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第7話 好き?

 目を覚ませば、ひどく瞼が重かった。顔を洗おうとしてベットから起き上がると、時計の針はもう10時を指している。洗面所の鏡に映った顔は予想通り目元が赤く腫れて、情けないものだった。光永はそんな自分の顔を見て、一つため息をこぼす。


 ――図星だ。

 結城に言われたことに思い当たる節がありすぎた。だからあそこまでムキになってしまったのだ。それほどに彼の言葉は耳に痛い。

 両手で耳を塞ぐようにして、わきあがった感情をやりすごす。慌てて冷たい水で顔を洗えば、ほんの少しだけ落ち着いたような気がした。


 ……ぽーん。

 ピンポーン。

 蛇口を閉めれば、先ほどから玄関のベルが鳴っていたことに気づく。こんな顔で出たくない。このまま待っていれば、留守だと諦めて帰るのではないだろうかと、なるべく物音を立てないようつい体を強張らせてしまう。

 けれども次に聞こえてきた声に、彼女は驚いて洗面所のドアに肩をぶつけてしまった。

「あのー、結城ですけどー。光永ーいるかー?」


「帰って!」

 それは反射的に出てきた言葉だった。昨日のことは自分にも非があると認めるけれど、だからといってなかったことには出来ない。

「あ、いたいた。今日、ちょっと時間いいかな?」

「だめ。部活はどうしたのよ」

 彼女はわざと話をそらすように部活の話題を振ってみる。

「サボりだよー」

 ……あっさり返されてしまうが。


「とにかく会わない」

 二の腕部分をさすりながら彼女は答えた。ぶつけた肩がじんじんと痛みを訴えている。もしかすると内出血しているかもしれない。

「じゃあ、ちょっと顔出すだけでもいいから」

 だからその顔を出せないんです! という心の突込みが稲妻のようにかけめぐるが、顔を歪めるまでに留め、代わりにため息が一つ漏れた。


「風邪引いただけだから。うつすかもしれないし」

「まじかよ。大丈夫かー? あ、それじゃあ丁度良いし、一緒に病院行こうぜ」

 結城の顔さえ見なければ3秒で治るなどと、彼は考えもしないのだろう。かみ合わない話に、本気で光永は頭痛を覚え始める。何故にこの男はここまで顔を合わせることに執着するのか。


「もうっ、目元が腫れてて会いたくないのっ! こんなこと言わせないでよ」

 気づいたら半ばヤケになって本当のことを叫んでいた。


 気まずい沈黙。


 それからややあって、彼がポツリこぼした言葉はいつに無く弱々しいものだった。

「……ごめん……なさい」

 それは突然の謝罪である。そう素直に謝られると、これ以上悪態をつけなくなってしまうではないかと、彼女は困惑してしまう。

「結城くん?」


 それからややあって、彼は謝罪の理由についてゆっくりと説明し始めた。

「ごめんな。本当は光永の顔を見てちゃんと謝ろうと思ってたんだけど、この際ドア越しでも良いから謝らせてくれよな。……ごめん、昨日は言い過ぎた。俺、光永のこと嫌いじゃねーよ。あれは口が滑ったんだ。今日も困らせるつもりなんてなくて……俺ってその辺アバウトな奴だから知らないうちに人を傷つけて、そこがダメなんだよな。ごめんよ」


 そうやって素直に自分の悪いところを認めて、謝ることがどれくらいの人に出来るのだろう。自分は悪くないと正当化して、誤魔化して、うやむやにしてしまう人の方が多くて、自分自身もその1人だったと彼女は気づく。

「私も……ごめん。言われたことは全部本当だったよ」

 1人で悲劇のヒロインぶって勝手に結城を悪者に仕立て上げていた。そのことへの謝罪だった。

「なんで光永が謝るんだよ?」

 不思議そうに問いかける彼のことを、もう憎い奴だとは思えなくなってきている。そのことに少し驚きを感じつつも、彼女は少しだけ笑った。


「5分だけ待ってくれる?」

「え?」

「5分」

「……わかった」


 あわてて目元をハンカチにくるんだ保冷剤で冷しつつ、小さなバックに財布や家の鍵を放り込む。簡単な身支度を整えてから玄関の前で深呼吸を行い……そして彼女は玄関の扉を開けた。


 太陽の光がドアの隙間から入り込んでくる。

 暗い家の中に慣れてしまった目にその光は眩しくて、そして、外に立っている結城の姿もやけに眩しいような気がした。頭の奥がジンと焼け付くような感覚。それにかすかな眩暈を覚えつつ、光永は「お待たせ」と声をかけた。


 今日の結城は濃い藍色のズボンに白いTシャツ、それにフードのついたベストを羽織っている。バスケのおかげか身長が180以上あるため、シンプルな格好でもモデルのように決まっているのが悔しいなと彼女は頭の片隅で考えた。

 対して光永の格好も、白いチュニックに薄いブルーのロングカーデ、ピッタリとしたベージュのハーフパンツというシンプルなものである。てっきりワンピースだと思いこんでいた彼は少し意外に思ったが、そんなすっきりした格好も良いなと頭の片隅で考えた。


 そうやって彼がボーっと見ている間に、彼女は玄関の鍵を取り出してカチッと戸締りをしてしまう。パンダのキーホルダーが揺れてコツンと扉に当たった。その音にはっとしたように彼は問う。

「光永、どっかいくのか?」

「結城君が言ったんでしょ? 『今日、ちょっと時間いいか?』って」

 少々ぶっきらぼうな口調であっても、それが紛れもない彼女なりの肯定だと思い至ったとき、結城は嬉しくなってにっこりと笑った。


「そーだよ!」

 その笑顔は太陽の光を受けて明るい茶色の髪と一緒に輝く。


 ――なんて奴だ。


 けんかしながらも彼には友達が多い理由が分かるような気がした。

 はっきり主張するし、言葉はストレート。だけどそこに嫌味や憎しみはなく、言葉のままだ。そして、言いすぎたと思ったら放っておかずに、わざわざ謝りに来る律儀さがある。だから彼は好かれる。

「負けた!」

 彼女はそうやって人と関わることを面倒だと思った。そして、蓋をして放置していた。だからだんだん周りから人が消えていく。なんだ、そういうことか……と思い至ったとき、思わず苦笑が浮かぶ。


「なんだよ?」

 多分、無意識の彼にはわかるまい。

「別に」

 わざわざ伝えることでもない。


「あのさー、光永」

「ん?」

「その服、すげー似合ってる。うん、可愛い」

「……」


 女の子の友達も多い理由も分かるような気がした。だって、そんなことさらりと言える男の子なんていないだろう。

「何笑ってんだよー!」

「ううん。ちょっとね」

 そうやって誤魔化しながらも、光永は目の前にいる彼の表情のようにくるくる変わる自分の気持ちに困惑していた。こんなにも馬鹿正直に彼女の前に立つ人なんて初めてで、そして、他愛もない会話がこんなに嬉しいと思ったことはなかったから。


 ――どうしよう。私、結城君と話すのが楽しいと思ってる。

 この時間が続けば良いのにと思う気持ちは、恋にも似ているようで、慌てて心の中で否定した。




「それでどこへ行くの?」

「病院」

 バスの回数券を手渡されて彼女は慌てる。「風邪を引いたというのは……」嘘だと言いかけた言葉に被せるようにして、結城は続けた。

「お見舞いなんだ。俺の妹の」

 光永には……俺の真実を知ってほしくて。



 そうつぶやいた顔は一瞬ひどく曇って見えた。

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