第229話 二人の鬼
ゴルディアーナが展開した慈愛溢れる天の雌牛は、最終形態でも軽量型でも片翼形態でもない、通常型とされるものだった。この期に及んでなぜ、という疑問が浮かぶかもしれないが、今のゴルディアーナはこれまでの何よりも力強く、それでいて流麗なオーラを纏っているようであった。つまるところ、恐ろしいまでに仕上がっている。
対するハオが顕現させた権能は『魁偉』、ルキル曰く、自身の筋肉を自在にコントロールする事ができる力。情報量が少なく、それでも彼女は見た目の変化はそれほどないと言っていたが、今のハオの姿は通常時のそれとは全く異なるものと化していた。確かに形状にこそ変化は少ない。が、全身の肌の色合いが黒鉄色に染まっており、形相も鬼のそれになっていたのだ。とてもではないが人とも、そして堕天使とも思えなかった。
「フゥゥゥ~~~……!」
「ハァァァーーー……!」
双方の呼吸は深く、それほど大きな声量ではない筈なのだが、その声だけで空気と大地が震え上がる。そこに存在するだけで多大な影響を周囲に撒き散らす超越者達は、最早周囲への配慮など一切気にしていないだろう。そのような雑念を欠片でも持ってしまえば、その瞬間に目の前の好敵手に叩きのめされる。一度本気で死合った本人達だからこそ、二人はそう理解していた。
「クッ、これだけ離れているってのに、体の震えが止まらねぇ……! なんつう圧、なんつう強さなんだ……! まだ拳を交えてねぇっつうのに、自然の全てが悲鳴を上げていやがる……!」
この大陸に住まう自然を守る為、ダハク達は彼方より戦いの様子を見守っていた。但し、いくら距離を置こうとも、前方から絶えず放たれているプレッシャーからは逃れられない。責務を全うしようとすると同時に、ダハク達は今も恐怖心と戦っている状態だ。
「へ、へへっ…… ハオの野郎、全然本気じゃなかったって事か。イラつくぜ……」
「ダハク、余計な事を考えている暇はない。この大地が崩壊するのを防ぐ為にも、固定用の植物を早く配合して。私とボガで、生育に最適な環境を作り出すから」
「言われなくても分かってる! 俺の固有スキル『生命の芽生』で、ただ今絶賛配合中だっての! けどよぉ、見てみろ! プリティアちゃんとハオの野郎、姿が対照的にもほどがありやがる! どっちも底知れねぇ力強さを感じるが、アレじゃあ女神と悪魔、いや、美の化身と鬼の化け物くれぇの違いがあるぜ!?」
「いや、普通に鬼と鬼にしか見えない。ゴルディアーナ、二つ名『桃鬼』だし」
「お、おでも、そう思っだ……」
「はぁっ!? いやいや、お前ら目が腐ってんのか!? もっとよく見ろ、全然違うじゃねぇか! 確かにハオの野郎は絶世の美男だが、それでもプリティアちゃんとはレベルが違うだろうがぁ!? あと、超品種の植物ができたぞ、おら!」
むしろお前がよく見ろと、分かりやすく感情を表に出すムドとボガ。その後も三人は何かと言い争い、同様の空気のまま仕事に取り掛かっていた。
このように一見ふざけた空気であるが、一応それにも訳がある。と言うのも、ダハク達を取り巻く環境が余りにも過酷である為に、こうでもしてふざけていないと、如何に竜王と言えども精神的に参ってしまうのだ。世界を滅ぼしかねない猛獣達が何の遠慮もなしに争う中、間近に居る自分達は何の命綱もなしに、その修繕作業に当たらなければならない――― とでも言えば、多少は三人の気持ちが分かるだろうか? 何かに熱中するにしろ酔うにしろ、素面の状態ではとてもではないが、やっていられないのである。
―――ズズゥゥゥン!
「「「ッ……!」」」
そうこうしている間に、遂にゴルディアーナとハオの戦いが始まった。得物は己の肉体のみ、魔法なんてものは不純物でしかないと言わんばかりの、純粋な肉弾戦である。鬼と化した双方は、これまで磨き上げてきた技術の粋を体現し、限界を超えて鍛え上げてきた肉体の全てを解き放つ。
(ま、まるで見えねぇ……!)
空気を伝って、絶えず凄まじい衝突音が聞こえてくる。肌を切り裂くような、鋭い衝撃派も届いている。だが、今戦っているであろうゴルディアーナ達の姿が、ダハクは目で捉える事ができなかった。それはムドファラクとボガも同様であり、恐らくは超高速での移動をしながら、あちこちで格闘戦を繰り広げている――― などと想像する事しかできない。
「片腕とはッ! とてもッ! 思えないわねんッ!」
「貴殿こそッ! とてもッ! 人の身とは思えんッ!」
「そりゃあッ! 一応これでもッ! 人間上がりの女神様ッ! ですものォ!」
「奇遇だなッ! 俺もかつてはッ! 強さを追い求めるだけのッ! 人間であったわァ!」
殴り、蹴り、投げ、決め、返し――― 一瞬のうちに数多の奥義を繰り出され、過ぎ去っていく。それは一手でも間違えれば、即死へと繋がる危険なやり取り。しかしそれでも、二人はどこか楽しそうに、このやり取りを続けていた。究極の武に至り、最早上を見る必要がなくなった者達が、その力を一切加減する事なく、己の全てを相手にぶつける事ができる。それは彼ら彼女らにとって、夢物語でしかなかった理想が叶った、歓喜の瞬間でもあったのだ。
「これも受け止めてくれるかッ! 甘美なひと時ィ! であるなァ!」
「ハオちゃん! 顔がァ! 笑っているわよぉん!」
ハオの権能『魁偉』は自身の筋肉量をコントロールするという、単純明快なものである。ハオがその気になれば今以上に筋肉を膨れ上がらせ、大きくする事も当然可能だ。しかし、ハオはそれを好ましく思わなかった。いくらパワーが上がったところで、技を行うに必要なスピードが肉体について来なければ、武を志す者として全く意味がなかったからだ。だからこそ、ハオはこの力で筋肉を増やすのではなく、同じ筋量でより優れた肉へと、自らの成長を促す事に使用していた。
死も厭わぬ鍛錬、神との死闘、新たなる探求――― それらを繰り返し繰り返し行い続けた結果、彼の肉体には邪神の加護が宿り、鍛錬を重ね死地へ赴くほどに進化を重ねていく事となる。人の身でありながら神に選ばれ、悠久の時を生物としての昇華へと当てたハオの肉体は、最早最高位の神であったアダムスのそれと比べても、決して劣るものではなくなっていた。神の肉体から繰り出される究極の武は、最早同じ神にも止める事ができない。少なくとも、これまではそうであったのだ。
「この身がッ! 義体である事がッ! 口惜しいわァッ!」
「私はッ! 貴方が片腕なのがッ! 惜しいわんッ!」
一方、通常型の『慈愛溢れる天の雌牛』を展開したゴルディアーナも、いざ戦いが始まってみれば、権能顕現状態のハオと拮抗した戦いぶりを発揮させていた。パワーもスピードも判断力も、何よりも武術においても一歩も引いていない。
普通であれば発展型や最終形態とされる、他の型を使った方が良いと考えてしまいそうなものだ。が、ゴルディアーナは敢えてこの型を選択した。その理由も単純明快なもので、純粋にこの型のゴルディアが最も体に馴染んでいたから、であった。確かに最終形態や片翼形態は、ステータスにおける能力向上値において、通常型のそれよりも大きく勝っている。しかし、その姿も通常のゴルディアーナの姿とは大きく異なるものである為に、ゴルディアーナが最も重要視する武術が、十全に発揮できなくなってしまっていた。特に片翼形態は開発からそう時間が経っておらず、調整期間もそう多くは設けられていなかった。もちろん、それは今も同じである。だからこそゴルディアーナは、最も練度と信頼性の高いこの型で、勝負をかけたのだ。
「「ふんッ……!」」
戦闘開始から幾千回目かの武の衝突。双方の拳からビキビキと血管が浮き出て、それらが二の腕の辺りにまで及んでいく。やはり、実力は互角だ。
「おおぉい、拳一発で地表が捲れるぞ!? 俺の植物だけじゃ持たねぇ! ムドの氷で補強できねぇか!?」
「やってる! やってる傍から、氷ごと捲れてる……!」
「お、おでの火山、造った瞬間に吹っ飛ぶ……」
……ひょっとしたら、元気に戦っている鬼二人よりも、その周りで補強作業に当たっている竜王達の方が、力尽きるのが早いかもしれない。
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