第226話 桃鬼
―――ガウン・総合闘技場試合舞台
「……何よ、それ」
蹴りから瞬時に距離を置いたセラが、無意識に問い掛けてしまう。紅玉を凝固させた血槍が血溜まりに還ってしまった発端。それを思わず注視してしまうのは仕方のないことであり、それ程までに奇怪な光景であった。
「これが私の慈愛溢れる天の雌牛の力ぁ。この身体に秘められし溢れんばかりの愛を、自在にコントロールすることができるのぉ。こんな風にねぇ…… ふぅん!」
ゴルディアーナが全身に纏う薄紅色のオーラが胸筋に集まり強靭なる盾を、否、強靭なる筋肉を作り上げていく。ビキビキと一箇所に集中した桃色のそれは筋肉達磨どころの話ではなく、筋肉の集合体と称した方が的を射た答えとなるだろう。全てを優しくじっとりと包み込む純粋な胸筋の力、セラの血槍はこれにより押し潰されてしまったのだ。
「こ、これはちょっと気持ち悪いかも……」
ロノウェは思わず本心を吐露してしまう。ピンクのオーラが妙にリアルな筋肉を形成するのだ。実際に直視するにはちょっとあれなところがある。
「でもぉ、『第六感』がなかったら危なかったわねぇ。危うくセラちゃんの血に触れちゃうところだったわん」
「あら、私の能力覚えているの?」
「当ったり前よん! 良い女はぁ、その人の長所から覚えていくものぉ…… よぉぉ!」
かなりの間合いがあるに関わらず、ゴルディアーナは横殴りに拳を振るう。
(これは…… 届く!)
握り拳が放たれると同時に、またオーラが移動を開始する。ゴルディアーナの生体エネルギーは右腕に集結し、巨人の如き巨腕を形成。凶悪な一撃はゴムのように腕が伸縮したかのような錯覚をも生み出すが、セラは持ち前の察知能力で正確な情報を把握する。
―――ズ…… ガアァーーーウゥン!
それは恐らくこれまで見たどんな攻撃よりも単純で、尚且つ強力な一撃。
(あっ…… ぶなっ! 魔王より筋力あるんじゃないのっ!?)
翼を羽ばたかせながら宙から見下ろした地上は、先ほどまでセラがいた位置をも巻き込んで、結界内の全てが崩壊していた。舞台は瓦礫と化し、地面は深く抉れている。更には『桃鬼』がこちらを凝視しているのがセラの目に入った。
「女王蜂刺針ーっ!」
抜き手の型から繰り出される連続突き。ふざけた技名以上にふざけた威力を秘めた不可視の空気弾が上空へと放出され、セラへと襲い掛かる。当たれば体に穴が開くどころではなく、触れただけで魔人紅闘諍ごと粉砕してしまうであろう連弾を縫うように逃れ、セラは先程破壊された紅玉の残骸に指示を飛ばす。
「崩せ」
セラの血液は物陰からゴルディアーナの足元へと忍び寄り、瓦礫となった舞台の破片に付着。命令を受け、砂となり足場を崩す。
「あらんっ? 危ないわねぇ」
しかし、それが体言される前にひょいっとその体格からは似つかない擬音を残しつつ、ゴルディアーナが足を上げてその場から離れてしまった。
(『第六感』ってやつ? 察知系スキルって言うよりも、予知能力に近いのかしら。でも―――)
地上の紅玉に指示を下すと同時に、セラは『飛行』スキルを全力で使いゴルディアーナに突撃していた。如何に予知できたとしても、それを回避できなければ意味はない。敏捷力で勝るセラの加速した飛び蹴りは桃鬼の喉下深くに突き刺さり、巨体が瓦礫の山の中へと吹き飛ばされる。ヒットの感触は上々、オーラを破るには至らなかったが、セラとしても渾身の一撃であった。
「ま、こんなもので倒せれば世話ないわよね」
「ええ、まったくよん」
立ち上る土煙の中から膨れ上がるようにして現れた巨腕が大地を押し潰す。セラはこれを難なく躱すも、手形の穴は地中深くまでその爪痕を残し、これを後に修復しなければならない舞台交換班一同はげっそりと顔をやつれさせていた。
「あららん? おかしいわねぇ。さっきから私、調子悪いわん」
「興奮して昨日の夜は眠れなった口かしら? ふふん、子供ね!」
ちなみにセラは眠れなくてケルヴィンの魔法で無理矢理眠らされた口である。
(試合前に両手両足に施したステータス低下系の魔法は全部当たった筈なんだけど……)
幕開けの打ち合いでセラは筋力低下のC級黒魔法【折れた剣】×2と耐久低下のC級黒魔法【腐食する鎧】×2をゴルディアーナに付与させていた。いたのだが、それにも関わらずこの破壊力と防御力を誇る親友の肉体には、流石のセラも感服を通り越して呆れてしまう。
(四重に落としたステータスでこれって…… 出し惜しみしてる場合じゃないわね)
セラが指先を上げると、砂の山から隠れていた紅の血がゴルディアーナの後を追い、次々と触れた瓦礫を砂に変えて行く。当然ながらゴルディアーナはこれを避けるが、意図は読み切れていない。言ってしまえば距離を置く為の時間稼ぎなのだが。その隙にセラは事を進める。
「あらん? それがセラちゃんが持ち込んだ装飾装備ぃ?」
「ええ、メルの特注品よ! ピクニックにピッタリなんだから!」
ゴルディアーナが遠目で気がつく。セラが胸の間から取り出したのは、円柱型の小さな水筒であった。言葉の通り、リュカやシュトラといった子供がピクニックに持ち込むような、その程度のサイズのものだ。
「……グロスティーナのように、中に特別な液体が入っているのかしらん?」
「いいえ。何の変哲もない、ただの水よ。ただ、内包する量は普通じゃないけどね」
そう言うと、セラはその水筒を地面目掛けて投げ捨てた。実のところ、この水筒にはセラの血液が微少ながらも付着しており、試合開始からある命令を守っていたのだ。その命令の内容は『勝手に壊れるな』である。この水筒が一般のものと変わらぬ強度であるが故の命令だったのだが、その命令が今、セラによって書き換えられる。新たな命令は『即座に自壊せよ』。
「何だかんだで私、パーティで一緒に戦う時に一番相性が良いのはメルだと思うのよ。こんな風に応用が利くから」
水筒がベコンと折れ曲がり、生じた亀裂から水が溢れ出る。その量は結界内の地表全てを覆い尽くし、氾濫しようかと言うレベルである。その水にセラは、コーヒーの入ったティーカップに角砂糖を入れるかのように、自らに寄り添う紅玉を一粒投下。無色透明の液体が、僅かに赤く染まっていく。
「ふんふん、なるほどねん。でもねぇ、これじゃあ慈愛溢れる天の雌牛を通り抜けて、私に触れさせることはできないわねぇ」
「これだけじゃあ、ね。でもこんな使い方もあるのよ?」
「……?」
ゴルディアーナの足元に溢れていた紅の水が引いていく。大量の水の行き先は、力の源であるセラの下。行き着いた水はセラの脚を伝い、背後にてあるものを模る。
「あらまあ…… 応用利き過ぎだと思うわん」
形成されたのは強大な水の尾。魔人紅闘諍により視覚化された悪魔の尻尾に付随し、連動して右へ左へと動いている。セラ自身が宙に浮かんでいないと持て余すような長さであり、所々に血を固めて作った刃が装着されている。グロスティーナが試合で扱った鞭にも似ているが、あまりに規模が違い過ぎていた。
「ゴルディアーナも人のことは言えないと思うわよ? それに親友との折角のバトルだもの、これくらいは――― ねっ!」
水の尾は瓦礫を取り込みながら、真横へと薙ぎ払われた。




