第90話 巨人の王
―――紋章の森・東端
「馬鹿な、本当に女子供じゃねぇか……」
ウルフレッドが戸惑うのも無理はない。リオンは当然であるが、メルフィーナも外見上は20にも満たない少女の姿。とてもではないが、トライセンが誇る混成魔獣団が壊滅させられた事実を信じることはできなかった。
「あ、ああ……」
兵の怯えようは尋常ではない。前線で行われた戦闘で何が行われたと言うのか。青髪の凛とした少女は聖女のように微笑んでいる。
「道案内、ご苦労様です。お陰で迷うことなく、ここまで辿り着けました」
「セラねえに任せて追って来たのは正解だったね」
「こいつをわざと逃がして、つけていたのか……!」
そこで倒れ伏しているモンスターは『地這鳥』。羽が退化し飛ぶことのできない鳥型モンスターであるが、地を駆ける速さにかけては駿馬をも上回る。その地這鳥を乗り潰してまで飛ばして来た兵を悠々と追跡してきた敏捷能力…… 外見の容姿に惑わされてはならないと、ウルフレッドは迷いを捨てた。
「巨人の王、微塵も油断するんじゃねぇぞ。同族の仇だと思え!」
鞭を叩きつけ、巨人の戦意を滾らす。巨人は低く唸りを上げ、地響きを鳴らしながら前に出る。
「近くで見ると尚更大きいね。ケルにいが作った壁くらいあるんじゃない?」
「ふむ、このまま戦ってもいいですが、そうですね……」
メルフィーナが顎に手をやり、悩むような仕草をとった。リオンは「戦わないの?」と、剣を片手にそんなメルフィーナの顔を覗いている。
『リオン、あなた達の力でこのモンスターを倒してみてください』
『え…… 僕たちだけで?』
『はい。これまであなたが戦った敵はいささか実力不足でしたからね。自分よりも弱い者に勝っても、それは真に強いとは言えません。あなたも早くお兄さんに認められたいでしょう?』
『……うん』
『倒すことができれば、晴れてあなたを一人前と認めましょう。子供扱いも、まあ、極力控えます』
『それは止めないんだ……』
何だかんだで、リオンの実力は皆理解している。だが、それが極限状態となった実戦で発揮できるかが心配なのだ。リュカと同じく、屋敷の妹的な存在であるが故の危惧と呼べばいいのか。特にパーティ内ではその傾向が強い。
『あのモンスターは恐らくS級相当の強さでしょう。それでも、やれますか?』
『……やれるよ。ここ毎日、ジェラじいには剣術を、ケルにいには魔法を嫌って言う程叩き込まれたんだ』
勇者であるリオンの才能は規格外。レベルアップにより強化されたステータスは然る事ながら、ケルヴィンと同様に会得した『胆力』スキルが動じない精神力を与えている(身体的特徴を指摘されるのは例外)。
何よりも厳しい訓練に耐えられたのは、リオン自身が皆を守りたいから。そんな単純な理由だ。
『リオンの努力は知っていますよ。大丈夫、あなたの力を出し切れることができれば、きっと勝てます』
メルフィーナの静かな声に、リオンは安堵する。ケルヴィンと同じく、尊敬するひとりにそう信じられたのだ。それだけでリオンの心の迷いは晴れ渡った。
『うん! それじゃあ、行ってくるね!』
巨人が前に出るのに少し遅れて、リオンも歩みを進め出す。
(ひとり、だと……!? 舐めやがって!)
ウルフレッドは目を疑った。S級モンスターを前に、黒き軽装の少女が単独で前に出たのだから。少女の持つ片手剣は、見たところよく鍛えられている。だが、それでも良くてB級程度の代物だろう。これまではそれでも通用しただろうが、この巨人の王の鋼鉄のような肌には傷ひとつ付けられない。
(触れた瞬間、根元からバキリと折れるだろうぜ! 迂闊な真似をした事、愛剣を壊されてから後悔するといい!)
再び鞭を打ちつけると、巨人は雄叫びを上げながらリオンに向かって走り出した。灰色の強靭な体が弾丸の如く放たれる。その巨体さからは考えられない俊敏さだ。
「いけ、巨人の王!」
「いくよ!」
ウルフレッドの視界から、リオンの姿が消えた。
(なっ、どこだっ!?)
予備動作なしからリオンは一気に最大速度に至る。実の所、リオンのステータス上の敏捷は既にセラやメルフィーナを上回っている。単に持続力がない為に、普段はセーブしているに過ぎないのだ。だが、そんな速度で移動するリオンさえも、巨人の王は捉えていた。
猛突進しながらも、巨人の右腕が振るわれる。狙いは巨人の右斜め前方、リオンがいる場所を正確にだ。拳が地に触れた瞬間、大地が割れ、そこに存在していた木々が出来上がった大穴に沈んでいく。その威力は雅の大黒屍鬼の比ではない。空から見下ろせば、紋章の森の一部から樹木がなくなったことがよく分かることだろう。
「凄い威力だね!」
「っ! 避け…… はぁ!?」
リオンが感嘆し、その声を聞いて場所を特定したウルフレッドが驚愕する。リオンは巨人の攻撃を避けるだけでなく、振るわれた腕を伝って巨人の胴体へと走っていた。
「アレックス!」
また、リオンの影に潜んでいたアレックスもここで姿を現す。時刻は深夜、僅かな月明かりで照らされることによって形成される影は、この森に幾らでもある。自前の鋭利な牙と爪で巨人を切り裂いていき、巨人も応戦しようと掌打を自らの体に叩き付ける。が、アレックスは新たな影へと姿を消してしまっていた。
―――ガガガッ!
(……だけど、浅い)
傷を付けたのは薄皮一枚。巨人の灰色の肌からは血も出ていない。
(思ったよりも皮が厚いなー。なら……)
巨人がアレックスに集中しているうちに、リオンは瞬く間に頭部へと到達した。そのまま勢いをつけ、巨人の頭部に剣を振り下ろし―――
ガキンッ!
―――剣が折れてしまった。ウルフレッドの思惑通り、剣の耐久力が不足していたのだ。この剣の名は『強化ミスリルソード』。かつて、ケルヴィンがカシェルから拝借した剣を鍛え直したものなのだが、それではこの巨人には通用しないらしい。
攻撃を受けた巨人もそちらに眼光を向け、対象をリオンに移行する。
「ざまぁみやがれー!」
「や、やった!」
リオンの剣が折れた事にウルフレッドと兵が歓喜する。だが、その姿にメルフィーナは哀れみの視線を送っていた。
(熱中するのも良いですが、完全に私のことを忘れていますね。巨人がリオンと戦っている今、貴方達は無防備な状態だと言うのに…… まあ、それではリオンの試練にならないのですが)
自分達の背後に氷の壁が作られていることにウルフレッド達は気付かない。逃亡防止用にと密かにメルフィーナが拵えたものなのだが、別にいらなかったかな、とメルフィーナは思い始めていた。
(それにリオンの剣が一本だと、誰が言いましたか?)
剣を失い、両手ががら空きとなったリオンは巨人の攻撃を避け続ける。時には天歩で軌道を変え、時には威力を殺して巨人の体を伝って。アレックスも隙を見て攻撃を加えるが、巨人は害なしと判断したのか、完全に無視している。
(このままじゃ不味いなー。これ、一回でも当たれば即死しそうだし。ケルにいの言う通り、持ってて良かった胆力スキル)
リオンがアレックスが最後に身を隠した陰を見る。
『アレックス、クロト、合わせるよ!』
リオンのアームガードからぴょこんと小型クロトが顔を出す。そして、保管から新たな剣を三本吐き出した。二本がリオンの両手に、一本はアレックスの影に向かって。
「ガウッ!」
リオンは巨人の右腕に、影から飛び出し口で剣をキャッチしたアレックスは左腕に着地する。三本の剣はいずれも異様な雰囲気を放っていた。
「に、二刀、流!? そ、そのスキルは勇者のみしか扱えない筈じゃ!?」
「え、そうなの? 普通にスキル欄に載ってたから分かんないや。 ……それにさ、僕らのは二刀流なんかじゃないよ」
リオンが、アレックスが、剣を構える。
「人狼一体、三刀流だよ!」
ポージングを決めたリオン達を見て、うんうんとメルフィーナは満足気な笑みを浮かべていた。
な、何か凄い勢いでアクセス数が上がっている…… 何事!?




