第77話:王都退去
ノクターンの念話を受け止めたゲンジは、素早く視線を跳ね上げトビィに向かって叫ぶ。
「トビィ! 跳べ!」
「跳んでますぅぅぅぅぅぅ!!」
必死にバルカスの腕を踏み台にして跳んでいるトビィ。その高さはバルカスの目線あたりといったところだ。振り上げられる腕を踏み台にしたにしてはそこそこな高さだが、ずっと同じ位置を維持しているトビィにしてみれば、これ以上の高さはなかなか稼げないのだろう。彼の悲鳴にも、そんな悲痛な叫びが込められている。
だが、ゲンジはその程度の高さが許せないのか、怒号を上げて要求を上げてきた。
「もっと高くだ!!」
「はいぃぃぃぃぃ!!」
トビィにとっては限界値だったが、勝てぬ教師の怒号を受けて、トビィは必死の形相で、次にやってきたバルカスの足を踏みつける。
「――――!!」
踏み下ろした足が加速し、バルカスの腕に轟音とともに叩きつけられる。
肉の砕ける嫌な感触とともに、トビィの体は勢いよく上空へ向かって弾き飛ばされる。トビィの体は一瞬で王都上空まで跳ね上がった。王城などあっさり眼下に置いていくほどの高さであり、それはもはや鳥か何かと見まがうほどだ。
だが力の入れ方を間違えたのか、トビィの体勢は途中でぐらりと崩れる。
思わずといった様子でバタバタと四肢を振り回しているが、それでも制御が効かないのか、くるくると体を回しながらトビィは空へと舞い上がっていった。
「あのバカ……!」
ゲンジは思わず頭を抱えてしまうが、このままプランを変えるわけにはいかない。
何もない場所を弾き移動しながら、ゲンジはバルカスの背後へと回った。
(バルカスのトビィへの執心を利用し、時間は稼いだ……! 王都の家々は倒壊するが止むをえまい……!)
バルカスの体を弾くうえで一番の問題となったのは、避難が完了していない人々の命であった。
何も考えずバルカスの体を弾けば、その通り道に存在する家屋は問答無用で倒壊し、その中にいるであろう人々はあっけなくその倒壊によって命を落としたであろう。
バルカスの行動が明確に読めなかったため、どう行動すべきか迷ってしまったが、トビィに対して並々ならぬ執心を持っているのが分かったため、それをそのまま時間稼ぎに利用した。
あとは、外壁の外に向かって弾くだけだ。家屋の倒壊こそ避けられぬが、やむを得ぬ犠牲と目をつぶるほかない。
拳とともに決意を固め、ゲンジは全ての後悔を彼方に弾き、バルカスの背中に向かって拳を振るう。
目標は、最も近い位置にある外壁。まずはそこまで弾き、追撃でもって、王都の外へと叩きだす。
……だが、拳がバルカスに接触する寸前、その体が大きく動いた。
「■■■■■■■■―――!!」
「ぉ……!?」
咆哮とともに、跳躍。真上へ――自身の腕を蹴り、跳びあがったトビィを追って空へと向かったのだ。
拳を振るっていたゲンジはバルカスの体が巻き起こす風圧によって弾き飛ばされてしまう。彼の拳はあらゆるものを弾けるが、それ以外の力は持っていない。特に、化け物の動きによって発生する風圧などに対する対策は何もない。
あえなく叩き落とされてしまったゲンジは、何とか空を叩いて屋根の上に不時着し、バルカスの行く先を視線で追いかける。
跳び上がった先にいるのは……トビィ。
赤い襟巻をバタバタとはためかせながら下降しつつあるトビィは、自身に向かって跳び上がってきたバルカスを見て悲鳴を上げた。
「えやぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「悲鳴を上げるなバカモン!!」
聞こえないだろうとはわかっていてもゲンジは思わず叫ぶが、あの巨体があんな高さまで跳び上がるほうがどうかしている。悲鳴を上げたいのはゲンジも一緒だ。
バルカスは腕を振り上げ、羽虫を叩き落とすようにトビィに向かって腕を振り下ろした。
「ヒィッ!?」
トビィはぐるぐる回る体を何とか制御し、足だけを突き出すようにしてバルカスの腕を弾こうとした。
当然バルカスの腕をトビィが弾くことはできなかったが、振り下ろしの一撃を回避することはできた。
ぱしぃ、と小さな音を立ててトビィはそのまま外壁のほうへと下ってゆく。
バルカスはそれを視線で追いかけ、何とかトビィの体を追いかけようと腕を振り回して移動しようとする。
だが、当然その巨体が空を泳ぐことなどありえず、バルカスの体は勢いよく王都の中へと落下する。
「ああ……!?」
「嘘だろ……!?」
思わずといった様子で、何名かの騎士がぞっとしたような声を上げるのが聞こえた。
あれほどの巨体が王都の中に落着したら、一体どうなることだろう。
魔法の中にはメテオストライクなる、星が降り注ぐ禁呪も存在するが、あれと同じような被害が出るのだろうか。
だとするならば、着地と同時に王都は壊滅する。その衝撃だけで、この王都をがれきの山に変えるだけの威力は出せるだろう。
だが、それはさせじとゲンジは走った。
「予定が大幅に狂った……! だが、過程など問題ではない……!」
大急ぎでバルカスの落着地点まで屋根の上を駆け抜け、もはや闇が落ちたといっても過言ではない、その影の下に滑り込む。
バルカスの体が、轟々と音を立てて落下してくる。周囲の風すら巻き込んで落下してくるその巨体は、もはやただの人間が触れることすら叶わないだろう。
だが、ゲンジはただの人間ではない。
「結果が良ければ良い……!」
イデアという力を授かった、フォルティス・グランダムの切り札の一人。勇者なのだ。
「うおぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
固めた拳を振り上げ、ゲンジは今度こそバルカスの体に触れる。
バルカスの体が纏った風は、もはや乱気流とさえ呼べるものであり、下手に触れれば腕をそのまま持っていかれかねないほどの鋭さを伴っていた。
だが、ゲンジの拳は砕けない。易々とバルカスの纏った風を突き破り、その向こう側にある本体に触れる。
体重にして、おそらく軍艦一隻はくだらないバルカスの重みが、一瞬ゲンジの体に伝わる。
だが、腕は折れず、体はつぶれず、その足元の民家の屋根には凹みすら生まれない。
「ぜぇあぁぁぁぁぁぁ!!!」
ゲンジがその拳を振り抜いた瞬間、バルカスの体は落下の勢いのまま、王都外壁へと吹き飛んだ。
バルカスの体だけではなく、その落下の衝撃ごと、真横に弾き飛ばしたのだ。
バルカスの体は王都の家屋をほとんど無傷のまま跳び越え、外壁へと叩きつけられた。
その際の衝撃で外壁付近の家が何軒か倒壊したが、問題はそこではない。
「貫けない……!」
バルカスの体は、外壁に張り付くような形で王都の内側に残ってしまった。
弾いた際の勢いが足りなかったのか、あるいは王都の外壁が誇られてしかるべき強度を持っていたのかは不明だが……まだもう一撃必要だ。
ゲンジは急ぎバルカスの元へ向かうが、外壁に叩きつけられたバルカスの体は、ゆっくりと外壁から剥がれ始める。
メキメキとゲンジのいる場所にも聞こえるほどの音を立てながらゆっくりと外壁から剥がれるバルカスの落ちる先は……まだ無事な民家も残っている王都。
「いかん……!?」
ゲンジは大きく両腕を振るって空を弾く。
バルカスが落ちる前にもう一撃、イデアで弾くことができれば確実に外に叩きだせるはずだ。
だが、ゲンジの出せる速度ではバルカスの落下に追いつくことはできそうにない。
ぐらりと斜めに傾ぐバルカスの体を前に、ゲンジはまた多くの民家が倒壊するのを見ているしかない。
「―――あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「っ!」
――だが、悲鳴じみた絶叫とともに響いた凶悪な打撃音が、再びバルカスの巨体を王都外壁へと叩きつけた。
ミシリと音を立てながら、一段と深く外壁に叩きつけられたバルカスの体の前には、大きく蹴り上げた姿勢のトビィが浮かんでいた。
バルカスに叩き落とされた教え子が、五体満足に反撃に出たのを見てゲンジは軽くほくそ笑む。
「……フッ。少しは度胸がついてきたか……」
昨日、戦闘訓練を行ったときには、逃げることしかできないなどと嘯いていた少年が、今では山のような体躯を持つ化け物を蹴り上げるまでに成長していた。
そのことを誇りに思いながら、ゲンジはバルカスの元に飛ぶ。
「今度は、しくじりはしない……!」
拳を振り上げたゲンジに反応するように、バルカスは腕を動かす。
その動作は、体の表面を飛び回る蚤か何かを叩き潰そうとするかのような動きだ。
だが、それよりも早くゲンジの拳がバルカスの体に叩きつけられた。
「はぁぁぁぁぁぁ!!!」
トビィの蹴りに比べれば、圧倒的に軽い打撃音。聞いている側が不安を覚えるほどに、威力がないと思わせるような音が響いた。
だが、そんな情けない音を聞いたものはいない。バルカスの体が王都の外壁を貫く轟音に、かき消されてしまったためだ。
「■■■■■■■■―――!!」
全身を襲う激痛に咆哮を上げるバルカス。
その巨体は、岩造りの外壁をあっさり貫き、そのままフォルティス・グランダムの外へと叩きだされた。
大きく開いた外壁の穴を見て、ゲンジはぽつりとつぶやいた。
「……存外小さくまとまったものだ。てっきり、外壁が二つに割れるかと思ったのだがな」




