ君はたまたまここに寄ってくれただけのこと。無理を言ってはならぬ」

「え、そうなのですか!?」

「それに、なんだその恰好は、はしたない。春の妖精に誑かされた小娘でもあるまいに、支度くらいはせぬか」

「え? ―――あ」


 アルス王の言葉に、ニーナは自身の体を見下ろす。

 寝巻である、薄絹のドレス一枚しか羽織っておらず、しかも下着は身に着けていない。

 うっかり日にあたると、絹が透けてそれこそあられもない姿を衆目に曝してしまうことだろう。

 あっという間に顔を赤く染めてしまったニーナ王女は、慌てて己の体を隠し、そのまま賓客室を逃げるように立ち去った。


「ご、ごめんなさいー!! 出直してまいりますぅー!!」

「え、あ、王女様!? 王女様ー!」


 自身が捕まえる前に部屋を飛び出す王女に、慌てて侍女たちもニーナ王女の姿を追う。

 なんとも奔放な愛娘の姿にため息をつきながら、アルス王はトビィへと振り返った。


「まったく騒々しい。……すまんな、トビィ。見苦しいところを見せてしまった」

「い、いえ……」


 同い年くらいの少女の、思わぬ艶姿に充てられたトビィは、顔を赤くしながらも何とか立ち上がる。

 そのまま何度か深呼吸を繰り返すトビィを見て、要らぬおせっかいを思いついたアルス王はトビィに勅命を下した。


「……ふむ? そうだ、蒼天閃紅よ」

「……へ!? いや、あ、はい!!」

「うむ、良い返事だ。せっかくここまで来たので、一つ命を下す。ニーナ王女としばし話をし友好を深めてくれぬか?」

「え、へ?」

「いや、なに。あの子は同い年くらいのことの交流が少なくてな……。王である私も責務に追われておって、寂しい思いをさせておる。勇者たちの中にも、同い年くらいの者はおらぬし……」


 アルス王は申し訳なさそうな、しかしいたずらっ子のような表情をしながら、トビィに告げる。


「少し、朝の茶会で話をするだけでよい。頼まれてくれんかの?」

「―――はい、わかりました」


 トビィはもう訳が分からず、王の命というだけで承諾する。

 そしてそのままゆっくりと方向転換し、アルス王の部屋を後にし、ニーナ王女の部屋を訪ねに行くのであった。






 ―――というのはまだ序の口で、翌日にはフォルティスカレッジでゲンジと二人っきりでの話し合い。そのままフォルティスカレッジの上層部に囲まれたり、あるいは遠距離念話が可能な勇者たちと会話をしたり、あるいはアイマのような近くの村落や集落まで駆けずり回って、復興物資を集めたり。

 あの晩ほどではないが、休む間もなくフォルティス・グランダム中を駆け回ることとなってしまった。

 ゲンジに命じられた配達を一つ完了させながら、トビィはひとり呟く。


「………結局、フォルティスカレッジには席があるけど、皆と違う形での訓練になっちゃって……みんなどう思ってるのかな」


 ゲンジが直属の師として指導してくれることとなったのと同時に、トビィはフォルティスカレッジの授業には出なくてもよくなった。

 アルス王の言葉の通り、あそこはイデア覚醒のための施設であり、すでにイデアに目覚めたトビィにはあまり意味のない場所となってしまったのだ。

 そのため、同級生たちにはろくな話もせずにこうしてゲンジと行動しているわけであるが……仮に話をする機会があっても、ろくなことは話せないだろう。

 勇者名やそれにかかわる事象は、王からの正式な公表がなければ語れないし、そもそもの心証が良くない。あまり話をしていても楽しくはないだろう。どちらにとっても。


「……まあ、これはこれでいいのかな」


 トビィは一つ頷き、王都の空を跳ぶ。

 今は考える暇もないほど忙しいが、いずれ考える時間もできるだろう。

 問題に関しては、その時に考えればよい話だ。

 今、自分にできること。それは、王都の人のために駆け抜けること。

 それが、勇者として目覚めることのできた自分にできる、唯一無二のことなのだから。


「―――ッ!」


 トビィは懐にしまった襟巻に手を当てながら、ひと際強く王都を駆ける。

 かつて同じ場所を駆けた彼の顔は、泣きそうなほどに暗かった。

 だが、今の彼の顔にその陰りは見られない。

 一つの事柄をきっかけに、自らを再認識することのできた彼は、もう俯く必要はなくなったのだ。












 ――幼くして覚醒した勇者、蒼天閃紅・トビィ・ラビットテールの英雄譚は、このような形で幕を開ける。

 七星をめぐる陰謀。かつて存在していた魔王。己に、そして人々に宿るイデア。

 やがてアマル大陸全土を覆いつくす、壮大な世界存亡の物語。彼はやがてその戦いの中に身を投じ、長く長く戦うことになるのだが……。

 それはまた、次の機会としておこう――。











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