第276話 聖地の混乱
―――デラミス大聖堂
デラミスの聖地、大聖堂内部では建造以来最大の混乱が引き起こされていた。本来厳重な警備を敷かれ、許可なき者は立ち入れない筈の大聖堂の地下、『英霊の地下墓地』の入口にバリケードが築かれ、その背後には大盾を構える聖騎士と兵士の姿があったのだ。更に後方には祭服を着た神官らしき男が耳元を押さえながら指示を飛ばしている。
「このような行為、神は喜びません。今直ぐに防柵を外し、そこを解放なさい。信仰する神が違えど、今ならば―――」
「メルフィーナ様もお許しになる、か? 月並みなありがたいお言葉もそろそろ聞き飽きたぞ。我々の要求は巫女コレットとその勇者達だ。期限は刻々と迫っている。迷える子羊が心配ならば、今直ぐここに連れて来い!」
「そうだ! エレアリス様を裏切った異端者め!」
「去れ! 去れ!」
赤のストールを首から下げ、反対派の説得を続けていたのは枢機卿の1人、マルセル・ゴッテス。騒動が始まった時から延々と続くこの懸命な交渉も、反対派の心には響かず罵声を返されるばかりであった。彼は一流の白魔導士でもある為、不意の攻撃に備えての結界を張りつつの役目も並行して行っている。マルセルの顔には目に見えて疲労が表れていた。
「マルセル枢機卿、コレット様が……」
「何……? それは本当なのですか?」
外から駆け足でやってきた聖騎士の1人が耳打ちを受け、マルセルは驚愕した。それもその筈、コレットがこの場に来るというのだ。
「ええ。先ほどサイ枢機卿及びクリフ団長から直接連絡を受けましたので、確実かと」
「まさか、コレット様が直々に……?」
知らせは段々と波紋し、大聖堂内がざわめいていく。マルセルら入口を取り囲む者達の様子がおかしいことに、反対派の面々も気付き始めたようだ。指揮官の男が手近な部下に聞く。
「おい、何事だ?」
「それが、急に奴らが騒ぎ始めまして…… 何かあったんでしょうか?」
「それを聞いているのだ! 『聞き耳』のスキルを会得している者はおらんのか!」
「か、確認致します!」
マルセル側と同様に、こちらも陣営が慌しく動き出す。恐らくはそう間を置かずに、コレットに関する情報へと辿りつくだろう。しかし、動き出したのはその両者のみではなかった。
『両陣営に動きあり。コレット様の情報が伝わったようです』
『よし、各人行動に移れ』
『護り手の鍛錬場』の塔の中腹にて大聖堂を監視する者達がいた。うち1人は地上から見上げても視認するには少々厳しい高さから、大聖堂の窓枠の中身を観察するかのように見下ろしている。この塔の内部はダンジョンとなっており、当然ながらモンスターもいる。 ―――否。いたのだが、地上からその高さに至るまでの全階層・全フロアには粉々に切り裂かれた、もしくは塵となってしまった何らかの残骸が散乱するのみで、それらしき影は残されていなかった。
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(……? 表がやけに騒がしいわね)
大聖堂から地下の墓地に向かう長い長い螺旋階段。その間の物陰にて潜み、入口の喧騒に気付いた者がいた。修道服を纏った女である。彼女はリンネ教団のもとで5年に渡って神職に就いていたのだが、その裏でエレアリスを信仰し、反対派に所属していた。騒動が起こったこの日もいつものように生活していたが、仲間が行動に移った時点で自身も着の身着のままこの場に走り、仲間との合流を果たしたのだ。現在は仲間から受け取った通信機を耳に付け、トラブルが生じる、侵入者を発見するなどした際の哨戒に当たっている。
「か、ぁ……」
「はーい。1名様ご案内」
彼女が不幸だったのは単独で、それも比較的入口に近い箇所に配置されていたことだろう。更に言えば女であったことだろうか。兎も角、修道女は音もなく現われた黒フードによって、首を背後から絞められる。突然の出来事ではあったが悲鳴を上げる暇さえなかった。呼吸がギリギリできるか、できないかの絶妙な力加減で締め上げられる。
「運が良いわね! さっきの通信機とか言うの、こいつも持ってるじゃない! 流石私!」
暗転しかける視界の中で、今度は真赤な髪を靡かせる軍服の女が楽しげに喋っている。こちらもさっきまで影も形も気配もなかったというのに。
「セラさんが一緒で良かったよ。私だけだったら後何人かは狩らないといけなかったと思うし。その運を少しでも分けてほしいかなー」
「アンジェだって十分幸せじゃない。欲は身を滅ぼすってよく言うわ。それでも求めちゃうのがケルヴィンなんだけどね!」
生死の境を行き来する自分を放置して世間話に興じる2人。だが、その会話にも不穏な単語がいくつも練り込まれていたことに、修道女は戦慄した。狩るだの狩らないだの、『死神』や『女帝』の名前が並んでいることに。
「……っ!」
腹に力を込め、何とか声なき声を出そうとする。この異常事態を仲間に知らせる為に。
「あっと。そういえば、私たちも急いでいるんだったわ」
通信機を赤髪の女に取られてしまう。珍しいのか、女は通信機に興味津々な様子だ。
「痛くしてごめんね? 私たち、貴女に聞きたいことがあるんだ。聞かせてくれるかな? 聞かせてくれるよね? 大声出そうとしても無駄だからね? 呼吸の動きで大体分かっちゃうから」
黒フードの声色は優しげだが、有無を言わさない威圧が言葉から痛いほど感じられた。直後に首にかけられた力が僅かに緩まれる。これは話せということだろうか? しかし、何を? ―――否、自分は真の神に仕える身。そのような真似はできない。修道女は覚悟を決め、口を開く。せめて一矢報いる為に。
「……死神らしく、地獄へ―――」
―――ギギギ。
発しようとした台詞は途中で止められた。首が絞められる。
「どう?」
「うん、オッケー。貴女の声ならいけそうだよ」
意識が遠のく。遠のいていく。
「ああ、別に言いたくなければ言わなくてもいいわよ。勝手に確認しちゃうから」
赤髪の女の指先が赤く染まった、ように見えた。それが修道女が自らの意識の中で確認した、最後の風景だった。
「あ、あー…… どうかな? ちゃんとこの人の声になってる?」
黒フード、もといアンジェが声質を変化させ、修道女と瓜二つの声で喋った。
「完璧よ、完璧! アンジェったら多芸ね!」
「暗殺者たるもの、必要のない技能なんてないからね。それに男の人じゃなければ、これくらいならスキルがなくとも練習すれば何とかなるもんだよ。 ……今更だけど、別に私が真似なくともセラさんの『血染』で操れば良かったんじゃ?」
「ん~、それなんだけど……」
セラが額を血で染められた修道女を向き、人差し指ををクイッと曲げる。すると修道女はゆっくりと立ち上がり―――
「セラ様、何なりとご命令をっ!」
修道女らしからぬ敬礼をビシッと決め、そのまま直立不動の姿勢で待機。どこの軍人だと勘違いしてしまいそうになる。
「個人差はあるけど、基本的になぜかこうなるのよねぇ…… 情報を引き出したりするのには便利だけど、元々の人格っぽくなくなるから、演技させたりするには不得手なのよ」
「ええっ! これ、セラさんがそう命令してた訳じゃないの!?」
「違うわよ。そりゃあ、少し気分は良いけれど」
「そ、そうなんだ……」
無意識のうちに、自分好みにそう設定しているようである。ちなみにこの現象は対象とセラとの実力差があるほど顕著に現れる。
「じゃ、まずは貴女が知るエレアリス、神の使徒、反対派に関する情報を教えなさい! アンジェは計画通り、時期を見計らってお願いね!」
「りょーかい。セラさんも引き出した情報は配下ネットワークに随時流すんだよ。あと最初はこの通信機の使い方から聞いてもらえるかな?」
アンジェは修道女から奪った通信機をセラから貰い、耳に取り付けた。




