第86話 火竜王
―――エルフの里・長老の家
先程は腰を抜かしてしまったネルラスであったが、あの後直ぐに騒動を収め、その場での集会を解散とした。その後、俺達はエルフの長老であるネルラスの家へと招かれ、改めてここで話合いを再開することとなる。
部屋のソファーに座ると給仕の女性が紅茶らしき飲み物をいれてくれた。今まで嗅いだ事のない香りだな。何の茶だろうか?
『この森で採取される薬草を数種煎じたものですね。香りから察するに、魔力を豊潤に含んだ高級品を使っているようです』
俺の疑問にメルフィーナ先生が即座に答えてくれた。香りだけで判別できるとは、いつもながら流石である。
ふむ…… 俺達にそんな高級品を出してくれているのなら、少なくとも歓迎はしてくれている。ならば、さっきの驚きようは何だったのだろうか?
「ケルヴィン殿、先程は大変失礼した……」
「いえ、エフィルも気にしていませんので大丈夫ですよ。それよりも―――」
「分かっております。私が驚愕した理由が知りたいのですね」
「良ければ、お伺いしても?」
ネルラスは僅かに俯き、俺とエフィルを交互に見据える。
「……そうですね。お話しましょう。国王様のご依頼とは直接的な関係はない話ではありますが、そちらの少女にとってはとても大切な事でしょうから」
「私にとって……?」
エフィルが膝の上でギュッと拳を握るのが見えた。
「あれは、まだ私共が西大陸に居を構えていた頃の話です―――」
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長老の話は20年ほど前に遡る。西大陸のとある森の奥深くにエルフ達は平穏に暮らしていた。この紋章の森と同じように、結界を何重にも施していた為、外界との接点も殆どなかったと言う。
エルフの中には自ら外へ出て行く者もいたが、大抵の者は里から離れることはまずしない。エルフは希少な種族であること、その容姿が大変美しいことから過去に他種族から狙われることが頻繁に起こっていたからだ。エルフの種族が閉鎖的になったのもそれが起因しており、今では獣人族のみが交友関係を保っている。
そんなエルフ達がなぜ東大陸にまで身を寄せる必要があったのか? その原因となったのは竜だった。それもただの竜ではない。偉大なる竜族の王の1体である『火竜王』である。その強さは邪竜など比較にならず、S級の中でも最上級の存在であると伝えられている。
火竜王は森から遠く離れた火山口に巣を構える。本来であればエルフと接触する機会は皆無なのだが、その日は違った。よく晴れた、好天に恵まれた日であった。木々が高く伸び育ったエルフの里にも陽の光が注がれ、とても暖かな日中。不意に、大きな影が里の中央にかかる。
里の者ははじめ雲の陰かと考えたが、徐々に膨張し広がっていく陰を不審に思い始める。決定的だったのは木々がメキメキと倒され始めてからだ。森に施された結界などものともせず、巨大な大木を結界ごと破り倒し、紅き巨体の主は里に現れる。
「……我に恥辱を与えしエルフを出せ。さもなくば、森を灰燼と帰す」
その場に居合わせたエルフ達は呆然とした。あまりに唐突な出来事だった為に理解が追いつかなかったのだろう。ただただ紅き竜を見ることしかできなかった。最も不幸だったのは一番竜の近くにいたエルフだ。次の瞬間には竜に食われてしまったのだから。自分が食われたことも認識できなかっただろう。
「う、うわああぁぁぁ!」
そこからはまさに地獄絵図であった。森が燃え盛り、エルフ達が逃げ惑う。女子供関係なく竜はエルフを食らい、逃れた者も業火に飲まれてしまう。
事態が収拾し出したのは、里の人口が4分の1を割ろうとしていた頃だった。一人のエルフの女が竜の前に立ち、こう言い放った。
「あなた様の怒りを、どうか私にお向けください。その代わり、他の者を見逃して頂けませんか?」
竜を前にして怖じ気もしない女はエルフの中でも特に美しく、心優しい者だった。怒りに身を任せていた竜もその姿に理性を取り戻したのか、破壊行為を止める。
「貴様は我が探すエルフではない。だが、貴様は異種族の我からしても見目麗しいな…… よかろう、貴様が我の花嫁となるならば、恥辱の件は帳消しにしてやろう」
高等な竜族は人化する術を持つ。それはつまり、異種族に子を産ませることが可能であることを示す。火竜王が何に対して怒りを持っていたかは不明であるが、和解案として提示したのがそれであった。
「……分かりました。ですが、どうか家族と別れの挨拶をさせてください」
「いいだろう。今宵、改めて貴様を迎えに来よう。それまでに済ませるとよい。 ……理解しているだろうが、逃げても無駄であるぞ?」
吐き捨てるように言葉を残し、竜は大空へと飛び去っていく。姿が見えなくなるまで目を離さなかった女であったが、完全に去ったのを確認するとその場に泣き崩れたという。女はまだ若く、間もなく結婚を控えていた。尤も、その相手となる男は既に竜の腹の中だったのだが……
その時の長老もこの騒動で亡くなってしまい、息子であるネルラスが新たに長老として就任することとなる。通例であれば新長老の祝いの席でも設けるところであるが、流石にそれどころではなかった。今後の一族の方針、竜の花嫁となる女の監視と苦い決断を迫られることも多々あったと言う。
監視の中、女は生き残った家族と残り少ない時間を過ごし、夜を迎える。
約束の刻、バサリと竜は静寂の中現れた。女の顔に涙はもうない。ただ、竜が飛び立つ前に一言だけこう残したという。
「私のことは、もう忘れてください」
それから数年が経った頃、女の死体が森の端で発見されることとなる。エルフ達は竜に恐怖し、故郷を捨て西大陸から逃れることを決断。一族の生き残りを集め、東大陸の獣国ガウンを頼りに新天地を目指すのであった。
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「……これが、我が一族が東大陸に渡った経緯です。結局のところ、竜が里を襲った理由は分からずじまい、彼が探していたエルフについても判明していません」
重い空気が部屋を支配する。
「もしや、その花嫁となった女というのが?」
「はい、彼女の名はルーミル。私がエフィルさんと見間違えたエルフです」
ええと、俺の予想が間違ってなければ、もしかしてその人がエフィルの母親にあたるんじゃ…… いや、それ所か父親は火竜王!?
『いえ、それはありえません。ハーフエルフは人間とエルフの間にのみ誕生します。相手が竜では血が濃過ぎます』
『そ、そうか……』
安心したような、謎が深まったような…… そういえば、エフィルは出会った時から『火竜王の呪い』を持っていた。今では反転させて加護となっているが、この呪いのせいでエフィルは不遇な時を過ごしたのだ。
……考えようによってはそのお陰で俺達は出会えたとも言えるが。いや、それよりもエフィルは大丈夫か!? ショックを受けてないか!?
「私もルーミルとは知り合いでした。そして、彼女が死んでいるのをこの目で見ています…… エフィルさん、大変申し上げにくいのですが……」
「いえ、私が物心つく頃には父も母もいませんでしたし、記憶もありません。ですので、ネルラス様が心配される必要はございません。私にはご主人様が、仲間がいますから」
エフィルが俺の肩に頭を乗せる。
……いらぬ心配だったかな?
「どうやら、信頼できる方と出会えたようですな。同族としてお祝い致しますよ」
「あっ、いえ、私とご主人様はそういう関係では……」
珍しくエフィルがあたふたとする。背後からセラとメルフィーナが目を光らせているので僕からは何も言えないです、はい。




