第18話 区切り
「おかしい?」
光永が尋ねると、比留間は頷いた。
「不自然に元気なんだよね。いつも以上に浮かれた態度を取るくせに、急に何かを考えるように止まったり。あいつ、今までどうでもいい事まで俺に相談してきたのに、今回に限って何も言って来ないし」
比留間にとっては、親友としての沽券に関わることだったのだろう。少し悔しそうに彼はきゅっと唇をゆがめた。そんな姿でさえ、絵になってしまうから美形は得だと思う。
「それが私に何か関係でも?」
「むしろ、あんたしか原因にならないと思うけど?」
疑問に疑問で返されて光永は混乱した。急にそんなことを言われても困る。妙に棘のある言い方にどう答えて良いものか分からず、彼女はうつむいた。
自分はまた何かやらかしてしまったのだろうか。
けれど彼は言ったではないか。本当に苦しくて仕方ないなら、我がままだろうと口にすれば良いのだと。
そんな光永の姿を見て、比留間はベンチに座ったまま脚を組む。
「朝広はちゃんと伝えたのかな」
「何を?」
「自分の気持ち、とか」
比留間としては、直前に相談されたことが一番怪しいのではないかと睨んでいた。きっと朝広が告白し、その返事を光永が保留にしたままにしているのではないだろうかと。
けれど、それに対する光永の返答は、彼にとって予想外のものとなる。
「結城君がどう思っているのかは知らない。けれど、私の気持ちについては言っちゃったかな。半ギレで」
彼に惹かれているのだと。
憧れているのだと。
……そして、特別じゃないなら、もう優しくしないで欲しいのだと。
「彼は返事もくれなかった。きっと幻滅しちゃったんだと思う。だから、私のことを忘れようとしているのかもしれない」
踏み込みすぎた心から、遠ざかるように。
なんとなく居心地が悪くて立ち上がると、驚いたように見つめ返す比留間の顔があった。その表情が意外で、光永は眩しい太陽の光の下で笑った。
「結城君が好きだったよ」
一緒にいると幸せで、ちょっと心が痛くて。
でも、初めて自分とまっすぐに向き合ってくれる人に出会えて嬉しかった。素直に怒ってくれる人なんて、今までいなかった。
何か彼の役に立ちたかった。役に立つことしか、返せるものはなかった。今まで、利用価値しか磨いてこなかった自分には、それしかないのだと最初は思った。
いつしかそれは変化を遂げたけれど。
この数ヶ月は、自分の人生の中でも激動の数ヶ月になるに違いない。
そんな気持ちを言葉にすると、あまりにも簡潔な一言だった。そうか、自分は結城君のことを好きになっていたのだなぁと、彼女は自分の言葉に頷く。
比留間は何も言わなかった。夜神も何も言わない。
蝉の声だけがやけに響く中、やがて比留間はポツリとこぼした。
「朝広は根っからの楽天家でしょ。いつも元気で、単純で、不安なんかなさそうに見える」
けれど、外からそう見えたって、本当にそうであるとは限らない。むしろ、彼の境遇を知るものならば、辛いこともあったのだと想像するのは難くない。
それでも結城朝広という人物が笑っているのは、単に強いからというわけではない。多分、周りに心配をかけまいとする優しさ、そしてその境遇からなんとかしようと考える直向さからくる強がりも含まれているのではないかと思う。
「だから余計に『らしくない』と思うんだけどね。もし、あんた……光永さんに朝広が幻滅したというなら、何か答えるはずだから」
もしかすると、まだ『考え中』なのかもね。そう比留間は言った後、体重を感じさせない動作でベンチから立ち上がり、「もう少し待ってあげて」と微笑んだ。
それは、これまでの彼からは想像もできないくらい、柔らかな笑みだった。
その笑みはそのまま美少女に向けられる。
「朝広、出てきた?」
「うん」
病院の入口に、茶髪で長身の男子が立っていた。照りつける太陽に、少々辟易するかのように項垂れている。
そんな彼の姿に比留間は「親友を外で待たせて、自分はエアコンの効いた室内にいたくせに」と嬉しそうに呟いた。そのわりに、涼しげな顔をしているのだが。
待ち合わせをしていたのか……と考えたところで、光永はふと疑問が浮かぶ。なぜ自分が光永陽菜だと分かったのだろう。そして、どうしてタイミングよく出会えたのだろう。
朝広のクラスで学級委員だった光永さん、と彼は言った。しかし、女子に囲まれて辟易していた彼が、朝広と仲が良いわけでもない光永のことを覚えているはずがない。ましてや違うクラスだ。
美少女に声をかけさせるにしても、あやふやな記憶では恥をかかせかねない。彼女を大事にしている態度から考えると、どうにもちぐはぐな気がする。
「それじゃあ、光永さん。時間をありがとう」
そんな光永の疑問などに全く気づく様子もなく、比留間はさっと片手を挙げて挨拶すると、美少女を連れて歩いていってしまった。美少女の方は振り返って丁寧に会釈してくれる。
そんな彼女に小さく手を振りながら、まあいいかと光永は思った。そんなこと考えたところで仕方ないからだ。そのあたりは朝広に影響されている気もしなくはないのだが。
彼らが十分に離れたら病院へ入ろうと、ベンチに座る。幸い、病院から駐車場を通って道路へ向かう経路に背を向ける形でベンチは置かれていた。木陰の下でシルエットもハッキリしないだろう。
アスファルトのこげる臭いは、もう気にならなくなっていた。
「……あれ?」
その家族に気づいたのはほんの偶然だったと思う。
赤ちゃんを胸に抱いた女性がいた。少し遅れて、父親と思われる若い男性が走って追いつき、赤ちゃんを代わりに抱っこしようとする。――と、急に火がついたような泣き声があたりに響き、慌てて女性の手元に戻された。そんな微笑ましいような光景。
微笑ましいはずなのに、光永の目には涙が浮かんだ。
「お母さん」
遠目だからはっきりとした顔は見えない。記憶だって、久しく会っていないものだから、ひどくおぼろげだ。でも、彼女はなんとなくだがその女性が自分の母親のような気がしていた。
再婚して、新しい子どもができて、優しそうな相手もいる……そんな姿を見て光永は素直に『良かった』と思う。もっとドロドロした感情が占めるのかと思っていただけに、自分でも拍子抜けしてしまった感は否めない。しかし、この未来を得るために努力を重ねたのだろうと思ったら、文句など出てこなかった。
――妹が生きていたら、この家ももう少し明るくなっていたのだろうかと。母親もここにいたのだろうかと、帰ってきてくれたのだろうかと。
そうやって、存在していない妹に幸せにしてもらおうと考えていた自分の甘さに気づくことができて良かったとも思う。
さようなら。
心の中で呟けば、何か一つの区切りをつけられたような気がして、嬉しくなった。




