第79話 女の戦い
―――ケルヴィン邸・庭園
「昇格試験か…… 何だかんだで特例昇格ばかりだったから、受けるのは久しぶりだな」
ゴシゴシ。
「ケルにい、もしかして緊張してる? どんな試験でも余裕だと思うけど」
ゴシゴシ。
「クゥーン……」
ゴシゴシ。
「わ、暴れちゃ駄目だよ、アレックス! 折角洗ってるんだから!」
ゴシゴシ。
「流すぞー」
ザパーン。
「ご主人様、タオルをどうぞ」
「サンキュ。ほれ、アレックス。今から拭いてや―――」
ブルブル!
「うおっ!? ブルブルして水飛ばすなって!」
「あはは。ケルにい、ずぶ濡れだー」
時刻は昼を回ってやや眠くなる時間帯。俺とリオンとエフィルは屋敷の庭園にいた。昨日暗紫の森にて新たに契約した仲間、影の狼のアレックス(命名:リオン)を洗っているのだ。野生で生きていただけあって、少々獣臭かったからな。
「はあ、後で風呂に入らないとな」
フキフキ。
「よし、いいだろう。エフィル、乾かすぞ」
「承知しました」
エフィルが赤魔法で空気を暖め、俺が緑魔法でそよ風を吹かせる。これぞ、オリジナル合体魔法【暖風】だ! 俺とエフィルの息を合わせ、調整に調整を重ねることで実現することを可能にした、必殺生活魔法なのだ! この魔法の開発には苦労したぜ…… 並列思考には感謝している。
まあ、これもエフィルとのコミュニケーションの一環で始めたことだ。本筋の目的は毎回達成しているので、この魔法は言わば副産物みたいなものだ。
「本当にドライヤーみたいだね」
「難点は俺とエフィルには使えないことだな」
この魔法の使用には途轍もない集中力が必要で、残念ながら自分らには使えない。主な利用者はセラなのだが、疲れるので滅多にやらない。今回はサービスだ。
「フサフサになったね、アレックス!」
「ワォン!」
リオンがアレックスの黒毛をワシャワシャと撫で回す。見た目以上に柔らかいので、なかなか癖になるのだ。
「んで、仕上げにこの首輪を付けて、と」
俺が自作したアレックスの名前付きの首輪を装着。うん、完璧にでっかい犬だ、これ。
「これでモンスターと間違えられることもないでしょうね」
「ああ。随分綺麗になったしな」
「それじゃあケルにい、エフィルねえ。僕、アレックスと散歩に行ってくるね」
はて、狼に散歩は必要だったかな? まあ、いいか。
「夕食までには戻れよー」
「リオン様、いってらっしゃいませ」
リオンとアレックスは正門へと走って行く。正門の番兵として立たせているゴーレムにまで手を振るとは、リオンは律儀だな。だが、うちのゴーレムもなかなか高性能なようで、こちらも手を振り返している。
リオンの交友スキルが働いているのかは知らないが、アレックスとすっかり仲良しになった。レベルも近いことだし、互いに切磋琢磨していってほしいものだ。
「エフィル、エリィとリュカはどんな感じだ?」
「はい。スキルレベルを上げ、目覚しい成長を遂げております。取得するスキルに関しては、ご主人様の指示通り、二人の自由にさせましたが……」
「ああ、それでいい」
エフィルの時と同じように、俺からどうこう言うつもりはない。それは二人だけに許された権利だ。
「それでは私は湯の準備をして参ります。少々時間を頂きますが、ご主人様はどうなされますか?」
「今なら、修練場でメルフィーナとセラが模擬試合をしているな。それまではそこで観戦してるよ。メルフィーナの戦闘データも、まだまだ不足してるし」
メルフィーナは仲間になってからまだ日が浅い。ステータス上でのデータは把握しているが、戦術を用い仲間と連携していくには至っていないのだ。今はメルフィーナを理解することに重点を置きながら、試行錯誤を繰り返している。
「でしたら、準備ができ次第お呼び致します」
「頼む。あ、久しぶりに一緒に入ろうか?」
ちょっとした悪戯めいた一言。エルフ耳がピクリとはね上がり、見る見るうちにエフィルの顔が赤くなっていく。
「……まだ日が高いですし、お背中を流すだけですよ」
いつも冷静を装うエフィルだが、こういうところはまだまだ初心である。エフィルさんや、耳の動きで本心が駄々漏れですよ。
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―――ケルヴィン邸・地下修練場
「お、やってるやってる」
今や見慣れた修練場。中央に陣を構えるメルフィーナを囲むのは、数え切れぬほどの氷の花、花、花…… メルフィーナの青魔法によって生み出された氷の造花が、あたり一面に咲き誇っていた。
設置系の魔法か? セラは……
対するセラは黒き魔力を両手に纏わせ、造花を叩き割りながらメルフィーナに走り向かう。鑑定眼で見る限り、セラが造花に触れる度にHPが削られている。
接触するとダメージを喰らう魔法のようだな。造花を鑑定眼で見ればより詳しく効果が分かるだろうが、今回は観戦する側だ。後でメルフィーナに直接聞くとしよう。しかし、それにしても―――
「うー、さむ…… これだけ離れているってのに」
「そんな薄着で来るからだよ、ご主人様」
「何だ、リュカも来ていたのか」
リュカはメイド服の上に上着を羽織り、栗毛色のリュカの髪と同色の、可愛らしい耳付きフードを被っている。エフィルかエリィのお手製だろうか?
「ここ空いてるよー」
リュカが自分の座る隣の床をポンポンと叩いて示す。
「お言葉に甘えて失礼するよ。仕事は終わったのか?」
「うん、今は休憩時間なの! さっきまでジェラールお爺ちゃんもいたんだけど、どこかに行っちゃった」
「リュカを置いてか? 珍しいな」
普段ならリュカから離れることなんてないのだが。それほどジェラールはリュカを溺愛している。
「おーい、リュカよ! お爺ちゃんが菓子を持ってきたぞい! さ、たくさん食べ――― なぜワシの席に王がいる?」
「……いや、俺のことは気にするな」
そうそう、こんな感じ。最近はリオンに対してもこんなである。
「王もセラと姫様の戦いを見にきたのかの? なかなか見応えがあるぞ」
「お互いに接近戦も魔法も使うバランス型だ。セラは攻撃寄り、メルが回復・補助寄りって違いはあるが、どうなるかな」
モグモグとクッキーをリュカと一緒に頬張りながら予想を立てる。
装備条件やスキルは粗方互角なんだが、ステータス的にはやはりセラが不利なんだよなー。セラも桁外れに規格外ではあるんだが、『絶対共鳴』によって得たメルフィーナのステータスはそれ以上に規格外なのだ。
「そろそろ動き出す頃合かのう」
「ああ」
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メルフィーナの造花を一直線に破壊し、最短で距離を詰めたセラ。だが、その両手には大量の血が滴り、ダメージが蓄積されていることは一目瞭然。セラが踏み込んだ道には血痕が絶えず落ちていた。
「金剛氷薔薇を粉砕する威力は見事ですが、戦い方が素直過ぎますよ。セラ」
一方でメルフィーナにダメージはまだない。その表情には、余裕を窺わせる笑みさえ浮かべている。
「敵に助言とは余裕ね、メル」
「事実、私はまだ攻撃を受けていませんので」
「まあそうね。でも、今においては、そこは私の射程内よ?」
セラが消える。いや、そう思わせるほどの速さで真上に飛翔したのだ。
「絶氷城壁」
だが、メルフィーナの眼はセラを正確に捉えていた。冷静に、微笑みを絶やすことなく次の魔法へと移行する。セラの正面に現れたのは氷の壁。ケルヴィンの絶崖黒城壁に似たそれは、修練場の天井にまで到達する。
「貴女ならば3、4の本気の打ち込みで破壊することが可能でしょう。ですが、その数秒が命取りになりますよ?」
メルフィーナが迎撃の体勢に入る。このまま突撃すれば、セラは槍の餌食となってしまうだろう。
(……動揺が、ない?)
この状況下においても、セラの眼に宿るのは自信。いち早くメルフィーナが疑問に感じ取るが、それも僅かに遅かった。
「魔人闘諍、右腕限定!」
黒き魔力とセラの赤き血が混じり合い、セラの右腕を侵食する。
「これは、ビクトールの!?」
「セラの奴、使えたのか。発動スピードもビクトールより数段早い」
ジェラールが驚愕し、メルフィーナも初めて驚きの表情を作る。これまで模擬試合を幾度も行ってきたが、セラが魔人闘諍を使ったことは一度もない。最近になって使えるようになったのか、これまで隠していたのかは定かではないが、魔法の錬度は明らかにビクトールを上回っていた。
「なら、本気で打ち込むわね」
「―――!」
黒塗りの魔力で模られた右腕は禍々しく太く強靭に、指先はカギ爪のように鋭い。一目でそれが危険と理解できる代物だ。その異形の右腕を振りかぶり――― 隔てる壁へと、叩きつけた。




