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第71話:引けぬ終れぬ諦めぬ

 フォルティス・グランダムを覆う清浄な輝きは、その全域に蔓延っていたスケルトンを浄化せしめた。

 そればかりか、悪意を持って生み出された肉食虫たちまでもが逃げ惑い、散り散りにフォルティス・グランダムを飛び去ってゆく。

 恐怖に囚われていた国の人々の心もまた、晴れ渡った青空を垣間見たかのように落ち着きを取り戻し、王都全域を覆っていた不穏な気配も霧散してゆく。

 そして、何よりも重要であるのが、呪われた霊脈の浄化であった。


「―――」


 確認できる限り、四柱あったはずの、呪われた霊脈。

 その悍ましい紅い輝きは、もう見ることが叶わなかった。

 一つの霊脈から放たれた浄化魔法によって正された霊脈たちは、もう怨嗟の悲鳴を上げることもない。付近に跋扈していた亡者ごと、冥界の扉は消滅してしまっていた。

 ……ここに至り、バルカスの企みは全て潰えた。霊脈の冥界反転は、霊脈すら傷つける魔剣の力あってこそ。だが、今の浄化魔法はその魔剣の力すら消し飛ばしたようだ。

 バルカスの足元に存在する魔剣も、すっかり沈黙してしまっている。バルカスの力であれば魔剣を復活させることも可能ではあるが、それを許してくれるほど、アルス王たちも甘くはないだろう。

 気力の抜け落ちた顔で空に浮かぶバルカスを見上げ、アルス王は哀れみを覚えながらも声をかけた。


「……終わりだバルカス。ばかげた狂演も、貴様の過ぎた望みも」

「…………」

「際どいところではあったが……結局、魔王復活など不可能ということだな」


 バルカスの放った炎弾を全て凌いだゲンジとノクターンも、呆然としたバルカスを見上げ呟く。


「人にとって悪となる行為は、善なる意思に砕かれる。魔王討滅より、連綿と続けられてきたことだ」

「貴様の言う通り、民衆は衆愚かもしれん。だが……だからと言って我欲で滅ぼしてよいものでもない」


 何も言わないバルカス。

 彼に腕に吊り上げられたままのニーナも、絞り出すようにバルカスへと語りかけた。


「……ここまでですっ……! もう、十分でしょう……? まだ贖いは為せるはずです……!」


 バルカスは、それでも何も言わない。

 ただ虚空を見つめ、ぼうっと空に浮かんでいる。

 だが、しばらくすると。


「―――ハッ」


 と乾いた笑い声を上げた。

 自嘲するように首を振り、半ばほど目を伏せてしまう。


「……惨めだな、あまりにも」

「………」

「絶好の機会。己の望みの果て。そこに王手をかけて、このざまか……」


 ニーナを吊り上げた腕を上げたまま、バルカスは大仰にため息をついた。


「さらに、悪あがきすらも凌がれた……。本当に、本当に……ハッ。どうしてこうなったと言わざるを得ないな」

「初めから間違えていたのだろう。魔王復活などという妄言に踊らされた時点から。

「――妄言? ハッ。その言葉こそ妄言だな、老王」


 アルス王の言葉に、バルカスは少し気力を取り戻したように切り返す。


「魔王閣下の復活は、目前まで成していた。ただ、見落としたあっただけだ。小さな、しかし致命的な見落としがな」

「それで十分だっただろう。所詮、人は完璧ではいられんということだ」


 人。その言葉に、バルカスはギチリと音を立てながら凶悪な笑みを浮かべる。


「人!? この私がか!?」

「そうだとも。身の丈に合わぬ大それた願いを抱き、それを叶えんと努力する姿。貴様の行いに同意はできんが、それはまさしく人のあるべき姿だろう」


 方向性こそ褒められたものではないが、それでもアルス王はバルカスという人間の在り方には共感を覚えていた。

 それは、かつての自分にもあった時代だ。

 理想的な、誰もが望み、羨む王であり、勇者であらんとする。

 万人の共感など得られるはずもない、そんな当たり前のことさえ理解していない……いや、理解しようとしなかった頃の話だ。

 あり得ない結果を求め、ただ愚直に努力を重ねることしかできなかった日々。

 そんな日々の自分に、バルカスは少しだけ似ていた。


「バルカスよ。その行いをもはや覆すことは叶わずとも、償いは叶うはずだ」

「償いぃ……? 老王、貴様、どうやら本気で耄碌しているようだなぁ……!?」


 壊れたような笑みを浮かべたまま、バルカスは哄笑を上げる。


「何を償うというのか!? 魔王閣下という、この世の正当な支配者を蘇らせるという行為が、悪徳とでもいうのか!?」

「人の営みを守らぬものの、どこに正当な支配者たる資格があるのだ!」

「あるのさ! この世界でただ一人、唯一平等にあらゆる存在と接することができるのが魔王閣下だ!!」


 壊れた笑みを浮かべるバルカス……だが、壊れたのは笑みだけではなかった。

 バキバキめきめきと、バルカスの体の中から異様な音が鳴り響き始めたのだ。


「ヒッ……!?」

「衆愚どもは特別を貴ぶ! 我こそは神を正しく信じるものなり、故に我らは特別に扱われねばならぬ! おお、勇者よ、疾く我を助けよ! 我以外はどうなってもよい! それが、貴様らの言う平和だろう!? 平等を愛する、貴様らの国の凡愚どもの姿だろう!?」


 ひどく悪意に捻じ曲げられた物言い。だが、それに反論するものはどこにもいなかった。


「だが、魔王閣下は違う!! あのお方に差別はない! 老若男女、貴賤正邪、人種畜生、あらゆる垣根を破壊する! あのお方は選り好みせず、平等に、あまねくすべてを滅ぼすのだよ!!」


 いや、反論する余裕がないというべきか。ニーナを吊り上げていたバルカスは、もうどこにもいない。

 そこにいたのは、一匹の悪魔だ。体の内側から盛り上がってきた異形の肉体によって全身を覆われ、バルカスの姿は影も形も消え去った。

 すでに化け物の顔へと変じてしまったが、それでも口からこぼれるのはバルカスの声だ。


「滅びは誰にとっても等しいのだ……! これほど優しいことがあるか!? 誰の手にも等しく与えられた権利こそが滅びなのだ……! 人の世は常に格差で満ち溢れている! それが腐敗を生み、差別を生み、憎悪を生む……! ならば真なる救いは神への信仰心でも、勇者の存在でもない! 魔王閣下の降臨、そしてその手がもたらす滅びにこそ救いがあるのだよ!!」

「バルカス……!? その姿は、いったい……!?」


 愕然となるアルス王の、辛うじてこぼれたひと言。

 それを聞いたバルカスは、静かに彼に返した。


「……これこそ我がイデア。我が身、我が力を、我が望みへと近づけるもの。我が意思の具現……」


 ばさりと、その背中の翼を広げ、バルカスはその名を呼んだ。


我が愛しの魔王閣下(デモンズ・ゲイト)……。いずれ至る、我が祈りの先にあるもの。その先触れたる力だ」

「……貴様の力は、部下どものイデアを使うものかと思っていたが……」

「あれは、この力の一端よ。姿の変異はこのイデアの本質ではない。我がイデアは、私の思考を現実のものとする力だ」


 バルカスがそう発すると、途端に異形の頭が変異し、もともとのバルカスの顔が現れる。


「現実となった私の思考は、限りなく本物に近い力を発揮しようとする。ラウムどものイデアの発現も、今の我が身も、私の思考を限りなく理想に近い状態に発揮しようとしたが故のもの」


 だが、とバルカスは悔しそうに顔をゆがめる。


「だが、所詮はイデアによって生じたまがい物。どれだけ精巧に力が発現しようとも、我が身は魔王閣下にあらず。そして、イデアの猿真似も本物には遠く及ばぬ」

「だから私の魔法で阻害できたのか……」


 先ほどの結界の効果を思い返し、呟くノクターン。

 そんな彼女のつぶやきに応えたわけではないだろうが、険しい顔をしたバルカスは再び異形の仮面をかぶる。


「……故に、我が望みは我が手によって結実されねばならぬ。イデアによる模倣などではなく、真なる願望の結実を、この手で……!」


 静かに唸るバルカスの全身から、迸るように魔力が立ち昇っている。

 それを見て歯を食いしばりながらアルス王が叫んだ。


「これ以上なんとする!? 貴様の望むものはもう果たせぬのではないのか!?」

「そうだ、もう果たせぬ! だが、だからと言って収まると思っているのか!? 我が野望、我が執念! それを全て挫かれて、このままただ座して首を垂れろと!?」


 咆哮を上げるバルカス。その全身から放たれる怒気は、どうしても痛々しさを感じずにはいられなかった。


「なるものかよ、そんなこと……! ここに至るまで二百年近く! 再びその時を待つ前に、我が恨みをここではらさでおくべきかぁぁぁぁぁぁ!!」

「……もはや何も言うまい」


 哀れみすら感じるバルカスを見上げ、アルス王も全てを諦める。


「ならば付き合おう。貴様の気か、命が尽きるまでな……!」

「ぬかしたなぁ! 行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 アルス王の言葉にたけり、バルカスは翼を大きくはためかせ、勢いよく下降した。




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