第26話:逃げ伸びた先に
破砕された屋根の木屑に塗れながら、トビィは小さく咳き込んだ。
「が……ごほっ……」
民家の屋根を壊してしまった申し訳なさと、突然の攻撃に対する困惑、そして今の攻撃で自分が死んだとあの大男――ラウムが思い込んでくれないものかという期待。胸の内に様々な感情を抱きながら、トビィは体を起こそうと軽くもがいた。
瞬間、全身を駆け巡る鋭い痛み。
「づっ……!」
痛みを感じた箇所を見てみれば、少なくない量の出血を確認できた。傷自体は浅く、動くのに問題はなさそうだが全身のそこかしこに痛みを感じるのは困る。
トビィはあまり痛みに慣れていない。痛みに慣れているほうが珍しいとは思うが、この状態でラウムに加えて、謎の攻撃を繰り出してきた下手人から逃げ切れるかどうか怪しいものだ。
「う、ぐ……」
全身の傷を庇いながら、何とか上体を起こす。一先ず、四肢の機能に以上は感じられない。降り注ぐ鋼の刃や落下の際の衝撃でも、どこの骨も折らなかったのは僥倖と言えるだろう。
先ほどの墜落は、ほとんど安定を欠いていた。今の墜落で首の骨が折れたとしても不思議はなかったはずだ。
己の幸運……あるいは、悪運に感謝しながら、トビィは静かに周りを見回す。
自身が落ちてきた民家は、フォルティス・グランダムではごく一般的な家庭の家であるようだ。
屋根から落ちてきた際に破壊してしまったのはテーブルだろうか。周りを見れば、皿の入った戸棚も見える。落ちてきたのはダイニングルームだろうか。人を下敷にしたということはないようなので、一安心と考えるべき――。
「―――っ」
「っ!」
などと、ゆっくり考えていると、こちらを見ている女性と目が合った。
その腕の中に子どもを抱きしめ、体を震わせている。間違いなく、この家の主のはずだ。
トビィは一瞬悲鳴を上げかけ、それを何とか飲み込むと自身の口元に指を立てる。
今ここで物音を立てられると、上にいるはずのラウムに生きているのがばれてしまう。短時間でも、死んでいると思わせられれば逃げる時間を稼げるかもしれない。
女性はトビィの仕草に一瞬目を見開いたが、すぐに納得したように何度か頷いた。
彼女も、今の状況とトビィの惨状からなんとなく察してくれているようだ。自ら声を上げることはせず、静かにその場を離れようとする。
だが、女性の頷きの動作とその場を離れようとする動きを感じてか、彼女に抱き付き俯いていた子供が顔を上げる。
「おかあさん……?」
女性を母と呼んだ子ども……恐らく少年か。少年は不思議そうに辺りを見回し、トビィを見つける。
「―――っ!? おにいちゃん!! たすけてっ!!」
そして、絶叫を上げた。それは悲痛な響きを伴い、トビィの胸をえぐり、辺りの空気を震わせ、屋根の上まで轟いていく。
「たすけてよ、おにいちゃん! そのおようふく、ゆうしゃでしょ!? ゆうしゃさまなんでしょ!?」
「こら!? やめなさい!!」
トビィの着ている服を見て、少年は絶叫を続ける。
血に汚れたフォルティスカレッジの制服を隠すように、トビィは思わず少年から背を向けてしまう。
そんなトビィの様子に構わず、少年は叫び続けた。
「たすけて、おにいちゃん! おとうさんが、おとうさんがぁ!!」
「やめなさい! 喋っちゃ駄目!!」
少年の母親は、慌てて彼の口を塞ぎ、その絶叫を押し止めようとするが、とっくに手遅れであった。
「―――まだ、生きてる」
「そいつは朗報だなぁ」
天井の屋根の穴から、聞き覚えのない少女の声と、聞きたくない男の声がする。
次の瞬間、穴から大量の剣が降り注ぎ、家の中にある全てのものを斬り裂かんとするかのように、大暴れをはじめた。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!?」
少年の母は、自身の子を庇い、慌てて伏せる。
トビィもまた乱舞を始める夥しい量の剣を見て、伏せながら急ぎ移動を始める。
このままここにいても、ミンチにされるだけだ。あの親子を道連れにしないためにも、急ぎ外に出なければ。
だが、そんなトビィの行動が少年には良くない風に見えたらしい。母の腕の隙間からトビィの背中を見つめながら、少年はまた叫ぶ。
「にげないでよ!! たすけてよ、おにいちゃん!!」
「―――ッ!」
少年は必死に手を伸ばし、トビィに助けを請う。
「おとうさんが、ほねのかいぶつにたべられちゃったんだ!! だから、たすけてよ! ゆうしゃさまなんでしょう!?」
少年は涙声になりながら、必死に叫ぶ。
父が骨の怪物に食べられたのだと。助けて欲しいと。トビィの背中を掴んで離さぬと宣言するように、何度も叫ぶ。
トビィはその叫びに一瞬足を止め――。
「……っ!!」
それを振り切るように、床を思いっきり蹴り、家の窓から外へと体を投げ出した。
大きな音を立て、ガラスを砕きながら外へと飛び出すトビィを避難するように、少年が大きな声で叫んだ。
「にげないでよぉ!! おにいちゃぁぁぁぁんんん!!」
トビィはその声に振り返らず、一目散に駆け出す。
その頭の中に、少年の言葉が何度も何度も木霊する。
にげないで。たすけて。にげないで。たすけて。
とにかく何も考えず、叫ぶ少年から離れるように、地面を急ぎ駆け抜ける。
走っている通りには所狭しとスケルトンが群れていたが、その間を潜り抜けるようにトビィはとにかく足を動かす。
そんなトビィの後を、数多の剣を操る少女――ポルタが追いかける。
「逃さない」
はっきりと敵意を込めながら呟き、ポルタは手掌で剣の動きをコントロールする。
彼女の掌の指揮を受け、剣の群れは大きくうねり、トビィの背中を串刺しにせんと一気に殺到する。
だが、その背中に禍々しい剣山が突き刺さる寸前、トビィの体が大きく跳ねる。
「っ!」
ポルタが視線でその姿を追うと、次の瞬間には屋根を蹴ってまた別の方へと飛んでゆくトビィ。
気づいた時には、下を走っていたときよりも、ずっと遠くにトビィの背中が見えた。
ポルタはギシリと歯を食いしばり、全身に力を漲らせる。
「……っ! 逃がすもんか……! 姉様!!」
ポルタは姉を呼ばわった。
それに対して答える声は、どこからも聞こえてこない。だが、その代わりを果たすかのようにポルタの全身が強い発光を放ち始めた。
「双生児による怪奇輪唱ッ!!」
ポルタは叫ぶ。己の力を誇るように。
瞬間、フォルティス・グランダム中に存在する武器が、まるでポルタの叫びに呼応するように中空に現れた。
そして先を走り抜けようとするトビィの周囲を囲い、その進行を妨げるように浮遊を始める。
「っ!」
「全ての武器は、私の僕……! お前なんか、あっという間にバラバラにしてやる……!」
あらん限りの殺意を込め、ポルタは己の支配下にある武器に命ずる。
「そいつを、バラバラにしちゃえ!!」
指揮棒を振り下ろすように手を振り下ろした瞬間、空中に浮いていた全ての武器が、トビィの元へと殺到する。
ある武器は回転しながら、ある武器は一直線に、ある武器は複雑怪奇な軌道を描きながら。
それぞれの武器にとって、最も適した殺傷方法をトビィの体で試してやろうと、全力で彼を殺しに掛る。
トビィは己に迫る武器を見上げる。
「………っ」
周囲を見回し逃げ道を探すが、そんな時間をポルタの支配する武器たちは与えてくれない。
一瞬で迫ってきた武器の一撃を、トビィは真上に飛び上がって回避する。
だが、空中では身動きをとることは出来ない。その隙を狙うように剣がトビィの胴を薙ごうとする。
トビィは足を高く上げると、迫った剣の腹を踏み抜いて、そのまま前に向かって飛び跳ねる。
ポルタの操る剣は、しっかりとトビィの体重を受け止め、十全な足場の役割を果たしてくれた。
「っ!? なまいき……!」
己の操る武器を足蹴にされ、ポルタは顔を怒りで紅く染めながら、手掌でさらに激しく武器を操る。
空中に浮かぶ武器たちは、その動きをさらに激しくすると、唸りを上げながらトビィに迫る。
トビィは顔面を裂こうとするナイフを避け、己の胴を貫こうとする槍を捌き、足を砕こうとする斧を踏み抜きながら、一気に空中を駆け抜けていく。
ポルタの攻撃は、物量も殺傷力も、単純な比較でラウム以上であった。ラウムは不可解な移動能力を持つが、結局は個人。その攻撃範囲は限られているはずだ。
ポルタは、操る武器の物量という形で、それを凌駕する。一個師団にも相当する量の武器を操り、それを高速で動かす事により、たった一人で軍団とも渡り合える力を持つのが、ポルタという少女なのだろう。
トビィはそれをなんとなく察しながらも、組し易いのはポルタであると確信していた。
トビィの持つ危機感地能力は、ポルタの操る武器が生み出す風切音を敏感に察知し、どの方向からどの程度の威力で危険が迫っているのかを知らせてくれる。
来るのがわかれば、トビィにとっては単純な話だ。
「……逃げるのは……」
先ほどの少年の絶叫が、棘のように胸を刺す。
だが、それでもトビィは呟いた。
「逃げるのは……得意、なんだ……!」
迫り来る危険を前に、全力で逃走し続けるトビィ。
そんな彼から離されまいと、イデアを使いながら必死に追いかけるポルタ。
なんとも微笑ましくない、暴威のような鬼ごっこを見上げながら、ラウムは楽しそうに笑う。
「フン。空中を駆け抜けるか。優雅なことだが、いささかつまらんな」
ポルタが全力でイデアを行使している中に飛び込んでは、さすがに痛手ではすまないだろう。
顎を軽く撫でながらトビィの逃げる先……フォルティス城を見つめながら、ラウムは虚空に語りかける。
「そっちに向かってんだが、お前、なんとかできるか? バグズよう」
『ちょうど、戦闘用の虫が出来上がったところです。試運転といきましょう』
ラウムが見つめる先にいる、蝿のような小さな羽虫がバグズの声で答えた。
次の瞬間、ポルタの操る武器の嵐を突き破りながら、黒々とした甲冑のような姿をした何かが一気にトビィへと接近した。
「っ!?」
唸りを上げ、その身を振るう武器の刃などまったく問題にせず、むしろ弾き返しながら迫ったその甲冑は、四本の腕を振るい、トビィの両足を掴んだ。
「な、なん――!?」
トビィは驚く間もなく、その黒々とした甲冑の手によって大きく投げ飛ばされる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
自らを投げ飛ばしたなにものかの正体を悟る暇もなく、トビィの体は大きく弧を描きながら城門を飛び越え、そのまま中庭の中へと落下してゆく。
トビィは両手足を振り回し、何とか姿勢制御を試み、そして中庭の地面に受身を取った。
「あ、がぁ!?」
「御見事ぉ! はっはっはっ……ここで殺すのが惜しい小僧だ」
パチパチと拍手を送るのは、いつの間にか中庭の中に移動していたラウム。
そんな彼の言葉に、呆れたように魔導師姿の男――バルカスが答える。
「やれやれ……王城まで逃げ延びるとは。殺しておかねば、厄介な事になりそうですね」
バルカスは一つため息を吐き、中庭の中心でへたり込んでいるトビィの姿を見下ろした。




