第220話 変身
―――ガウン・総合闘技場試合舞台
その時ダハクが感じたのは純粋な恐怖、戦慄であった。ゴルディアーナの右腕にオーラが灯り、闇に沈むドーム内に桃色の光が差す。四方に生み出した食人植物達はお構いなしに襲い出すが、ゴルディアーナによる一振りの強打のもとに、その全てが粉砕されてしまった。
(美しさが今までの比じゃねぇ……!)
ケルヴィンから聞いていた前情報では、弟弟子であるグロスティーナも似た技を使い、あのオーラに特殊な力が宿っていることが分かっている。グロスの場合、オーラを纏った部位の防御力が上がり、粘着性と『毒蔵』と呼ばれる固有スキルの効果を付加すると言うものであった。『ゴルディア』と言う武術の技のようだが、当然ながら兄弟子のゴルディアーナも同じものを使うだろうとダハクは予測して――― と言うよりも、以前にケルヴィンらが見たとの話があった為、絶対に使うだろうと警戒していた。だが、それはダハクの予想以上の力を秘めていたのだ。そして今、エネルギーの塊である薄紅の光が、新たにゴルディアーナの左足に灯る。
(来るっ……!)
心に自身の声が浸透する。こちらも食人植物を作り出し対抗するか? ゴルディアーナが消耗するまで逃げ切るか? 真っ向から迎え撃つか? 幾多の選択肢がダハクの脳内に並び、瞬時に否決される。生まれながらにして美と強さが直結して見えるダハクには直感的に分かってしまうのだ。そのどれもが全く意味を成さない行為であることに。ならば、最後に残った選択肢は―――
ゴルディアーナが地を蹴ると舞台が抉られ、その姿が消えた。否、ダハクの眼前に迫り、その拳を振り上げていた。距離など無意味だと言わんばかりの豪脚、掠りでもすれば五体が四散し、意識まで無に帰すであろう最強の一撃。刹那の狭間、視線がぶつかる。「貴方の想い、その程度なの?」と、ゴルディアーナが言ったような気がした。
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その頃、ドームの外側は静まり返っていた。観客らは盛り上がろうにも変化のない舞台相手ではどうすることもできず、ただただダハクが作り出した円蓋を見詰めることしかできない。それはロノウェやジェレオル、ユージールにとっても同じことで、ドームの中で行われている激戦とは裏腹に、何とも実況のし甲斐のない試合展開となっていた。
「あー、えーとー…… 変化がありませんね……」
「舞台の結界に丁度収まる形で丸屋根に遮られてしまいましたからね」
「恐らくはダハクの能力だろうが、内部からは音も聞こえないからな。成り行きを見守るしかあるまい」
「見守ると言っても、ブロック決勝がこれでは盛り上がりに欠け――― ん?」
ロノウェの愚痴を掻き消すように、突如ドームに亀裂がビシビシと走り出す。試合開始より漸く起こった舞台の変化に闘技場の皆は釘付けとなり―――
「うおおっーとぅおー! 円蓋にヒビがぁー!?」
ここぞとばかりにロノウェもそのビッグウェーブに乗るのであった。実況の鏡である。
「いえ、これは―――」
「壊れるぞ!」
ジェレオルが叫びを上げた直後、ドームの崩壊が始まった。先程まで微塵も動く気配がなかった鉄壁の外郭が、亀裂に沿って崩れていく。だがそれは、ただ倒壊しているだけではなかった。
「こ、これはっ、りゅ、竜!? ダハク選手はどこに!?」
ドーム内部から現れた漆黒の竜が、崩れ落ちる欠片をその黒鱗に取り込み、鎧をその身に纏うように変換しているのだ。竜の向かいに立つは、片腕片足を薄紅で染めたゴルディアーナ。その灯す光は眩く渦巻いていた。
「驚いたわねぇ。この状態となった私の一撃を耐えるなんてぇ」
「それはこっちの台詞だ。大急ぎで俺に囲いの護りを移したせいで崩れちまったが、俺が知る限りで最硬を誇るこいつを削り切るなんて、天使にも程があるぜ。プリティアちゃんよ」
当然ながら竜の正体は本来の姿に変身したダハクである。ダハクの腹部には黄土の鎧が破壊された痕と、浅くではあるが出血しているのが見て取れた。ドームは完全に崩れ落ち、その欠片は破壊された鎧の腹部にへと換えられていく。瓦礫の全てが変換された時、ダハクの鎧の修復は完了した。
「んんーっ…… やっぱり空気は美味しいわねぇ」
ドームによって密閉されていた毒は飛散し、結界によって無効化されている。竜となり外壁を纏うことで辛うじて助かりはしたが、暗闇によるゴルディアーナの視覚を奪う策も同時に破られ、ダハクが目論んでいた消耗戦は頓挫してしまったと言っていいだろう。だが竜化はダハクにとっての奥の手、この姿でなければできないこともある。
「あらやだぁ…… それ、さっきよりも凶暴になってなぁい?」
ダハクの背中、翼の辺りから生えるはゴルディアーナが何度も葬った2対の食人植物。蕾であった部位は開花し、成体となって数百の牙を咲かせていた。
「俺の『黒土鱗』は植物にとっての最高の苗床だ。舞台下から無理矢理生み出したさっきの奴らと一緒にしてもらっちゃあ、痛い目を見るぜ? こんな風に、よお!」
伸縮する植物の体、その勢いは舞台産の量産品とは比べ物にならず、より強力となった猛毒を撒き散らしながらゴルディアーナを目指す。
ダハクがその身で育てたのは『災厄の種』と呼ばれるものである。悪魔の地『奈落の地』が原産とされ、闇の中でしか育たない特殊な植物だ。一度芽を出せば人であろうが悪魔であろうが、主に仇なす者は何であろうと食い破る。成体ともなれば上級悪魔をも食らうとされ、中にはこの植物によって滅ぼされた悪魔の国もあった程だ。その栽培法は酷く難解であり、場合によっては育て親である主の命が奪われることも珍しくない。だが、ダハクの『黒土鱗』はそんな過程をも吹っ飛ばし、瞬きの間に災厄の種を最高の状態で、それも2体同時に成体へと培養してしまった。
(もう深呼吸してる場合じゃないわねぇ。この子達が吐き出す毒、結界の処理量を上回ってるみたいだしぃ……)
闘技場を覆う結界の浄化作用により、吐き出された猛毒はその境を越えることはない。が、その浄化量が毒素に追いつかないとなれば、その残留物は再び結界の中に留まる事となる。つまり結界内は猛毒で充満、太陽光による光源はあるものの、結界をドームに見立てた環境が再構築されるのだ。
取り巻く状況は過酷。ゴルディアーナは2体の食人植物と戦うも、オーラを纏っていない部位に植物の牙が触れる度に出血する。後方からはダハクによるブレス攻撃が放たれ続け、僅かな隙も与えようとしない。人型のダハクから放たれたものよりも断然威力が増しており、触れた舞台は熔解、周囲の芝は枯れ尽くされている。真っ向から受ければ如何にゴルディアーナと言えど、ただでは済まないだろう。
「こんなに熱い愛を注いでもらったのはぁ、いつ振りのことかしらねぇ…… ダハクちゃん、貴方に最大限の敬意を払うわん。私の『慈愛溢れる天の雌牛』、その目に焼き付けなさぁい」
呼吸も許されないこの状況下で、ゴルディアーナはゆっくりと口を開き、笑った。ダハクにとっては女神の微笑み。されど全身にオーラを纏ったゴルディアーナの姿は、一般的にはこう映る。
「桃鬼、昨年の父上との試合以来か……!」
空気に染み入るようなジェレオルの呟き。ブロック決勝戦最後の試合が終了したのは、これより直ぐのことだった。




