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第4話 会いたくないときに限って……

 結城が家に戻ると、客を送り終えた母親が夕飯の支度をしながら顔を出した。

「朝広~、買ってきた? ちょっと見せてちょうだい」

「ほいよ」

 がさごそとリュックから包装してもらったプレゼントを取り出すと、チェックの包装紙に包まれたそれは見事なまでにしわくちゃになっている。


「クシャクシャじゃないの! アンタね、女の子へのプレゼントなんだから、気をつけなさいよ」

 呆れた表情の母親に、彼が「悪かったよー。これじゃあ母さんのシワのばしクリームをつけてもダメだよなぁ」と口にすれば、笑顔のまま頬をつねられる事態となってしまった。自業自得だが。

「暴力反対~! 痛え、痛えってっ。絶世の男前が持って行ってやるから、それで勘弁してくれよ」

 涙目になって男前とはいえない表情になりながら訴えれば、ようやく母親は手を離す。


「じゃあ明日、ちゃんとお見舞い行きなさいよ」

「オッケー、オッケー。いやー、俺ってなんて素敵な奴」

 ニカッと笑って見せれば、「本当に調子の良い子なんだから」と母親はため息をつく。一体誰に似たんだか。

「着替えとお花も持っていってよ? それから……」

「わかってるって。俺も1人で何回か行ってるから安心しろよ」


 ポケットに突っ込んだバスの回数券を取り出してみれば、ようやく母親は納得したように笑った。

「話し相手になってあげてね。多分、寂しい思いをしているだろうから」

「ん」

 クシャクシャの回数券はプレゼントと同じくらいくたびれていたけれど、すぐに物を失くしてしまう結城にしては珍しく、すぐに出てくる。彼なりに大事にしていた証なのだろう。


「優しくしてあげてね」

「分かってる」

 再度の念押しにも彼は頷いた。このお願いに何度頷いたのか分からない。

 けれど、何度もお願いをしてしまう母親の身持ちが分かるだけに、彼は何度でも頷いた。


 なぜなら、入院しているのは……彼の妹なのだから。



◇◇◇



 翌日。鞄の中から生活費を取り出した光永は、一つため息をついた。寝癖でカールした髪をヘアアイロンで戻し、スプリングコートを羽織る。少しゆったりめのコートを着てうつむき加減で歩くと顔が分からなくて良いからだ。これならクラスメイトに会っても気づかれまい。念を入れて前髪も下ろす。

 なぜと問うのであれば想像してほしい。簡素な洋服を着て、大根やネギがはみ出しているスーパーの袋を持つ少女が、可愛い服やおしゃれなアクセサリーを身につけて小さなバッグを持った同級生の少女に声をかけられる様子を。いや、親しくしているわけではないから、見かけられるだけなのかもしれないが。


 気にならない人はならないだろう。けれども、光永は気になる部類の人間だった。惨めに感じる人間だった。

 家事なんかしたこともないような手で、包丁だってろくに握ったこともないような手を口元に当てて笑うかもしれない。もしかすると「可哀想」というのかもしれない。普段見栄を張り、取り繕い、優等生の自分を演じてきた彼女にとってそれは屈辱なのだ。


 けれど、いつものスーパーまで来てしまうと、たどり着くまではどこかおどおどしていた態度が一変してテキパキと買い物を始める。慣れとは恐ろしいものであるが、この時間帯の食品売り場であれば同級生に出会う可能性もそう高くないからだろう。

 今日はカレーかな、と特売品を見ながら彼女は頭の中で献立を組み立てていく。余った食材で別のメニューを作ることも勿論念頭に入れている。ニンジンやたまねぎは常温で日持ちするので大袋で買っても損はない。3食家で食べるのだから減りも早いはずだ。

「……じゃがいもは確か家にあったよね。でも、この大袋で百円なら買おうかしら。サラダにしても良いし」


 野菜から始め、肉、魚、香辛料……そして牛乳とパンの順に売り場を巡っては、かごに商品を積んでいく。心なしか機嫌が良いのは、掘り出し物が多いからかもしれない。だからだろうか、油断していたのは。

 特売日であることも手伝っていつもよりも高く積み上げられた食材と、かごの隙間に突っ込むようにして入れたカレーのルーに気をとられ、彼女は不注意にも前方に全く気づかなかった。


「うお!?」

 よそ見していた彼女が気づいたのは、ぶつかった衝撃で後ろの棚をカタカタ揺らしてしまってからだ。

「ご、ごめんなさい」

 慌ててかごから飛び出したカレーのルーを拾うと、ぶつかられた人も拾おうと手を伸ばしてくれる。なんとなくかがんだ拍子に目に入った靴はスポーツシューズ。コマーシャルなどでもよく見かける人気のモデルだけに、嫌な予感がして彼女が顔をあげてみたら、ふと当人と目があってしまった。


 明るい茶色の髪に、パッチリとして愛嬌のある大きな瞳。少し驚いたように見開かれているその瞳には驚いている光永の姿が映されている。整った甘い顔立ちのその人は、いつもクラスの中心にいて、笑い声を上げて、よくしゃべって、走って跳んで、誰からも愛されていた……結城朝広だった。


「光永?」


 最悪だ。よりにもよって今一番見られたくない人物に、所帯じみたこの格好を見られた!

 そんな悔しさと羞恥心から、光永はみるみるうちに真っ赤になり、それを悟られるまいと慌ててうつむく。

「……違う」

 違う。

 言いふらされたらどうしよう。笑い話としてネタにされたらどうしよう。

 嫌だ。嫌だ。

 先のことなんか考えないあの人は、考えなしに誰かに話し、そして自分で話したことすら忘れてしまうだろう。毎日が楽しければそれで良いと考えているような人だ。


「人違い……です」

 真っ赤になった顔からどんどん血の気が引いて真っ青になる。手も震えるけれど、なんとか落とした商品を手早くかごに入れて彼女はきびすを返した。何か結城が声をかけるようなそぶりを見せるが、そんなことに構う余裕なんて彼女にはない。目の前のクラスメイトなんて知らない。


 光永の心の中は半ば悲鳴で埋め尽くされていた。

 何でこんなところで会うのよ! 昨日会ったばかりなのに。春休みじゃなかったら、学校で会わなければならないところだったから、それだけは感謝すべきだ。いやいや、それよりも何故もっと前方に注意しなかったのか。あれだけ目立つ人がいるなら、いつもの自分なら事前に気づいて回避できただろうに。忘れて欲しい。さっさと忘却の彼方へやって欲しい。今日見たのは、クラスメイトの光永に似た別の人。そう思え! 思えっ!!


 最後の方は半分呪いのようになっていた。

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