第368話 奇跡を期待する
激烈なる拳に吹き飛ばされたケルヴィンは、遠目にではあるが、その最中に目にしていた。怪しい輝きを放つ、大いなる黒き翼を。空中に根を張るが如く広げられ、力強くも美しく、思わず魅入ってしまいそうになってしまう。それは以前までの黒炎に共通していた荒々しさは欠片も感じさせず、どこか洗練された雰囲気さえあった。
「遂に至ったか、神にッ!」
思わずそんな言葉を口に出してしまうケルヴィン。次いで、念話の中でも熱狂する。
『ハハッ、参ったな! 俺とした事が、バトル中に魅せられちまったよ!』
『あなた様、またそのような発言を私の前で……』
『いや、だからこれはそういうのじゃないから! それよりもメル、お前こそ大丈夫か?』
『ええ、吹き飛ばされる最中に『自食』が働き、何とか体中に開けられた傷穴は塞ぎました。この吹き飛ばしが落ち着くまでにご飯を頂き、できれば食後のデザートも頂いて、戦線復帰します』
『そ、そうか、安心したよ…… なら、もう一度アタックを仕掛けられるな、ルキルに!』
『あなた様、やはり狙ってそういう発言をされていませんか? ツッコミ待ちなんですか?』
『えっ? それを言ったら、お前こそ狙ってるだろ? デザート食べて戦線復帰って、どう考えてもツッコミ待ちだろ?』
『いえいえ、そちらが』
『いやいや、そっちが』
その話し合いはどう考えても不毛であった。しかし、世の中に意味のない事がないように、この話し合いにも何かしらの意味はあるものだ。
「ああ、年季の入ったイチャラブの波動を感じてしまいます。クッ、私の蚊帳の外に置きながら、そのような、ですが、やはりこれにも適合してしまう私―――」
「―――そうかよ!」
新たな扉を更に開こうとしているルキルであったが、彼女の間合いには既にケルヴィンが迫っていた。あらゆる事象を快感に変換する、ルキルの特殊性癖――― 否、特殊性質。ケルヴィンはその最中に起こる僅かな隙を突き、絶好のチャンスを掴み取ったのだ。
『魔力超過』を風神脚に注ぎに注ぎ、肉体の限界をも超えた速度にまで達したケルヴィンは、ここまでの移動のみで大きなダメージを負ってしまっていた。音どころか光をも置き去りにした、超スピードの代償である。
(安い、何てお買い得な代償……! この程度の重傷で、こんなにも素晴らしい世界を見る事ができるんだから、買わなきゃ損ッ!)
尤も、ケルヴィンは喜んで受け入れている訳だが。
―――ズバッ!
「あら? また新たな痛みが」
ケルヴィンは斬った。大きく広げられた黒炎の翼ごと、ルキルを再び真っ二つにしたのだ。それも今度は縦ではなく、横に。ルキルの上半身と下半身が分割され、予想通り、どちらも元気に動き続けている。
「純化白湯!」
限界以上の強化を施したケルヴィンほどではないにしても、メルにも風神脚は付与されている。口元にデザートの欠片が付いているのは御愛嬌、そんな彼女が放ったのは、新たなる合体魔法であった。
どこからともなく真っ白な水流が出現し、獲物を狙う蛇の如く、ルキルの上半身と下半身をバクリと丸呑み。その猛烈な勢いのまま周囲を縦横無尽に駆け巡り、ルキルを強制的に水中ジェットコースターへと誘った。当然の事ながら、その水中ジェットコースターに乗車中は窒息に要注意――― なのだが、その方面での決着はケルヴィンもメルも、欠片も期待していない。
『最早ルキルは理解不能の生物に至っています! 鰓呼吸くらいは普通にすると仮定しましょう!』
『それでもスペックが変わっていないってんなら、ダメージの許容量も同じ筈だ! 徹底的にダメージを叩き込んでいこうか!』
合体魔法【純化白湯】は『白魔法』と『青魔法』の両方の性質を持ち合わせている。具体的に言えば、天上の神剣や神聖天衣が有する能力付与の無効化を、空中を流れる激流に与えたみた、といったところか。これまでは武器や防具に付与する事で効果を発揮するタイプの魔法だったが、それまでに自身に付与していた強化までもを消してしまうという、明確なデメリットが存在していた。しかし、この純化白湯は水(実際のところは白湯)そのものに効果が付与されている為、先の弱点が解消されている。また、水は蛇の形状をした激流となって相手に襲い掛かり、純粋な攻撃としても作用する――― つまり、純化白湯はこれまでの無効化魔法とは一味も二味も違う、大変に革新的な魔法なのだ。
『あなた様、今のうちに!』
『おう!』
純化白湯にルキルが吞み込まれた今ならば、顕現した権能も、翼の黒炎も無効化されている筈。正に好機。ケルヴィンはメルと呼吸を合わせ、白湯の流れに大鎌による斬撃をピンポイントかつ連続で放つのであった。
斬撃は中で藻掻いているであろうルキルを斬り刻むが、純化白湯は液体である為に殆ど影響を受けない。斬撃を受けた次の瞬間には、切断面を元に戻し、何事もなかったかのように強制ジェットコースターを再開してしまう。相手の力を無効化しつつ、一方的に防御不可の攻撃で制圧する――― 相手がどんなに格上だろうと通じてしまうこの策は、この戦いにおいて正にあつらえ向き。それこそ、明日以降に戦う事になるであろう、マリアとアダムスにも有効と言えるだろう。
……尤も、その攻撃が本当に当たっていれば、ではあるが。
「―――なるほど、堪能させて頂きました。勝利を渇望するが故の、力なき者の工夫。私はまた、学びを得た」
「「ッ!?」」
突然、純化白湯が四散した。いや、霧散した。まるで急激に気化してしまったかのように、一瞬の事であった。
「ただ一言申し上げるとすれば、毎秒毎秒、水量が僅かに減っていた事に気づくべきでしたね。素晴らしく高度な魔法のようでしたが、まだまだ使い慣れていないようにも感じられます。実に惜しい事です」
留まる事を知らない水蒸気の中より、再びルキルが姿を現す。彼女は黒炎の翼を自身に巻き付けていた。黒炎が彼女の周囲、その最低限の範囲のみの液体を気化させる事で、純化白湯との接触を断っていたのである。純化白湯の総量からすれば本当に僅かな量であった為、術者であるメルもその事に気付けなかったようだ。
但し、それでも彼女の肉体には、所々に切断面の痕らしき線が僅かに残っていた。純化白湯を、更には黒炎の翼をも貫通した大鎌の斬撃が、ルキルにダメージを――― いや、それも本当に確かなダメージだったのかは怪しいところ。その傷痕も瞬く間に塞がり、今や殆ど無傷の状態に戻ってしまっていた。
「さて、そろそろ私の策も効いてくる頃でしょうか?」
「何――― なっ!?」
「これは……」
状況は好転するどころか悪化の一途を辿る。この瞬間、ケルヴィンとメルに付与されていた付与魔法、その全てが剥がされてしまったのだ。黒杖に付与していた大鎌もまた同様であり、今や二人は丸裸の状態である。
先のケルヴィン達の策を打破した、ルキルの合体魔法【黒殲姫】。その黒炎の翼はそれ自体も強力な力を持つものだが、実のところ、それ以外にも能力が備わっていた。彼の翼から放たれる熱の波、それはマリアが作り出したこの戦場一帯を包み込むものであり、決して逃れられない不可避の攻撃でもあったのだ。つまるところ、熱に触れる全てを徐々に劣化させ、最終的には無力化していくのである。純化白湯から抜け出したこの束の間に、このフィールドは支配されてしまっていた訳だ。
「お二人とも、まさかこれで終わりではありませんよね? さあ、更なる創意工夫を見せてください。私は期待しているのです。我が前で奇跡が起こる事を」
「……そこまで期待してもらえるとは光栄だ。メル、食い溜めした分はまだまだ大丈夫だよな?」
「当然です。今しがた良い感じの熱が来たので、肉まんを温めていたところですよ」
あくまでも、ケルヴィン達は笑い続ける。しかし、それからの攻防は一方的なものだった。なぶり殺しにされていると言っても良い。超大なダメージを受ける度、ケルヴィン達は重度の火傷を負い、或いは焼き削がれ、場合によってはそのまま溶かされる事もあった。
これに対し、ケルヴィンは白魔法で回復をし、メルは『自食』を使う事で即座に再生。このような戦況でも最善を尽くし、尚も勝利する事を諦めない――― のだが、だからこそ、最善の一手をどこかで打ち間違えれば、そこで敗北する事が明白でもあった。持ち前の回復力をもって状況を覆そうと踏ん張ってはいるが、どんなに贔屓目で見ても、死なない事を維持するので精一杯だ。ここからの逆転の一手は、もう―――
『パパ、ママ、本当の本気、出しましょう! ……です!』
―――『怪物親』、発動。




